第四十三話「風上」
悪魔と言えば聞こえはよくないが、基本的に人間には無害なようだ。
子供ながらに殺気の出し方や消し方をうまく調節している。もしかしたら俺より殺しの経験があるかもしれないな。
そもそも地球では殺しが日常という異常な俺だったが、この世界オルネインでは、生活の中に殺しが含まれている。一般人がその領域に足を踏み込むケースも珍しくない。
弱肉強食とは言え、己の生存本能が高くないと生き残る事は出来ないのだろう。
その中でもライトはかなりの異質。
なんだこの軽装は。道中旅をしているという話を聞いたが、こんな軽装でこの世界を歩こう等考えられん。
必要な装備と荷物。これこそが生存に必要なものだと確信していたが、ライトのこれは異常だ。
おそらく『どこでも生きていける能力』に長けているんだろうが、方向音痴スキルと合っていないぞ?
まあそれがうまいバランスをとっているかもしれない。
もう片方の首を刈った後、湖に落ちるグルの背中からこちらに跳んで来たライトは、汗などかいてないはずなのに、額を拭ってひと仕事終えたかのような演出をする。
血まみれのスティレットが片手になければ、完全に歳不相応の子供なのだがな。
「ふう、お疲れさまでーす」
「お主、やるな」
「はははは、人並ですよー?」
「あの指弾、フォース操作の応用か?」
「あれ? あれに気付いたのっ?」
ライトが意外そうな顔をする。
「いや、気付いたのはチャールズだ」
「へぇー、チャールズさんって凄いんだー。んーと、あれはね……。フォースと似て非なる技……かな?」
「似て非なる?」
「ははは、これ以上は内緒だよ。下手に覚えたら命に関わるからね。自分で気付いて自分で覚える方が良いと思うよー?」
ピクリとチャールズが反応したが、何かに気付いたのだろうか?
後程聞いてみる事にしよう。
「さて、帰ろうか」
「ああ。だが待て」
「え、なに?」
「出口はこっちだ」
面白い人間発見だな。
一三二○、本時刻を以てミッションを終了とする。
――風の国ストールの町より東、街道沿い――
「ちょ、ちょっと! 一体どこまで行くのよっ!」
「んー、とりあえずユグドラシルの木ってもんを見に行こうと思ってる。その根元にある集落ではうまい酒が飲めるって聞いたからな」
「だからってなんで私も一緒に行かなければならないのです!」
「そうなのだ! お酒は飲んでも苦いだけなのだ!」
「そろそろエメラルダに魔物を経験させてやろうって俺様の先生心ってもんがわからないのかねー? ちゃんと親父さんの許可はとってあんぜ。聖なる木に繋がる街道は安全なルートだからランクメタルの俺様と、ブロンズのレティーがいればノープロブレムだからってな?」
街道を歩くのはアイザック・レティー・エメラルダの三人。
スーズキを介してヴァンヘルムに許可をとったアイザックは、エメラルダに魔物との戦闘を経験させるべく、私情の挟まったちょっとした外出をしていた。
レティーはいつも通りアイザックのパンツの裾を持ちながら歩き、時折入るエメラルダの不平不満に楽しそうに便乗して野次を入れている。
アイザックは、火の国から仕入れた煙草をプカプカと吸っている。
「アイザツク、その煙、臭いのだ!」
「いつも言ってんだろ? だったら離れろってな。それにこりゃ身体に悪いんだよ。長生きしたかったら風上に行きな」
「風上とはなんなのだ?」
「……あっちだ」
そう言って風上を指差すと、レティーは裾をぱっと放し、その方向へ走っていった。
やがて遠目に見えるか見えないかという所まで行くと、大声で叫んだ。
「風上はどこにあるのだー!?」
「もっと向こうだー!」
同じのボリュームだったが、やる気のない返事でレティーを更に遠退かせた。
一連のやりとりを見ていたエメラルダが大きく溜め息を吐く。
「はぁ……あんな小さな子供を……。本当にあなた用心棒なの?」
「お前のな。だからちゃんと近くにいるだろう?」
「けれどもレティーは身内のようなものなのでしょう?」
「レティーは大丈夫だ。放してしばらくしたら匂いを嗅いで戻って来るさ」
「……変な信頼関係ですわね」
顎先に手を添えて不思議がる。
その時、アイザックが吸っていた煙草がピョコンと動く。
「ほれ、ゴブリンウォリアー様のお出ましだぞ」
「ちょっと、嘘でしょっ!?」
アイザックが指す顎先の方向を見ると、確かにゴブリンウォリアーが四匹、走って向かって来ている。
エメラルダの顔に緊張が走る。身体は震え、唇は乾き、喉を鳴らす。辛うじて飲み込めた唾を吐きそうになる。
「大丈夫だ、死んだら線香くらいあげてやる」
「死んだらってっ! あなた用心棒でしょう!?」
「今後の用心の為にお前をある程度強くしとかなきゃいけないんだよ。三匹は受け持ってやる。まずは一匹やってみな」
「く……相手は待ってくれなさそうですわね……」
カタカタと鞘を鳴らしながら剣を引き抜くエメラルダ。
いつもの稽古用の剣より圧倒的に重たい。しかし真剣で稽古をしなかった事がなかったわけではない。
剣を持つ事に抵抗はないが、自身の命が良識によって守られていない今、その剣の重さはエメラルダの腕に更に負担をかけた。
