第四十七話「聖樹」
――聖樹ユグドラシルの根元――
幹周八十メートル、高さ百二十メートルと言われる巨大な木、ユグドラシル。
七十メートルは上にあるユグドラシルの葉は、緑に輝き、天にある太陽を吸収しつつ透き通るように光を映している。
根元には簡易食堂や雑貨屋、酒場等が展開し、その賑やかさにエメラルダの挙動がおかしくなる。
その場に着いたアイザックは、首が疲れる程ユグドラシルを見上げ、レティーにいたっては大の字で仰向けになっている。
「なはははは! でっかいのだ! でっかいのだー!」
「ああ、確かにこいつぁでっけぇな……」
「なんなのよこの人だかりは……? ストールの市より賑わってるじゃないっ」
三者三様に驚いて見せたメンバーだが、その反対側では別の意味で人を驚かせる女がいた。
大剣を背負うジャンボが恥ずかしそうにその女に声を掛ける。
「お、おい、やめろって!」
「ぐぐぐぐ、後……六十メートルッー!」
懸命に木をよじ登ろうとしている女、アリスがいた。
その下ではアリスを心配するジャンボの姿。そしてその周りには珍しさからか人が集まって来ている。
「も、もう……無理っ……」
アリスは木から手を離し、ジャンボの腕の中にどさっと落ちる。その顔はいかにも不満、という様子だ。
「だから言ったろ? マスターランクかプラチナランクの限られた連中しか登れねぇんだってっ」
「わ、私はメタルランクよ!」
「いつから最上位ランクがメタルになったんだよ」
「むぅううっ」
頬を膨らませてユグドラシルを睨む。
「ならどうやってユグドラシルの葉を手に入れるのよっ」
「ほ、ほらあそこを見てみろよ」
ジャンボが指差した先には、数人の男が看板を持って立っていた。
その真新しい看板に彫られた文字にはこう書いてあった。
《求むユグドラシルの葉! 報酬十万レンジ》
《ユグドラシルの葉を譲って下さい! 十万レンジ》
《十万五千レンジでユグドラシルの葉を買い取ります!》
どの男も必死に声を掛けている。万病に効くと言われるユグドラシルの葉。それをとってこれる人間は限りなく少ない。
常にユグドラシルの木にいるわけもない実力者を求め、こうして大きな声を掛けているのだ。
「……皆、大切な人の為に葉を求めているのね」
「そういうこった。気を利かせた勇者なんかがたまに来てとってくれるらしいぜ? ただ取りすぎはレウス様に怒られるって事で、その数は欲しい人数分ってのが常識だ」
「その欲しい人ってのが悪人だったらどうするのよっ?」
「とるのはほぼ勇者、それもここを登れる程の勇者だぜ? それ位見破れるってーの」
「な、なるほどね……」
「こいつには無理だろうな」と思うジャンボに罪はない。
成長したとはいえ、アリスがまだまだ手の掛かる勇者である事に違いはないのだから。
「さーて、俺達も看板だそうぜ?」
「う、うん」
現状それしか手がなかった二人は、このユグドラシルの木の根元で商売になると言われている看板屋に向かった。
その反対側では――
「なにぃっ? 酒がないだぁっ!? それは一体どうしてなんだよっ!」
「す、すみません。ユグドラシルの葉が一枚あればすぐに提供出来るんですが、昨日切らしてしまいまして……」
「おいおい、葉一枚で一杯とかコスパ悪過ぎじゃねーかっ! ユグドラシルの葉ってのはめちゃくちゃたけーんだろ!?」
「い、いえ、お酒自体に葉を一枚沈めるだけで一ヶ月分のお酒を出せるんですっ」
アイザックはイラついているような仕草で頭を掻く。
「ちっ、なるほど。そーゆーカラクリか……」
「申し訳ございません……普通のお酒なら出せますが……?」
酒場の店主はアイザックに頭を下げながら言ったが、彼はそれを良しとしなかった。
「ユグドラシルの葉がありゃうまい酒にありつける。こういう事だな?」
「え、えぇ」
「葉を持ってきたら……タダ酒だからな!」
「そ、そりゃもう勿論ですっ」
「レティー!」
「なんなのだ!?」
「木登りの時間だ……」
「おぉ!」
その眼の意思は固く、アリス以上の気迫を見せたアイザックは、ゆっくりと酒場を出て行った。
酒場を出た二人は、外に待たせていたエメラルダと合流する。彼女は座りながら丸く甘い匂いのする焼き菓子を頬張っていた。
「あ、あなはらひっ」
「……あんまり欲張り過ぎると太っちまうぞ?」
何個も口に入れていた焼き菓子を急いで咀嚼して喉を鳴らす。
「うっ……はぁ……」
「お疲れさん」
「お疲れさんなのだ!」
「あ、あなた達、戻って来るのが早いんでなくて?」
「目当てのモンがなかったんだよ。おう、ちっとばかし買い物行って来いや。レティー、お前もお使いだ」
「な、なんで私がっ!」
「なに、社会見学と勉強だと思え。それとも何か? 買い物すら出来ねぇのか?」
エメラルダを小馬鹿にするようにアイザックは言った。
彼の思惑通りか単純なのか、それに反応しないエメラルダではなかった。
「か、買い物位私にも出来ますわっ!」
「おし、いい子だ。レティー、金はこれだ」
「これかー!」
「いいか、ちゃんと覚えろよ?」
そう言いながらアイザックは買ってくる物を二人に伝えた。
そして二人が雑貨市の方へ向かうと、アイザックは周囲を見渡しながら歩き始めた。
(さて、後一人か二人……メタルランク以上の人間が欲しいとこだな……。ここまで賑わってるんだ、一人や二人いてもおかしくないんだが……ん?)
