第四十九話「資質」
――聖樹ユグドラシルの根元――
「お、おい……こんなので本当にユグドラシルの葉が手に入るのかよっ?」
一番下にいるジャンボが、その肩に乗ったアイザックに問いかける。
「おう、この重量で剛力を使って跳べばかなりの高さになるだろうよ」
「レ、レティーちゃん怖くないっ?」
「なはははははは、お任せあれなのだー!」
アイザックの肩にアリスが乗り、そのアリスの肩に縄を巻き付けたレティーが乗っている。
エメラルダは露店と露店の間にある仕切り用木材に掛けた網を不安そうに見守っている。既にこの騒ぎにギャラリーも出来つつある。
「ところで……エメラルダが持ってるさっき買った大きなタオルは何に使うの?」
「そいつぁ内緒だ。ま、今は跳びあがってレティーを放り投げる事に集中しな。ここが枝に一番近い位置だっていう話だしな。おう、ジャンボのにーさん、準備はいいかいっ?」
「ふんっ! おぉ、もうなるようになるしかねぇな!」
剛力を発動したジャンボが鼻息荒く応える。
「よっと!」
「はぁっ!」
「なのだ!」
アイザック、アリス、レティーもそれに続き剛力を発動した。
ジャンボがゆっくりと駆け始め、そして速度を上げていく。網が掛けられた露天の上へ跳び乗り、そこから高くユグドラシルの枝に向かって跳び上がった。
勿論、届かない。が、上昇するジャンボが失速する手前、その最頂点に達した時、アイザックの足を掴んで真上へと放り投げたのだ。
「ぬおりゃっ!」
「おっしゃぁっ!」
その力と、アイザックの跳躍が合わさり、更に高くへと舞い上がる。既に幹の三分の一程の高さを越え、上昇臨界点を見定めたアイザックがアリスを真上に放り投げる。
「頑張りな、アリスちゃん!」
「はぁっ!」
またも跳躍。アイザックから渡されたバトンが、アリスの力へと変わりユグドラシルの幹の三分の二程の高さを越えた頃、その力の限界を見る。
アリスがレティーを投げ、その段階でレティーが跳び上がりながらロープの先端をくるくると回し始める。残り十メートルというところで上昇速度が緩やかになり、レティーは思い切り枝に向かってロープを投げた。すると枝にまで先端が届き、アイザックの狙い通りしっかりと枝に絡みついたのだ。
アリスがアイザックとジャンボに受け止められている時、がくんとレティーの身体に衝撃が走った。すぐにその縄を登り、小さなレティーがその巨大な枝に足をつけたのだ。
地面にまで届く程の長さのロープを下に向かって放り投げた時、根元のギャラリーから大きな歓声があがった。
「ほ、本当に届いた……」
「ま、もっと簡単な方法もあるんだが、それを見せちまうと面倒な事になりそうだからな」
「そんな事まで考えてたの?」
「ったりめぇだ。危ない奴等が簡単に実行したら大変じゃねぇか」
「はん、どうやら悪い奴じゃなさそうだな」
ジャンボが飄々としたアイザックの中にその本質を垣間見た時、ようやく警戒心を緩めた。
エメラルダは、枝に乗るレティーを見上げるアイザックを見て、何か胸に熱いモノを感じていた。ほんのりと頰を染めるその様子に気付いたのはアリス一人だった。その当人はアリスがくすりと笑うのに気付かなかったみたいだった。
その時、はるか上にいるレティーの身体が白く光り始めた。
「なっ!?」
「なははははっ!」と笑う声だけがこだまし、レティーの姿はユグドラシルの根元にいる皆には見えなくなっていた。
しばらくすると、レティーが消えた枝の辺りからひらひらとユグドラシルの葉が落ちてきた。
すると、まるでお金が落ちてきたかのように周囲の人間達はその葉に向かって走り始めたのだ。これは面倒だと判断したアイザックは素早い動きでその葉を取り、木の上にいるであろうレティーに大きな声で言った。
「レティー、落とさず持って下りて来いっ!!」
大きな返事だけが聞こえる。アイザックはロープを握りその場に待機していたジャンボに取った葉を渡した。そしてその横にいたアリスに話しかけた。
「よう、これで太郎の情報を教えてくれるんだろ?」
「そうね……けどこれは私が最後に見た太郎の情報だからね。それからだと一ヶ月は経ってるって事を念頭に聞いて頂戴」
「あぁ、勿論構わねぇよ」
「大地の国アスラン。中央南にリンマールという村があるわ。そこから北に数キロ程にある洞窟に、チャールズという竜と一緒に暮らしているはずよ」
「リンマールの数キロ北……ね。オーケー、サンキューな、アリスちゃん」
太郎の情報をアイザックに渡し終えたアリスに、ジャンボが肘でこつんとつついた。
「おい、本当に良かったのか? タローの情報渡しちまって?」
「アイザックが言ってたでしょ? タローの胸の黒子の話。確かにあったのよ、タローの胸に四つの黒子がね。それにあの性格で子供にも好かれてるし、悪い奴じゃないのは私にもわかるわ」
口から掠れた息をヒューと出したジャンボが少し前の自分の考えに反省する。
