第三十七話「変身」
アイザックは宿へ戻ったが、その部屋には、まだレティーの姿は見えなかった。
(いつもより早いからな……たまの休み、ぐっすりと寝ちまうか)
布団に腰を下ろしたアイザックは、そのままベッドに倒れ込み、体を預けた。
瞬間、ドアが大きな音を発して開いた。
「おぉ、アイザツク! 今日は早いなー!」
「……ったく、たまの休みが台無しだぜ」
「お休みなのか! 調度良いから少し付き合うのだ!」
「なんだよ?」
「ここじゃ無理なのだ! 町の外まで出て来るのだ!」
「あー、面倒くせぇ……」
レティーに腕を引っ張られ、アイザックは町の門から外へと出た。
町が見えなくなる程、街道の外れを歩いたが、外へ出た理由をレティーは話さなかった。
「おいおい、一体どこまで行くんだよ?」
レティーは周囲をキョロキョロと見回し、ほかに誰もいないかを確認していた。
(なんだ? 宝物でも発見したのか?)
「っておい、何してやがるっ!?」
レティーはいきなり自分の服を脱ぎ始めた。
シャツを脱ぎ、スパッツを脱いだ。
華奢、と言うにはあまりも細く、あまりにも小さいその体は、日頃の鍛錬故か至る所に生傷が目立つ。しかし、白く美しいその肌は、純粋無垢なレティーの魅力を更に引き立たせている。
無造作に地面に置かれた衣服を拾ったアイザックは、頭を掻きレティーの意図を探る。
「悪いがレティー、お前はまだ対象外なんだ。ほかを当たってくれ」
「何を言ってるのだ? これからなのだ!」
キョトンとしたレティーに、アイザックも倣う。
(確かにこれからな逸材だとは思うが……俺にそんな趣味はない)
「ふんがー! なのだ!」
しゃがみ込みながら一気に跳躍し、宙空で万歳のポーズが完成した時、レティーの体は、淡い光を発した。アイザックがそう感じた時には、レティーの体はそこに無かった。
視界に捉えたのは……
「銀の……狼?」
「なはははは、驚いたかー! なのだ!」
アイザック程の大きさの銀狼が、笑いながらレティーと同じ声を出す。
「……なるほど、だから児童ポルノに引っかかりそうなストリップを始めたのか。ったく、まるでお伽話だぜ……」
「夜伽話とは何なのだ?」
「そいつぁ俺も聞いてみたい話だな」
「しかし、何故あまり驚かないのだ!? アイザツク!」
「魔法少女になったら驚いてやる」
「合法少女とは何なのだ?」
(逸材ここに現るだな。しかし解せねぇな。って事はレティーの親は狼? 人間バージョンもあるって事は、人間とのハーフ? 単に変身能力があるだけか……? 特殊な種族?)
アイザックが様々な考察をしていると、レティーはガッカリとした様子で人間に戻った。
驚かせたい気持ちが先行し過ぎ、その反応の悪さに消沈してしまったのだろう。
「おいレティー」
「……何なのだ?」
「町の中でその姿にならなかったのは偉い、褒めてやる」
「本当かっ!?」
違った意味で回復したレティーは、溢れそうな笑顔を振りまいた。
裸姿に困ったアイザックは、手に持っていた衣服をレティーに渡し、一度だけ頭を撫でた。
「……おぉ〜……今のもっとなのだ!」
「さ、帰んぞ」
「アイザツク! 今のワシャワシャってやつもう一回なのだ!」
「またいつかな」
「あと五日だな!?」
「…………」
自身の頭ををクシャっと掻き上げたアイザックだったが、その表情は困惑半分、笑顔半分と言うところだろう。
ニコニコしながら服を着たレティーは、鞄に飛び込み、ストールの町の方向を指差した。
―― 翌日 ――
アルデンヌ家の屋敷に着いたアイザックは、入口のベルを鳴らし、応答を待った。
間も無くスーズキが現れ、ゆっくりと門を開いた。
「お待ちしておりました、アイザック様」
「おうスーズキの爺さん、俺様の首はどうなったよ?」
「……奥で旦那様がお待ちでございます」
顔を伏せたままアイザックに答えたスーズキは、門を閉めた後、いつものように先行して歩き、案内を始めた。
契約時通された応接室に入ると、正面ソファーにはヴァンヘルムとエメラルダが腰掛けていた。
二人は立ち上がり、アイザックがその対面に座ると、またゆっくりと腰を下ろした。しばらく沈黙が続き、ソファーにもたれ掛かりながら腕を組むアイザックも、目を瞑っている。
膝にひじを掛け、自身の体重を預けるヴァンヘルムも、声を出そうとはしない。
「……ご、ごきげんよう……アイザック先生」