幹の周りをぐるりと回っていたアイザックは、先程アリスが見た看板を出す場所へと出た。
「ほぉ、なるほどな」と呟き、目当ての人間がいないとわかると、その足先をまた幹の周りへと向けた。が――
「まっさか値段を彫るだけで他の文字は粗方決まってるなんてねー」
「まぁな、作り溜めしときゃ後が楽だ。実際あの看板屋、結構繁盛してるみたいだぜ?」
「ふーん」
早々に看板を購入出来たアリスとジャンボが、アイザックの隣を横切った。
いち早くピクリと反応したのはアイザックとジャンボ。
ジャンボはアイザックの抑えられながらも体から滲み出る異様な戦闘力を警戒し、対してアイザックはそのジャンボの戦闘力を見抜いたのだ。ジャンボが看板を持ちながらも剣に意識を向けた時、アリスがようやく気付く。
瞬間、二人がアイザックとの距離を一瞬にして離した。ナイフに手を置いたアリスの背中にヒヤリとした汗が流れた。
「な、何者よっ」
「おいおい、いきなり喧嘩腰でどうすんだよ」
「でもこの男異常よっ」
異常と言い放ったアリスを背に、アイザックはポケットに手を入れながら、ゆっくりと後ろ向きに歩き始めた。どこかおかしいその歩き方にアリスの顔が引きつる。
アイザックの身体はまるで前に進むように後ろに向かって来たのだ。
「き、気持ち悪過ぎでしょ! なんなのあの歩き方っ?」
「う、上手いもんだな……」
「なんで褒めてるのよっ」
二人の間を割るように後ろに進むアイザック。その姿を目で、身体で追った二人は、やがて三人は対面する形となった。
「俺様のムーンウォークを気持ち悪いと言うんじゃねぇよ。お嬢ちゃん」
くいと顔を上げた男は、片目を瞑って笑顔を繕った。
先程までの異様な空気を取り払うかのような笑顔。これにアリスが少しだけ警戒を解く。
ジャンボは看板を肩から降ろして様子を見る。
アイザックは嫌な視線にならない為、一瞬にして二人を観察した。
(大男……俺と同等、もしくはそれ以上。悪くないバランスと警戒力。女が警戒を多少解いてもこいつだけは剣から意識を反らさなかった。こりゃ相当な経験を積んでやがるな。対して女、この歳であの戦闘力は中々だが、甘さと経験不足が滲み出ている。ナイフから手を離した時…………ナイフ? ちょっと待て、あのナイフどこかで――あ)
「気安く呼ばないで頂戴!」
「あ、あぁすまなかった」
意外にもすぐ謝ったアイザックにアリスは毒気を抜かれる。
「な、なんか用かしら? 私達――」
「なぁ君」
「なっ!?」
一瞬にしてアリスの目の前に移動していたアイザックがしゃがみ込みながら声を掛ける。
声が聞こえるまで気付かなかったアリスと、目では追えたが身体が反応しなかったジャンボは、互いに別の意味で驚いていた。
ここでジャンボが初めて剣の柄を握る。
「お、お前ぇ、アリスから離れやがれっ!」
「へぇ、アリスちゃんって言うのか」
「ちょっとジャンボ、何勝手に名前教えてるのよ!」
「で、お前がジャンボか。挨拶が遅れたな、俺様はアイザックっていうもんだ」
「んなこたいいから早くアリスから離れろ!」
「そんな警戒すんじゃねーよ。別に何もしねーよ」
アイザックはそう言いながら立って両手を軽く上げて見せた。その後その手を腰に置いてアリスの腰にあるナイフを指差した。
「アリスちゃん、頼みがあるんだが……そのナイフ、見せてくれないか? 俺様の連れの物かもしれないんだ」
「つ、連れ……?」
「そのナイフは《テックボウイナイフS10B》って言ってな、この世界にゃ存在しないブランドなんだよ。俺様が連れにプレゼントしたもんだ。それは拾った物か?」
懐かしそうに語るアイザックの目に、アリスは忘れ得ぬ男の存在を思い出す。無様な姿を晒し、自分に厳しい言葉を放って一瞥した男の名前を。
「あ、貴方……タローの知り合いなの?」
大変申し訳御座いませんが、【転生したら孤児になった!魔物に育てられた魔物使い(剣士)】第二巻執筆の為、更新が遅れております。
ご理解頂ければ幸いです。




