第四十五話「天才」
――太郎のセーフハウス――
泊まる場所に悩んでいたライトは、『一泊の宿を提供する代わりに訓練をつけてくれ』という理由で、太郎のセーフハウスに案内されていた。
チャールズはここ最近、外で過ごすようになった。寝ぼけて吐くブレスで、『焼死体になる』と太郎に怒られたからである。
小さな蝋燭が何本も並び、その中に寝所となる空間がある。中にはベッドやテーブル、三脚の椅子、端には箪笥も置かれている。どれもチャールズお手製のものだ。
そしてライトは目にする。一脚の椅子に女性が座っていたのだ。
「あれ、タローのお兄さん……この方は奥さん?」
「あら、タローさん……この口のお上手な方はタローさんの隠し子ですか?」
太郎が大きく溜め息を吐く。
饒舌に太郎を苦しめたのは、通い妻のような仕事をしているセシルだった。
「この女は勝手に居座ってるだけだ。それに俺はまだ二十八だ」
「あら、そんな年齢だったのですね。もっと若いのかと思ってましたわ」
「あ、初めましてライトです」
ちょこんと頭を下げるライトにくすりと笑うセシル。
「まあ、タローさんにはない教養ですね」
「ふん、地下を案内する。こっちだ」
テーブルの奥には、床に入り口がある地下室への階段だった。
太郎とチャールズはこの一ヶ月の間に、この地下室を完成させていた。
そこは少し湿気臭いが脱出口としては申し分ない場所だった。
床には一組の布団が敷かれ、そこには女物の小物や衣服がたたんであった。
ライトは一目でそれがセシルの物だとわかった。
「あ、僕もここで寝るの?」
セシルとの同じ空間での睡眠を危惧したのか、ライトは太郎に質問をする。
「……いや、ライトは上で寝ろ。今日は俺がここで寝る」
嫌悪感を顔に出すのを堪え、太郎は客人にベッドを提供する。
「ははは、本当に面白いねー、タローのお兄さんは」
その心内を読み取ったのか、ライトが笑った。
今度は鼻で溜め息を吐いた太郎は、入り口の反対側にある天蓋を指差した。
「緊急時はあそこから逃げれる。ライトに限って滅多にない状況かもしれないがな。まあ用心の為だ」
「へぇ、中々良い場所だねー」
クルリと回り、今一度地下室を見渡す。
「洞窟の裏には湧き水が出ている。そこも好きに使え。支流を作って泉が二つあるが、一つはミルク等の保存用だ。そっちも勝手に飲むといい」
「下手な宿よりよっぽど快適だね。これは教え甲斐があるかもねー。ははははは」
頭の後ろで手を組んでまた笑う。
「さ、もう良いだろう。早速お相手願おうか?」
「うん、いいよー」
剽軽に答えるライトからは余裕が窺えたが、太郎の表情はいつもより硬かった。
外で待っていたチャールズとセシルは、洞窟の上にあるベンチに座り、二人を見下ろすかたちとなっている。
ライトと太郎は互いに対峙している。未だに呑気な様子だったが、太郎が腰を落とした瞬間にそれは殺気へと変わった。
(ほぉ、無手での試合とは言え、互いの殺気は凄まじいものがあるな。太郎め、ここまで殺気を出すと言う事は、正面からのぶつかり合いを望んでいるな? プラチナランクに相手をしてもらえるとなると、そう思って然るべきか。さて、どうするライト?)
「凄い殺気ですわね」
「この殺気の中逃げないお主も凄いと思うぞ?」
「うふふ、光栄です」
セシルが微笑みかけると、チャールズも参ってしまう。あっけらかんとし過ぎていて、どうも調子が狂うのだろう。
そんな中、太郎とライトの距離が徐々に近付いていく。
「……全力でいかせてもらう」
「うん、ビンビンと伝わってくるよ……」
「ふっ……!」
初速の数歩、太郎は地面を踏み抜いた。瞬く間にライトの背後に回り、首裏に肘鉄を放つ。
しかし、何事もないかのようにライトは後ろ手の平でそれを受け止めた。
止められる事がわかっていた太郎はそのまま屈み、膝裏に蹴りを放ち、ライトの重心をカクリと下げた。
額を掴み、そのまま後頭部を地面に叩きつけようとするが、ライトはそれに逆らわずくるっと背面に飛び、その重心を取り戻す。
「凄いや。人間の壊し方を知ってるね……」
太郎は無言で更なる攻撃に移る。
しかし直進し、威力こそあるが単なる右のストレート。これにはライトも拍子抜けしたのか、キョトンとしてそれを受け止める。
ライトの手に拳が収まった時、彼は不思議な感覚に捉われた。
「……あれ?」
ライトの片膝が地に突いたのだ。
何故そうなったのかは頭で理解出来なかったが、そこは彼の天性の才能が反応した。倒れそうになるのを彼自身の身体がそれを止めた。
(合気でも完全に崩せないか。一体どういうバランスをしているっ?)
