第四十話「人間」
―― 乾きの国ガイモン ――
大地の国アスランより海を挟んで南側。火の国イグニスより南に周り、闇の国ブボールを西に越えた場所に存在する辺境の国ガイモン。
ブボールとは長らく敵対関係とあったが、昨年遂に戦争に負けその属国となった。以降一年間ブボールの無茶な要求にも堪え、長い硬直期間を過ごしている。
闇の国の隣国、という事もあり、作物も少なく、実入りも少ない。
そんな中戦争にも負け滅亡の危機に瀕している国だと言える。
ガイモン城の玉座ではガイモン王である《ガラフ》が腕を組み座っている。その面持は歴戦の勇士と呼ぶに相応しいものであるが、そのどこかに陰りが見えている
王は首から下げられている懐中時計を一度開いた。焦りの見えるその視線から何やら時間を気にしている事がうかがえる。
「陛下、間も無く準備が整います。どうぞこちらへ……」
「……そうか」
黒装束の側近が王に近づき足労を願い出る。その者の顔は闇のフードで隠されていて見ることがかなわない。
王はすっと立ち上がり儀式用の法衣を纏った。男の黒装束より簡素な黒いローブで、やはりフードがつけられている。
フードを被った王は男に連れられてガイモン城最上階にあるテラスへと出た。
そこには素朴な作りの木製の台が置かれ、その上には小さな像が四つ見える。どの像も同じ作りで、どこか悪魔的で気味が悪い笑みを浮かべている。とても一国の王が持つ物とは見えない像だ。
テラスの両端にはかがり火が焚かれ、暗みがかった城の最上部を照らしている。
儀式用の祭壇といった具合だが、そう言うには余りにも粗末な作りである。
祭壇の前に王が立つと、男は後方に控え祈るように腰を落とした。
ごくりと唾を飲み込んだ王は、一度男の方へ振り返り額から流れる汗が頬を伝う頃にまた祭壇に向き直った。
両手を祭壇に差し出した王ガラフは、目を瞑り何やら呪文のような言葉を口ずさむ。
「闇の深淵に蠢く邪神よ、我ガイモン王ガラフの声に耳を傾けたまえ。……憎き……憎きブボールへ復讐を! 我が憎悪を糧として願いを聞き入れたまえ! ……降臨せよ、邪神の忠実なる僕! 破壊神デューク!」
―― 魔神殿 ――
魔神の玉座より奥の部屋、まるで高級マンションの一室のような部屋で、丸いテーブルを囲うかたちでレウスとデューク、それにトゥースが座っていた。
突如起きた異変を最初に気付いたのはデュークだった。
そしてレウス、遅れてトゥースがピクリと反応する。
「どうやら時間切れみたいだねっ」
「くそー、俺等もこの手が打てればなー! あいつらもよく考えるわ」
「完全に人間になっちまうのか? こっちにゃどうやって戻って来るんだ?」
「奴等に殺されなきゃどんな死に方でも死んだ時に戻って来れるさ」
「殺されたら?」
「魂ごと消滅ってやつだな」
ゾッとした表情を見せるトゥースにデュークが笑いかける。
「あはははっ、後の事は頼むねっ。僕は久しぶりの人間生活を満喫しますっ」
「他に神降ろしをしようとしてる奴がいればなんとか頼みます。規制により俺がしてやれる事は少ないですが教会からいつでも呼んでください」
「一人旅は慣れたものだよっ。ん、時間みたいだねっ」
「気ぃつけろよ!」
「ケント君、トゥースさん、行って来ますっ」
額の前で敬礼のポーズをとったデュークは、光と闇が混ざったオーラに包まれて段々と薄くなり、そして消えて行った。
「……こっちの最強カードが消えちまったな……」
「親分なら……いや、相手は邪神だ。油断は出来ない、か」
「普通の人間になるって……どんくらい普通になるんだ?」
「親分ならちょっとスペックの高い人間……ってとこだろうな」
「うげ、そこまで力が落ちちまうのかよっ!?」
トゥースがあんぐりと口を開く。
「しゃあねぇだろ、それが神降ろし……別名《神落とし》だからな。最近動きがないと思ったらあんなもの作ってたとは驚きだわ」
「大丈夫……だよな?」
「大丈夫と信じるしかねぇだろ? 現役時代のあの人の通り名を忘れた訳じゃないだろ? 人にして神になった男だぜ? 親分言ってたよ」
「なんて?」
「『邪神を後悔させてあげようっ』ってな」
「相変わらずモノマネが上手いなお前……」
デュークの声色をそのまま演出したレウスの技術に驚嘆するトゥースだったが、それ以上にデュークのその発言に戦慄したようだった。
―― ガイモン城最上階テラス ――
空は更に闇に覆われ周囲の気温が下がっていく。
ゴロゴロと鳴り響く雷の前兆にぞくりと恐怖を感じた王は、再び後ろを振り返る。
男は未だ祈ったままだ。王がそう思った瞬間、男はバッと立ち上がった。天を仰ぎ、しかし腰を落としている。
その姿はまるで猛獣の戦闘態勢といった印象だ。
周囲に轟く天の怒りを思わせる割れる男。
遠方で光る巨大な雷が地に落ちていく。その後一つ、また一つとより大きくなって雷が落ちる。いや、大きくなっているのではなかった。
(だ、段々と近づいてきている……)
ガガガガガーンッ!!