「おらおめーはあっちだ」
「ぎぃいいっ!」
アイザックはゴブリンウォリアーを一匹蹴飛ばし、エメラルダと対峙させた。
残る三匹は小さなダガーをちらつかせアイザックをけん制している。
「落ち付け。実力はトーナメントの初戦レベルだ。難なく倒せたお前なら楽勝だ」
貴族間のプライドをかけたトーナメント。しかし内容はお遊びとも言えるものである。
この緊張感はそんなものではない。命のやり取り。ただそれだけではなく、ゴブリンウォリアーから向けられる純粋なまでの『殺意』が、エメラルダを苦しめた。
物怖じせず魔物に向かえる胆力。エメラルダにこれがない事実を知っていたアイザックは、早い段階からこの状況に慣れさせる事を考えていた。
確かに彼の仕事は用心棒だが、いざ守らなければいけない状況下で護衛対象が状況把握が出来なかったり混乱したりするのが一番困るのだ。
守れる力量、これがあるのに越した事はないが、その限界点を知る事も重要な要素と言える。
「ふぅ……ふぅ……き、きなさい!」
「ぎぃいいいっ!」
「くっ!」
「おいおい、腕だけで受けるな! 腰が引けてる証拠だ!」
剣に己の体重を乗せて攻撃を繰り出したゴブリンウォリアーに対し、エメラルダは腕の力のみで受けた。
絶対的な力の差や、腕力に自信がある場合は別だが、彼女の力がそれに適しているかと言うとそうではない。
結果、エメラルダの姿勢が崩れ、敵にニ撃目を許してしまう。
大きなアクション故大きく隙を作るゴブリン族だが、調子付かせると厄介だ。
続く三撃目も受けてしまい、エメラルダは防戦一方という状態に陥った。
「斬る事を恐れるんじゃねぇ! 恐れは油断を生み、油断は傷を生み、傷は死を招くぞ!」
「はぁっはぁはぁ……か、簡単に言わないでっ」
「ちっ、おら、もう一匹追加だっ」
ゴブリンウォリアーを掴んでエメラルダに投げつけた。
「嘘っ!?」
「慣れだ慣れ! 海兵の新人教育よりはマシだぜ!」
「ちょ、や、くっ……」
「おーおー、かわせてるじゃねーか。もう一匹位いっとくか?」
魔物の攻撃をあしらい続けてるアイザックが、からかい混じりの野次を飛ばす。
返事はない。前にいる敵にだけ集中している証拠であるが、集中する事しか出来ないという様子だ。結果的に二体一作戦が功を奏したと見たアイザックがニヤリと笑う。
「……よし、大分慣れただろう。そこから敵の隙を探せ! お前の速度と敵の限界速を頭に入れてここだと思える場所を斬れ! 攻撃後の回避も頭に入れておけよ! もう既に七回の隙を逃してんぞ! ほれほれ、死にたくなかったらちゃっちゃと動きやがれ! 遅い、お前の最速はまだそんなもんじゃねーぞ! 本番だけお前のスタミナが落ちるわきゃねーんだよ、そんなの心の状態が起こすまやかしだ! 本番程集中すりゃもっと力が出るんだよ! 頭の中で言い訳すんな! ちまちまやってっと首かっ裂かれるぞ! 軸を意識しろ、身体の中心は常に腰だ! 女の特性を意識しろ、お前の身体の柔らかさは人一倍だ、かわし方一つで相手の隙をつけたり油断を誘えるぞ! 計算しろ、算数と金勘定だけが数字じゃねーぞ!」
矢継ぎ早に戦闘のいろはを教え込むアイザック。それに反応はないが、耳で拾える程度の余裕がある様子のエメラルダの動きは、段々と変わっていく。
不恰好ながらかわし、不恰好ながら受け、型を気にせず身体の動くままに。
頭の『こうしたい』を計算し、その過程を身体に任せる。
決して無尽蔵ではないスタミナは相手も同じ。その量は自分の方が多いはず。
確かに現れるその差が、エメラルダに好機を呼んだ。
「ふっ、今ですわ!」
かわしざまに放った斬り払い。
見事にゴブリンウォリアーを二つに分けたエメラルダは、すぐにその後ろにいたもう一匹に迫った。
先程まであった恐れがなくなった訳ではないが、そこに内包する自信が彼女の足を支えた。
「ごめんあそばせっ!」
上段からの斬りおろしが決まり、ゴブリンウォリアーを死に至らしめた。
「おし、この二匹も――」
アイザックそう言い掛けたとき、風上から大きな声が聞こえてくる。
「風上の反対から魔物の臭いがするのだ! 風上の反対から魔物の臭いがするのだ! 風上の反対から魔物の臭いがするのだ! 風上の反対から魔物の臭いがするのだ!」
駆け足、時には四つん這い、犬歯を剥き出し、叫んで、腕をブンブンと振って現れたのは、煙草の煙を嫌がって風上に逃れたレティーだった。
「ばーか、風上の反対は風下だ。つーか風下でよく臭いがわかったな?」
「かざしもぉおおおー! なのだ!」
と、言うと同時にレティーはゴブリンウォリアーを二匹、アイザックに買ってもらったダガーで斬り裂いた。
「パパパパーン、レティーはレベルが上がったのだ!」
「ったく、レベルが上がったじゃねえっつの。エメラルダの獲物とっちまいやがって……」
「なははははは、問題ないのだー!」
「……先行きが不安ですわ……」
そう言ったエメラルダの言葉は、後に事実となるのだろう。
三人が目指す場所は、聖樹と呼ばれるユグドラシルの木。果たしてアイザックは美酒を飲む事ができるのか。
「よし、エメラルダ! アタチに続くのだー! なははははは!」