(…………なるほどね、善悪を判断出来る勇者様、か。いいじゃねぇか)
アリスの肩にポンと手を乗せ、キョトンとする顔に微笑みかける。
「な、何よ気持ち悪いわねっ」
「なぁに、ちょっとした親心だよ。はっはっはっは!」
「こんなに大きな親はいないわよ」
ジャンボが更に大きな声で笑う。と同時にレティーがゆっくりとロープを伝って降りて来た。
「アイザツクアイザツク、楽しかったのだ! もう一回、もう一回なのだ!」
「よぉし、今度また放り投げてやろう」
「本当かっ!?」
「あん? 折角登ったのにあんまり採って来なかったんだな?」
「たっくさん採ろうと思ったのだ。そしたら頭の中で『それ以上採るな』と言われたのだ!」
「あぁ、レウス様の声だろうな。……って事はここにはレティーが採った数分しか必要な人間がいねぇって事だよ」
ジャンボが腕を組みながら周りを見渡して言った。
「ちょっと、それよりもなんでレティーちゃんは服を着てないのよっ!?」
「ほれ、エメラルダ」
エメラルダがレティーに近寄り持っていた大きなタオルで彼女の小さな体を包み込んだ。
「おぉ、太陽の匂いなのだっ」
「もう、こんな事になるのでしたら服も買うべきでしたわ……」
服を着ていないレティーに疑問の眼差しを送っていたアリスを横目に、ジャンボはアイザックを見た。
その視線の先にはレティーから受け取ったユグドラシルの葉があった。
「配るんだろ、それ?」
「あぁ? 売るんだよ。金はあるに越した事はないからな」
「ちょっと、いいじゃないのあげたってっ。それにこのロープだって……え?」
アリスが枝に掛けられたロープに少し触れると、遥か上空からその先端が降ってきたのだ。とはいえ、かなりの衝撃を思わせる落下速度の為、下にいた人間達はすぐに離れた場所へと避難した。
「な、なんでよ……」
「はっ、さぁ……なんでだろうな?」
アイザックの顔にも少しの『?』を見てとれたアリスは、彼の仕業でない事を知る。
(これもレウスのやり方か。ま、気にくわねぇがそれが世界の仕組みってんなら仕方ねぇな)
「……で、本当に売るの? それ」
「当然だ」
アリスはこんな人間もいるのかと、深く溜息を吐いた。
アイザックは自分とアリス以外のユグドラシルの葉を分けると、看板を出していた男共に売ってまわり始めた。勇者ならば無償で配るのだろうが、彼はそんなに品行方正ではなかった。その後、革袋にどっさりとお金を詰めた彼と、火の国イグニスの王フリードを治す為にユグドラシルの葉を手に入れたアリス達は、その場で別れる事にした。
「いやー、美味かったなここの酒は! 苦労した甲斐があったぜ」
「ハッハッハ、それには同感だな。毎度ここの酒には世話になってるぜ!」
酒気を帯びたアイザックとジャンボが笑いながら肩を組む。
「確かに美味しかったわね。お土産に買えないのが残念だわ」
「お父様の許しがあれば私も飲めましたのに……」
「アイザツク! 何故アタチに飲ませてくれないのだ!」
「青少年への影響を考えた結果だ! その乳をでかくしたかったら飲まずにいるべきだな」
「おぉ~、そうなのかー!」
レティーがタオルの中を覗きながら言った。
アリスとエメラルダも聞かないふりをしながらもアイザックの話に耳を傾けていた。
「そんじゃあ俺らは帰るわ」
「私も火の国に戻るわ」
「タローと会えたなら次は大地の国アスランで会えるかもな!」
「え、どうしてよジャンボ?」
「勇者の統一トーナメント、太郎も観に来るって言ってたぜ」
「ちょ、初耳よそれ!」
「あぁ、だって初めて言ったからな」
ムッとした様子でアリスがジャンボを睨む。逃げるようにジャンボが走り出した。アイザック達に手を振りながら。
「そんじゃあまたなー!」
「ちょっと、待ちなさいジャンボッ! もうっ」
「ははははは、お前達良いコンビじゃないか?」
「ふんっ。……またどこかで会いましょう。タローに会ったら言っときなさい。『強くなった私を見せてあげる』ってね。じゃあね!」
ジャンボの後を追うアリスを三人が見つめる。
既に日は傾いているが、太陽光を背に浴びながら駆ける二人に、エメラルダは眼を輝かせていた。その様子に気付かないアイザックではない。
「どうしたよエメラルダ?」
「あ、え……その……じ、自由というのは羨ましいものですわね……」
アイザックはくすりと笑って冒険者に憧れを抱く彼女の心を知った。
貴族とはいえ活発な夢多き少女。そんなエメラルダの背中を彼の手の平がぽんと置かれる。一気に紅潮する頬は夕暮れに混ざってアイザックにさえ気付かせなかった。
「さぁ帰るぞ!」
「帰るのだ帰るのだー!」
「ま、まったく、貴族に手を触れるとは躾のなってない男ですわね!」
「はははは、また遠出して扱いてやっからよ! ま、この帰り道も気ぃつけなくちゃいけねーがな!」
「頑張るのだ!」
「楽勝ですわ!」
三人は気合いを入れ、意気揚々と歩を進めたのだった。




