4 アブソリュート・エンペラー
二十人以上の護衛を引き連れ、白髭を蓄えた初老の男が僕の前に立った。マフィアのボスと思しき男は鋭い眼光で僕らを見おろしている。怒りで震えるその手には自動拳銃が握られていた。
「テメェがソフィをあんな風にしやがったのか……、許せねえ。じっくりなぶり殺してやるから覚悟しておけよ。まずはテメェの汚ねえイチモツを使えなくしてやる……」
股間に照準を合わせた白髭の男は引き金を引いた。
倉庫に鳴り響く一発の乾いた銃声、放たれる弾丸、辺りにはじけ飛ぶ鮮血、弾丸は宣言通り股間を貫く。
だが、その銃口は全く明後日の方向を向いていた。白髭の男は部下の股間を撃ち抜いていたのだ。
「ぐがぁがっぁぁぁっぁぁッ!」
股間を撃たれたグラサン男が蹲り身悶え泣き叫ぶ。
「会長! なにをするんですか!?」
側近の男が股間を撃ち抜かれたグラサン男に駆け寄り助けようとした直後、
「どうだ小僧! 次は足だ!」
老人は側近の左足を撃ち抜いた。
「ぎゃああああぁっ!」
「やめてください会長!」
周囲を囲んでいた黒服たちが止めに入るも錯乱する老人は配下に向けて次々と引き金を引いていく。その度に叫び声が倉庫に響き、混乱が勢いを増す。
「どうなってるんだ! このガキがいつの間に移動しやがった!? こっちにも? こっちにも! なぜ倒れねぇッ!」
弾切れになった銃を投げ捨てた老人が近くにいる部下に殴り掛かった次の瞬間、再び銃声が木霊した。黒服の一人が老人を撃ち殺したのだ。
胸を撃たれた白髭の男は白目を剥いてうつ伏せに倒れていった。
「……おまえ、何してやがる!」
「ち、違う! 身体が勝手に!」
「ぎゃあぁぁぁぁっぁぁっ! 体に虫が! ムカデが! ゴキブリが! 誰が! た、助けてくれ!」
突如叫び出した男は服を脱ぎ捨て身体を掻きむしり始めた。しかし男の身体には小虫一匹足りとも付いていない。男は必死に自分の皮膚を爪で削り取っている。
「く、苦しい……ッ! 息がッ……できない……」
今度は別の男が首を抑え苦しみ始め、さらに別の男が、
「い、いてえぇぇぇぇっ! 体中がいてぇっぇぇぇよぉぉおお!」
苦しみでのたうち回り、恐怖が伝染するかの如く悲鳴が広がっていく。
「熱い! 焼ける! 体が燃えている! 誰か消してくれぇ!」
「ど、どど……、どうなってやがるッ……、こ、凍える……、火を……、毛布をくれ……」
「がぁぁぁあああ! なんだこのバカでかい音はっ! 頭が割れる! 誰かこの騒音を止めてくれ! 脳が壊れる!」
奇声を発し踊り狂う者、叫びを上げて悶え苦しむ者、血肉を削り自傷行為を繰り返す者、錯乱して仲間を襲い始める者、一人、また一人と倒れていく。
港の倉庫の中で、地獄のような阿鼻叫喚の光景が繰り広げられていた。
「な、なんですかこれは……、一体、彼らは何をしているのですか……」
彼女は両眼を見開き、目の前で起こっている事態に困惑していた。
僕は立ち上がる。
「アハハ……、さっき君が色々と教えてくれたから僕も教えてあげるよ。実は《マリオネット・ホリック》は本当の力を隠すための偽装に過ぎないんだ。これが僕の本当の力だよ」
テーブルの上のデバイスを手に取った僕は、
「か、返しなさい!」
彼女を無視して床に強く叩きつけて踏みつけた。液晶画面が割れて飛散していく。
「僕の異能はね、ただ単に電気信号を送って体を操るだけじゃないんだ。奴らの姿を視ればもう答えは分かるだろ? 脳から送受信される電気信号はそんなモノじゃない。君も知っている通り、視覚も、聴覚も味覚も触覚も、痛覚も、呼吸も拍動も、喜怒哀楽も愛も夢も希望も勇気も、全て電気信号であることをッ! 僕はそれを異能で再現しているのさ、アハハ……、アハハハハ! 見てごらんよ! 出来の悪い人形共がどんどん壊れていくよ! アハハ! 堪らないね! ランクEだって? 何言ってんだ僕は無敵だ! この異能こそが最強! 誰も僕には抗えない! これこそが僕の本当の異能《アブソリュート・エンペラー》だ! アハハハハハハッハッ!」
「も、もう十分です! テーブルの上の鍵を取って私の手錠を外しなさい……」
「おいおい、随分な上から目線だねぇ」
「なっ……、あなたまさか!」
「当たり前だろ? もう君に従う理由はないさ」
彼女の隣にしゃがみ込んだ僕は、動揺を隠せないでいる無垢な少女の顔を覗き見る。
「さて、君にはこれからスパイになってもらおうかな。僕は無害だったてことを君の上司に報告するんだ。ああ、それからこの手錠も外してくれよ」
「そんな要求に応じることはありません」
「なら、異能を使って言うことを聞かせるしかない……」
「無駄です。私は暴力や脅迫には屈しません」
「ふーん、まあ、僕は紳士だから無理強いはしないよ。君の方から懇願して『やらせてください』とお願いするのをじっくりと待つさ……」
「……一体、何を言っているのですか、あなたは……」
「君さぁ、『北風と太陽』っていう童話を知っているかな?」
少女は答えない。ただ毅然と僕を睨んでいる。その確固たる意志は惚れ惚れとするくらい気高く美しい。まるで穢れのない可憐な百合の花のようだ。
正直に、嘘偽りなく僕はそう思った。
だから、僕は彼女を完璧に屈服させて穢してみたかったのだろう。
「北風は無理やり旅人のコートを脱がそうとしたけど太陽は自ら脱ぐように仕向けたよね」
「……」
相変わらず返答をせず、拒むようにそっぽを向いた彼女の呼吸は荒くなっていた。
視線は不安げに左右に動き、頬は火照り、苦しそうに濡れた吐息が漏れている。落ち着かない様子で誰にも触れられたことのない新雪のような白い太モモを擦り合わせ頻りに動かしている。
僕は彼女の頬に顔を近づけ「疼くかい?」と朱く火照った耳元に囁いた。
すると少女の身体がビクンと跳ね上がる。彼女は耐え忍ぶように歯を噛みしめて目を瞑った。
「さあ……、皇帝主催の宴の始まりだ」