尚も太郎の攻撃は続く。崩れた姿勢は格好の的となり、ライトの頭はボールかの如く蹴り飛ばされた。
しかし、後方の木の側面に着地したライトは、全くダメージがない。
太郎はダメージがない事よりも、その技術に驚愕した。
(あの絶好の位置で何故力を逃せるんだ…………天才めっ)
トンと地に降りた天才が手を叩く。
「す、凄い凄いっ! 何アレ、どうやったのっ!?」
未知なる力に驚きを隠せないライトは、太郎の技術を絶賛した。
褒められながらもその技術が通用しなかった太郎は、ギリと歯を鳴らす。
「合気を破る上にあの蹴りも防ぐか。かくれんぼをしている魔神殿のようだな」
「レウス様ですか?」
「卑怯……というより何でもアリ、という感じだな」
「うふふふ、ではピッタリですね」
始終を見たチャールズが呟く。その呟きをしっかりと拾うのがセシルである。
「……ダメージは狙えんようだな」
「はははは、痛いのは嫌だからね。ここまで気を張るとは思わなかったよ」
「仕方ない。今日は正攻法での鍛錬に集中しよう……」
「構わないよ、タローのお兄さん」
ニコリと笑ってパッと両手を出すライト。
先程と同じように太郎が真っ直ぐに向かい、真正面から強烈な連打を放った。
パパパパパパパパパァンッ
激しい音が鳴る。しかしその全てはライトの両手で弾き落とされている。
コンビネーションの鍛錬や、ライトの動きをよく観察する為に、ダメージを狙うのを諦めたとライトは思った。だが、その判断を太郎に下すのはまだ早かった。
殺意の無い右掌底がライトの受ける手に触れたその瞬間、全身の捻転を力に変えて心の内から衝撃を放った。高さ、大地、筋肉の収縮、気合、その全てがブレンドされた掌圧は、ライトの手から肘、肘から肩へと伝わった。
「……っつー!」
その言葉と共にライトは右肩を押さえる。
「なっ! 太郎め、発勁まで使えるのか!」
「なんですか、そのハッケーって?」
「簡単に言うと、全身の力を余す事無く一点に集中させる技……だな。それも一瞬でな。それに太郎は捻りや大地の力も加えている……あやつも稀に見る傑物か」
「まあ……」
ガコン!
ライトの肩から鈍く響く音が聞こえた。
「あいててててて、肩を外されちゃったよ……ん……ん! よし、治った!」
腕を振り完治をアピールするライト。
太郎は呆れて溜め息を吐く。
「あれで肩が外れるだけか。天井知らずのタフネスだな……」
「もうっ、まさかまだダメージを狙ってたとはなー!」
手を腰に置き剥れるライトは、プイとそっぽを向く。
「何を言う? あれも戦術の一つだろう? 意識を戦闘の外へと追い出すのも、己の思惑に誘導するのも大事な事だぞ」
「むー、確かにー……」
大人が子供に諭すように太郎が説明し、ライトも納得する。
ここで太郎が真剣な顔をしてライトに質問した。
「…………今の流れでライトは何回俺を殺せた?」
「うわー、ズバリな質問だね。……言っていいの?」
「でなければ聞かん」
「何せ素手だからねー。んー、おそらく八回、いや九回かな?」
「九回か……なるほど、夜の鍛錬を増やすか」
その答えにライトの顔がキョトンとなる。
束の間、ライトは盛大に吹き出してしまった。
「あははははは! その反応は予想出来なかったなぁー!」
「目標が出来たんだ、次に会う時にはその数を減らせるようにしなくてはならないというな」
「そうだね、明日には僕もアスランまで行っちゃうからね。ランクも上がればそれだけ差も縮まるし、太郎さんなら良い暗殺者になると思うよ」
「ほぉ、俺の天職がわかったのか?」
「さっき言ったマスターランクの知り合い……だった人がね、暗殺者だったんだ。雰囲気というか感覚でわかったよ」
ライトは、声の調子こそ落とさなかったものの、その話をすると表情に陰りが出た。
(親しい者だった……という事だ。しかし、どういう事だ? 確かアイツが――)
「ま、そういう事だよっ」
太郎の思考を止めるように明るく装ったライトは、すぐに元の表情へと戻していった。
「……そう言えばライトの天職はどういったものなんだ?」
「あー、そう言えば言ってなかったか。ユニークな天職でね、レウス様もビックリしてたよ。僕の天職は削除する者さ♪」