ガイモン城の目と鼻の先に落ちた雷に気付いた時はもう既に遅かった。
真上の空を見上げていた王は、テラスから城内に向かって走り出した。瞬間、テラスに轟音より早く光と闇の雷が落ちる。
王が耳鳴りに襲われた事に気付いた時、自身の行いの確認の為に倒れながらも再びテラスに目を向ける。
……そこには二人の男が立っていた。
一人は黒装束の男、そしてもう一人は空色の衣服を纏った爽やかそうな青年だった。ウェーブのかかった金色の髪が風に靡き、額には赤い鉢巻を付けていた。
その人物は紛れも無く、先程まで魔神レウスと天使長トゥースと話していた《破壊神デューク》の姿だった。
(いきなり邪神の使いがいるとは……驚きだねっ)
デュークの正面に立っていた男は邪悪なオーラを発し、明らかに敵意を向けていた。
「は……かい……しん。殺す!」
「いやー、今の僕じゃ勝てないなーっ。かといって後ろに落ちたら死んじゃうし……思ったより危ないねっ」
何が起きているかわからない様子の王は、自分に協力してくれたはずの男が、殺意をむき出しにしている事に更に混乱する。
いや、自分が何をやったかは理解しているのだろう。しかし、この王は男から聞いていた話とまったく違う状況が起きている事が理解出来ないのだ。
そもそもなぜこの男を信用したのか。この男との出会いはいつだったのか。この男は一体何者なのか、王は理解していなかった。
デュークと男の後方で、ただ事の顛末を見守るしかなかった。
男がデュークに飛びかかる。
先程のレウスの話からデュークが普通の人間になってしまったと推察出来るが、その実力は多少スペックの高い人間程度、となると邪神の使いである男にはおそらく敵わないだろう。
デュークは足元にあった破壊神像を蹴り男の顎に当てた。
焦点がややずれたようだが、構わず向かってくる敵に、残りの像を蹴りつける。
男は武器を持っていない。王の身辺にいたからだろうが、その腕は猛獣のように獰猛で鋭利なものへと変形している。
初撃、その一撃を辛うじてかわす。
涼やかだった顔に焦りが走る。次はかわせない。
そう思ったデュークの答えは間違いではない。手持ちの武器がないのだ。
いや……無いはずだった。
しかしそれは、並外れた経験が刹那の時で導き出した答えによって覆された。
(くっ、これしかないかっ!)
男の伸びきった腕に絡みついたのは、赤い紐のようなものだった。
赤い紐は先端が丸く結ばれていた。
「ぐ、鉢巻如きで俺は殺せないっ!」
そう、それはデュークの赤い鉢巻だった。
絡みついた瞬間に男を落とそうとテラスの外に向けて力を誘導したが、男の実力はその力を凌駕していた。
すぐに腕を引き戻し、デュークの腕に強烈な負荷がかかる。
ガコン、そんな音をデュークは聞いた。
(肩が外されたか……)
だらんと垂れる腕を見て、フードのとれた男がニヤリと笑う。
「死ねぇ!」
振りかぶる瞬間さえ捉えられない男の腕を、デュークは直感だけを頼りに右に避けた。
タイミングだけが全てのこの状況で、確かに攻撃をかわした。しかし、それは絶命への前身だった。
デュークが避けた先には、踏み締めるはずの地が無かった。その場に残ろうと働く身体の動きに合わせ、男の蹴りが放たれる。
瞬間デュークの身体は、生命維持の確率の高い取捨選択を強いられ、そしてその答えを瞬間的に叩き出した。
脱力……足場を求めず逃げ場をテラスの外へと求めた。
当然その先には何も無かった。しかしあの蹴りを受ければデュークの顔は吹き飛びそのまま魂を邪神に捕らえられただろう。
男は落ちるデュークを見下ろす。
目的は達せられた。直接殺せなくとも原因が邪神の手によるものであれば破壊神の消滅は可能なのだ。
地に衝突するまでの数秒間、男はデュークを見下ろし続ける。
直後、北に見える海から巨大な水飛沫、いや……水柱が上がった。
その中に見える黒い粒。その粒を男が捉えた瞬間、それは視界から消えた。
音よりも速く現れたそれは、落ちるデュークに真っ直ぐに向かう。
「いやー、その速度で受け止められると僕の体壊れちゃうよっ」
遠方から現れる黒い生物に向かってデュークは言った。
「合」
「点」
「承」
「知」
「之」
「助」
「リ」
「ス」
「タ」
「ー」
「ト」
「ぉおおおおおおっ!!!!!」
常識を打ち破る速度で現れたのは、顔は黒い竜、身体は烏のような生物だった。
デュークの目の前で強烈なブレーキをかけた黒鳥は、緩やかな速度で彼を受け止めて、再び轟音を鳴らし西の彼方へ消えて行った。
「あははっ、ガラード……ちょ、Gが……あ、左肩も外れたっ。アハハハハハハッ」
「パトロール中に目にゴミが入って止まったのが偶然ガイモン城のテラス下でその時偶然男が降ってきてガラードの手に掴まってしまったのだ結果的に人間を助ける事になってしまったがこれは事故なのだ」
「あはは、また丸暗記した文章を句読点なく読んでるよっ。文を作ったのはハティーちゃんかっ」
「人間との接触はご飯抜き!」
噛み合っていない会話には神界と人間界のルールのせいだったが、二人はしっかりと通じ合っているのは言うまでもなかった。
彼は降り立った。




