迎えの犬のかしましきかな
同時刻 広島市立大学図書館棟屋上
黒革のベストと同じく黒革のパンツに、ギラギラとラメの入った黒と白のストライプのシャツを着た男は、図書館の屋上で仁王立ちを決め込んでいる。
「キーリト〜♫ オッレッのキィィリトォォォ♫(海よ俺の海よ)」
少し鼻にかかった南米の太陽のような声で、見事なこぶしをまわしながら、機嫌よく歌う。
その声は夜の広島の山に吸いこまれていく。
年の頃ならば20歳くらいに見えるこの男、子連れの母親ならば子供を小脇にかかえて裸足で逃げ出すようなビジュアルをしている。
血の色をした長い髪を、黒いリボンで後ろで一つにまとめており、その瞳は、赤みを帯びた茶色で、眉が異様に太い。
190はゆうにあるその四肢はなかなかの筋肉質でがっちりとした体格をしていて、身体にフィットしたベストからは凸凹が見てとれる。そこからはえもいわれぬ色気さえ感じられた。
『死期執行課 ゼーレン=ヴァンデルグッッ! 応答しんさいっ!』
男の耳にひっかけられた通信機から、女の声が漏れる。
女の声は、前死神長 第一書記官の骸華 リコリスのものだ。頭の悪そうな甘めの声色である。
「あ、もうバレた?」
『バレらいでかっ! 玄鉄課長から丸投げされたわっ! 今、どこにおるんじゃ、コナクソぉ!』
「もー、玄鉄さん、オレっちが何かするとすぐにリコリスにチクるから〜」
言いながら、ゼーレンは通信機を耳から取ると手でプラプラと弄ぶ。
『昔のよしみとはいえ、玄鉄さんに丸投げされるこっちの身にもなりんさいや!』
「オレっち、総務とか絶対イヤ〜」
『サボっとらんで、さっさと現場に行きなさいって!』
「えぇ? ヤだよ。
オレ、もう迎えに来ちゃったもん? 広島市立大学ゥ〜↑↑」
細く吊り上がった唇から、八重歯がギラリと覗く。
通信機の向こうで、骸華の空気が凍りつく気配がした。
『ッッッこのキリト信者がぁッッ!
マジ勘弁してよ。ほんとそーゆーとこ大ッキライなんだけどっ!』
女性特有のキィンとした黄色い声に、ゼーレンはゲジゲジの眉をひそめる。
「あんまりカリカリすんなよ、第一書記官」
『貴方がAシティの回収作業ブッチするけぇじゃろ! そもそも、いつどこでその情報仕入れたん?? まだそれ機密情報なのになんで貴方が知ってんのよぉ!?』
リコリスは、広島弁でまくしたてる。
「だってさ、アイツだろ? アイツったら、アイツだろ??」
そんなリコリスの怒りなどおかまいなしに、ゼーレンの瞳はギラギラと輝いている。
その瞳はルビーのようだ。己の意志に嘘をつけない、真っ直ぐな光を孕んでいた。
『お願いだから、仕事してっ! 貴方に聞かれるなんて、骸華、痛恨のミス! ああっ!』
リコリスは通信機越しに悶えている。
「あの『死神長のキリト』が復活するってんだから、」
言って、ゼーレンは図書館の二階のコリドールから図書館屋上へと飛び移る。並の身体能力ではない。
「オレっちが迎えに行かないで、誰が行くってのさ♫」
ひゅう、と風がゼーレンの赤髪をすくっていく。
『困るわよ、貴方、物事にはね、色々と段階ってのがあって』
「あ、あそこにいるのは、もしや、我が君♫ キリト! 後ろ姿も変わらないなぁ! 電話をかけている姿もカッコいいぜ〜!」
ここで骸華に残念なお知らせである。ゼーレンは、霧人を見つけてしまった。
「話を聞かんかい、このバカ猿がっっ!
その大学には今、あの特務のじゃじゃ馬が向かっ……』
「じゃあねーん、書記官♫ 20年ぶりの邂逅だ。胸が踊るぜぃ!」
『ちょっ、頼むけ、情報学部には近づかんといてよ?!』
「ほいほーい♫」
ゼーレンは、すこぶる適当にそう答えてから、一方的に通信を切った。
「さてと、愛しのキリトをお迎えにいかなければっ!」
赤髪の男は、一目散に国際学部棟の方へ走りだした。
宵闇の中へとーー。