第三十九話「地震」
―― 風の国ストールの町 ――
パリーンッ
屋敷内の花瓶が音を立てて割れ落ちる。
静かな廊下に響いていた二人の甲高い声は、この音と共に鳴りを潜めた。
ランスロットから放たれるパチンコの玉は柔らかいゴムボールのような質感だが、やはり割れ物に当たるとこういった事件は防げない。
水滴と共に無残に廊下に落ちる花弁や陶器の欠片。ランスロットとレティーは互いに口に手を当て、硬直した表情を見せていた。
「や、やってしまったのだ……」
「レティー姉ちゃん……どうしよう……」
「んー……はっ! アイザックが来る前に片付けるのだ! 見つかったらまたお尻が腫れるのだ!」
びくりと反応したのはランスロットだった。
この一ヶ月で散々身体に染み付いたのか、痛みのないはずの自らの臀部を、苦い思い出を思い出すようにさすっている。
「おや、これはこれは……」
「「はっ!」」
レティーが浅はかな知恵を回している間に、花瓶が割れた音を聞きつけたスーズキが二人の背後にいつの間にか現れた。
二人の緊張する顔、じりじりと後退する様子は、以前では考えられない仕草や表情だった。
「スーズキッ!? こ、これは違うのだ……レ、レティーがやってしまったのだ!」
「ち、違うよ、レティー姉ちゃんじゃなくてぼくのパチンコがっ!」
「ほっほっほっほ。地震でもあったみたいですな? 形あるものは壊れる。仕方のない事です」
二人は顔を見合わせる。
しかし、すぐに明るい表情を取り戻し、スーズキを見た。その優しさに触れ、相手の様子が変わる。これもまた教育の一つなのかもしれない。
「ほっほっほ、もう地震は起きませんな?」
指を一つ立ててスーズキが言う。
「わ、わかったのだ! 地震にきつくお説教しとくのだ!」
「うん! 気を付けるように言っておくー!」
「はい、よろしいでしょう。本日は天気が良いので、中庭にてお遊びになるのがよろしいかと存じます。後程東屋にお菓子をお届けします」
二人の子供は大きく頷くと、大きな声を上げて中庭のドアを開いて出て行った。
アイザックが用心棒を勤めるアルデンヌ家は、こうした騒動に日々追われていた。
「良かったのかい? その花瓶高そうじゃねぇか?」
スーズキの後ろに現れたのはパンツ姿のアイザックだった。
寝起きという様相で、我が家のように裸足で歩いている。右手にはランスロットが放ったパチンコ玉があり、器用にそれを操っている。
「ほっほっほっほ。今日の失敗が今後の糧になるのであれば安いものかと存じます。次に活かせなければ、その時はお任せ致します」
「確かにそうかもしれねぇが、次がない失敗ってのもあるんだぜ?」
「そうですな。いつの日か訪れるその日の為に失敗を重ねるのかもしれませんぞ?」
「へ、相変わらずな爺さんだ」
頭をぽりぽりと掻くアイザック。
その場を去り自室へ戻ろうという途中、その後方からヒールで廊下を一定間隔に叩く音が聞こえてきた。
「ア、アイザックッ!? 一体貴方はそんな格好で何してるのよっ!」
アルデンヌ家長女のエメラルダが、顔を半分隠しながら声をあげる。まるで汚いものを見ているような様子だ。いや、実際に汚いと思う人間の方が多いのかもしれない。
「パンツ一枚で廊下にいてエメラルダの前に立っている。なんだ、国語の授業でもやるのか?」
「くっ、正確に答えろなんて言ってないわ! は、早く稽古をつけて頂戴!」
「おいおい、一昨日しっかりベスト4まで勝てたじゃねぇか? 次回は来年なんだからそんな急がなくてもいいだろう?」
当初の目的を果たしたアイザックとエメラルダは、昨日一日を久しぶりの休暇としていた。
準決勝の模擬戦で善戦虚しく敗北したエメラルダは、貴族間の付き合いとは言え試合後陰で悔し涙を流した。そもそもヴァンヘルムの目標はあくまでベスト4だったが、当人であるエメラルダの目標は優勝だったのだろう。
「い、いいから早く着替えて中庭に来なさい!」
「ちっ……ったく、せっかく今日は女のところに行こうと思ってたのに……最近ガキのお守りばかりじゃねぇか……」
ぼそりと呟くアイザックをよそに、エメラルダは着替えに行ったのかもうその場から消え、また規則正しいリズムの音で廊下を鳴らしていた。
なんとか楽をする方法を頭で考えるアルデンヌ家の用心棒は、自室に戻るとそこに置いてある自身の剣に目をやった。
「あぁそうか。ちょっと試してみっか」
にやりと含み笑いを見せたアイザックは、スーズキが用意してくれたいつもの稽古用の服ではなく、自分で買い求めた冒険者用の衣服に袖を通し始めた。
―― 大地の国ドードーの町 ――
時刻は正午。太陽が天から頭上に差し下ろす。
暖かいという訳でも寒いという訳でもない。そんな気候の中、太郎はギルドの扉を開けた。
騒ついていた店内が一瞬静まり扉を開けた者へ視線を集める。
「太郎じゃねぇか!」
「シルバーランクの依頼ならねぇぞ」
「ゴールドランクの依頼ならあるがなぁ、カカカカ」
「…………そうか」
そもそも太郎はシルバーランクの仕事を求めては来なかった。
リンマールという小さな村ではシルバーランクはおろか、メタルランクの依頼さえあまり見ない。
より高ランクの依頼の為には、こうしてドードーの町に出向いたり、ダリルに出向いたりしなくてはならない。
