はじまりの夜
ぶぅん!
爆発音に続く熱風に、霧人は両腕を盾にして耐えた。
「なにが起こった!?」
霧人の脳裏には、先ほどのセーギノミカタの姿が焼き付いている。
胃袋の底から罪悪感が湧き上がってくる感覚を覚えて、霧人は腹をおさえる。
「大丈夫かぁ? キリト〜↑↑」
語尾上がりのチャラい声色は、霧人の前から聞こえた。繁華街のホストのようなしゃべり方をする奴だと霧人は思う。
薄目を開けて見た視界には、自分を庇うように身を盾にしているゼーレンがいた。
「な、お前!?」
「ゼーレンだよ。俺は、ゼーレン。
ケガ、ないかぁ? キリトぉ?」
赤みを帯びた茶色の瞳を細めて、へらりと笑うゼーレン。
「大丈夫だ。ゼーレン」
名前を呼ばないといけない気がした霧人は、その男の名前を呼んだ。
「そりゃあよかったぜぇ↑↑」
ゼーレンは、ゲジ眉をへの字にして、切なそうにはにかんだ。
「一体、何が起こったんだ?」
「自爆したんだろうなぁ〜」
ゼーレンの声は投げやり気味に言う。
爆風が収まり、霧人とゼーレンはセーギノミカタがいた方に歩みを進めた。
コンクリートが黒くこげている。
直径30センチほどの楕円形のこげだ。
一人の人間は跡形もなくなくなっていた。
「自爆した? なぜ?」
霧人は困惑している。
「捕まったら特務の拷問だろ?
俺は耐えれないね。死んだほうがマシさぁ」
「……そんな」
ぺたり、と霧人はその場に座り込んだ。
骨も残らないほどの爆発である。
国際学部棟の入り口の自動ドアは破壊されていたし、そのドア枠もすっかり歪んでいる。列をなしていた公衆電話群は霧人とゼーレンがいる付近にある2台を残して吹っ飛ばされてしまっている。
ジリリリリリリリリリリリリリリ
非常時を察知して、非常火災ベルが鳴りはじめた。
丸腰に見えたが、なにか手榴弾でも隠していたのだろうかと霧人は推測する。
(確かに、『助けて』と言っていた。俺に。そんなやつが、自爆するか?)
突きつけられた非日常に脳の回路がはちきれそうになりながらも、
爆発した男に祈るように、自身の心の乱れを無理矢理おさめるように、霧人はまぶたをゆっくりと伏せた。
「おいぃ……、あいつ、特務が追ってた奴だろぉ? 殺人者に祈るのかよぉ」
そう皮肉っぽくいうゼーレンの口は右に不自然につりあがっている。
「あららぁ、キレイにいなくなっちゃったわねェ」
天から降ってくる空子の声に、霧人は顔を上げた。
黒髪の女は、コリドールの外灯の上に腰を掛けて、足を組んでいた。
とっさに飛んだにしても、並の身体能力ではない。かなり至近距離にいての爆発だったにも関わらず、空子に目立った外傷はなかった。
「空子、ケガは?!」
霧人の声がコリドールにこだまする。
「そんなヘマしないわ。
それより、このままだと管理課の人が来るわね」
「管理課、須藤さんか……」
事情を話して、わかってもらえるだろうかと霧人は思う。どう考えたって説明しても理解して貰えそうにないと思った。
「そんじゃぁ、俺っちはドロンするぜ!」
バカ明るい声の退散宣言は、ゼーレンからだった。
「へぁ? この状況で単独離脱とかマジか」
非難する霧人に耳もくれず、
「フォルトゥナ〜、足止めしといた借りは、返してもらうぜぇ↑↑?」
と、捨て台詞を吐くと、一度深く踏み込んで大きく飛んだ。
「じゃあな、俺のキリト! 近々また会うことになるぜ! 楽しみにしてるぜ、マイスィィート〜ゥゥ♫」
明るく言いながら、ゼーレンは闇の中に消えていった。
「えぇ……? ホントに帰りやがった」
これには、霧人も呆然とするしかない。
「相変わらず、気持ち悪いわね」
空子は霧人の横に飛び降りると、去っていったゼーレンに、ゴミでも見るような蔑みの目を向けた。
「すぐには来ないわよ。情報学部棟の円谷研の方に行っているはずだから」
と、空子はいう。
「なぁ、空子」
「なぁに? 赤猿のスイートさん?」
空子は、地面に視線を落とす。
何かを探しているようだ。
「やめろよ。誤解だし」
「随分な懸想のされようだったけれど?」
「俺はノーマルだ!」
霧人はムキになって抗議した。
「クスクス」
「何を探してるんだ?」
霧人に流し目を寄越しながら、
「チップ」
と、答える空子。
「チップ?」
「あー、日本人の体内に埋め込まれてるのよ。生態チップ。個人情報がつまってるの。まあ、残ってないでしょうけど」
「なんだって?」
霧人は衝撃の事実に目眩がした。
「……藍統? やられたわ。ええ、霧人は一緒にいるわよ……了解」
霧人の困惑ぶりなどおかまいなしに、空子は耳にひっかかった通信機で会話をはじめた。
蝶の羽をモチーフにしたそれは紫色をしている。外灯の光を受けて、羽の部分がキラリと光る。
「うちのボスが、あんたをご所望よ」
通信を切断した空子は、含み笑いをしながら霧人にウインクしてみせる。
「拷問は勘弁なんだけど」
「それは、あんたの出方次第ね」
「うへぇ」
霧人は、逃げられないことを察してため息をついた。
爆破された公衆電話を見やる。
手前のかろうじて残った2台を見ながら、今が夏休みでよかったと思う。
見上げた空に、光はなかった。
「今日、新月かよ」
タバコを吸いたいという霧人のワガママは、空子にあっさり却下された。