最初に沈黙を破ったのは、意外にもエメラルダだった。
「おう、今日はお嬢様らしく、しっかりと着飾ってるじゃねーか」
「レディーの嗜みですわ」
「……アイザック殿、昨日の一件があったのにも関わらず、態度が変わらないな」
ヴァンヘルムが静かに、しかし語気を強めて言った。
「同じ言葉を返してやんよ、ヴァンヘルム、昨日の一件があったにも関わらず、態度が変わらねーな」
しかし、アイザックの言葉にはヴァンヘルムの言葉とは違うものを含めていた。
――殺気。
瞬時に空間を支配したアイザックの強い言葉は、ヴァンヘルムの顔を硬直させ、エメラルダの呼吸を停止させるだけの力があった。
冷たく凍るような眼でエメラルダを睨みつける。
「おうエメラルダ、これが本物の殺気だ。これが扱えるようになれば戦闘に幅が広がる。そう、駆け引きが出来るようになるだろう?」
「…………そのようですわね」
「さて、ヴァンヘルム、今のはちょっとした悪ふざけだ。悪かったな」
「いや、私も相手を見誤っていたようだ。交渉相手の足元を見てやろうと思っていたのだが……やはり勝負にすらならんか」
「交渉?」
ヴァンヘルムの意外な言葉にアイザックは首を傾げる。
「昨晩、子供達と腹を割って話をした。そして、私の期待と、勝手な見栄がエメラルダを苦しめていた事がわかった。本当にすまなかったと思っている」
「……お父様」
ヴァンヘルムはエメラルダに優しい眼差しを向け、その肩を抱いた。
微笑ましい光景に、アイザックは頭を抱える。
「おい、その話……長くなるのか?」
「あ、いや……すまない。本題は別だ。うむ、あのような時間は中々良いものだな…………さて、先程の値踏みだが、今後の契約で安く買い叩けると思ったのだが、そうもいかないようだね」
「今後? 今の契約はどうなるんだよ?」
「それは破棄だ。無論、違約金は支払おう」
「……どういうこった?」
「まず、契約破棄の理由。これは娘の剣の稽古以外の越権行為。息子への勝手な教育が原因だ。しかし、息子からの攻撃がなければ、そうならなかったと判断し、違約金を支払う。ここまではいいかね?」
アイザックが小さく頷く。
「そして、新たな契約を依頼したい。……アイザック殿、子供達の教育係兼、我が家の用心棒として雇われてはくれないかね?」
この言葉には、流石のアイザックも開いた口が塞がらなかった。
「お、おい冗談だろ? 俺はガキ共をボコボコにして、お前の顔に泥まで塗ったんだぜ? なんでそうなるんだよ?」
「ハッハッハッハ、人前に凶器を持ちだしたら殺されたとて文句は言えないよ。我がアルデンヌ家の先祖は、剣でこの地位を勝ち取ったのだ。それに、それをランスロットに教えようとしてくれたのは、他ならない君じゃないのかね?」
「……」
「それに、泥なら洗い流せば良いだけだ。大地の国では、泥を顔に塗って肌のハリを保つ美容法があるそうだぞ?」
ヴァンヘルムの笑えない冗談に、アイザックは再び頭を抱える。
そして、肝心の子供……エメラルダに、この件に関して問うような視線を送る。
「私も同意の上ですわ」
「お前は俺を憎んでるはずだろうがよ」
「上辺だけの教育等不要ですわ。必要なのは実を伴う教育です。幸い、先生の下でならそれが育める……そう判断致しました。であれば、そこに私的理由が入り込む余地等ございませんわ」
「甘んじて受け入れると?」
「そういう事ですわ」
エメラルダがツンとした様子で返答する。
「教育係と言っても、剣の稽古だけで構わない。他の事に関してはスーズキに任せてあるからね」
「用心棒ってのは?」
「私、エメラルダ、ランスロットが外出する際の護衛をしてくれればそれで良い。屋敷の中に君の部屋も用意しようじゃないか。……いかがかな?」
アイザックが腕を組み俯く。
(かなりの好待遇だな……出費を抑える事が出来るのはでかい)
「……で、肝心の報酬は?」
「日、五百レンジ……別途歩合、でどうかな?」
「もう一声……と言いたいところだが、別件で条件を付けたい」
「と言うと?」
「連れがいてな。もう一部屋都合出来ねぇか?」
些細な事、と思わすかのような笑みを零したヴァンヘルムは、アイザックの前に右手を差し出した。
「オーケー、交渉成立だな」
がっちりと契約成立の握手を交わしたアイザックは、簡単な説明を受けた後、レティーが待つ宿へと戻って行った。