しかし、この町でもランクメタルの依頼がせいぜいだ。
太郎は顔見知り達のゴールドランクの依頼の話が気になっていた。
「ゴールドランクの依頼とはなんだ?」
依頼内容を聞くだけならなんの問題もない。依頼は受けられないが、情報を仕入れて対象がモンスターならば徒党を組んで討伐に向かう場合もあるからだ。
シルバーランクの太郎がその情報を仕入れたいと思うのは、ある意味必然だろう。
「スニーグルの古代種、《グル》。別名怪鳥と呼ばれてるバケモノがこの前発見されたんだ」
ドードーのギルド員が説明する。
ひと月前、アリスとバールザールが苦戦したスニーグルの話を聞いていた太郎は一瞬眉根に皺をよせた。
「確かシルバーランクのスニーグル自体この地域に出現する事は珍しいという話じゃなかったか? それ以上の大物となると何かの異変が起きているという事か?」
「いや、ひと月前だったらそう考えられるんだが、来月の統一トーナメントはこのアスラン国で行われるからな。魔物は強い奴等が集まってる場所に集まる傾向があるらしいから、この国にそういった魔物が徐々に現れ始めるんだ。まったく困ったもんだぜ」
「そうなのか……」
太郎がチャッールズと協力して討伐しようかと考えていると、明るいトーンの声がその場に響いた。
「ふーん、それじゃあその依頼は僕が受けるよ」
太郎の視界の外から聞こえたその声は、ギルド員から見てカウンターからギリギリ見える程度の高さから発せられたものだった。
事実、アリス程の身長だと思った太郎が、その思考よりも早く動いたのは身体の方だった。
瞬時にドア付近まで飛び退いた太郎が感じたものは、恐怖に近い危険信号だった。
まるで気配を感じさせず、至近距離まで近づいた少年は、シルバーランクになった太郎の速度にも軽く反応していた。
「へぇ、この時期のこの国でその動きが出来る人は珍しいねー」
「……何者だ……」
冷たい汗が身体を伝う。
太郎の緊張が解かれる事はなく、一瞬発してしまった殺気は少年はおろかギルド内の顔見知り達にまで届いてしまった。
瞬時に凍りついた店内に響いたのは、やはりその少年の声だった。
「やだなー、そんな取って食おうって訳じゃないですよ。それにほら、僕冒険者ですから!」
鼻高々という様子で胸を張った少年だったが、太郎が印象を変える事はなかった。
(アシッドより重い圧力……これがプラチナランク以上か)
「……むー、いまいち信用を得られないですねー。ま、いっか! おじさんその依頼の手続きお願いしまーす」
くるりとギルド員に向き直った少年は、ゴールドランクの依頼を請け負った。
ギルド員は訝しむように少年を見た後、依頼書を手渡した。しかし、少年がそれに名前を書き込み始めると、目を丸くして驚いた。
ギルド員以外の者でその依頼書に足る資格がないと触れた瞬間に燃えてしまう為だ。
「ライ……ト……っ! あんたぁ、あの微笑みの――」
そう言い掛けた時、ギルド員に、いや、店全体に強烈な圧力がかかった。
先程の太郎の殺気とは比べ物にならない程の圧力。
ある者は血の気が引き、ある者は手に持っていたグラスを落とし、そして、ライトの前にいたギルド員は呼吸がままならなくなった。
殺気こそないものの、太郎の右腕が腰元の武器に手を掛ける程にその圧力は場を支配していた。
「正規のギルド員さんが二つ名で呼んだら駄目だよ……ね?」
にこりと笑ったライトは、空気の抜けた風船のように発していた圧力を消していった。
そしてまたくるりと太郎に向き直ると、その表情を崩さないままに太郎に語りかけた。
「お兄さんにお願いがあるんだけど、いいかな?」
「……内容によるな」
その笑顔により殺気を消すが、警戒は解かない太郎の行動は間違っていないだろう。
太郎の目にはライトは制御の利かない猛獣ように映っていたからだ。
「僕って方向音痴でさ、発見情報のある場所まで連れてってくれないかな?」
屈託のない笑顔を振りまいてライトは道案内の依頼をする。
意外な依頼に拍子抜けしたのか、太郎の表情も落ち着いてくる。しかし周りの連中は、そのやりとり見守る事しか出来ないでいる。
片やシルバーランク、片や微笑みの悪魔と呼ばれるプラチナランクの冒険者だ。同じ冒険者なら目を離せる道理はなかった。
拝むようにお願いしてくるライトに太郎もようやく警戒を緩め、腰の武器から手を離した。
(プラチナランクの冒険者か……その戦闘を見ておいて損はない。それにゴールドランクの魔物の強さも見れるだろうから……一石二鳥というやつか)
「……報酬次第だな」
「あー、今計算して得したって答えになったはずでしょーっ。むー……お兄さん、なかなかやるね!」
「顔に出したつもりはないがそういう事だ。話が早くて助かる」
「もう、仕方ないなー!」
ぷくりと頬を膨らませたライトは依頼書の報酬額を見て頭で計算を始める。
「んー、依頼の報酬の十%、それの成功報酬って事でどう?」
「ふん、いいだろう」
報酬の返答に噛み入るように返事をした太郎に、ライトが目を丸くする。
「あー! どんな報酬でも引き受けたんでしょうっ!?」
「さあ、どうだろうな」
してやったりという顔を見せた太郎は、にやりと小さく笑った。
先程の返礼のつもりか、ライトもそれに釣られるように笑った。
「面白いお兄さん発見だ♪」
次回:あの人が出ます。




