第三十五話「白金」
ライトと名乗った男は、背中に携えるスティレットを思わせる通常より長めの短剣を引き抜いた。
線の細い体と肢体、アリス程(百五十センチ程)の身長、終始笑みを装う整った顔立ち。金色に輝く髪にはくせ毛が多く見て取れた。
首からストールのような物を巻き付け、簡素な様相をしている。アリス達のような汗をかくこともなく、平静維持が難しいこの幻炎の洞窟内でも涼しい顔をしている。
「よーっし、それじゃあジャンボさんとアリスさんは深炎狼の方をお願いね。レッドグリフォスが片付いたら救援するから時間を稼いでねー」
「おうよっ! アリス、死角へ回り込んで注意を逸らせ! 無理はしなくていいからな!」
「任して!」
ジャンボが走り出すと、深炎狼はまるで磁石が引き合うかのように駆け始めた。
その形相は恐ろしく、口外に見える牙は人間を簡単に噛み砕き、その大きな口は一飲みにするだろう。
その足は軽く、先に太郎達が戦ったゴールドランク、アシッドのそれをジャンボに思い出させる。
「ふんがっ、アップ!」
速度で勝てないと判断したジャンボは、剛力を発動させ剣にフォースを施した。
そして剣を大きく振りかぶり、そのまま空を払った。瞬間、大きな風が発生し、怯んだ深炎狼を減速へと追い込んだ。
「今だアリス、後ろへ回り込め!」
「はぁっ! アップ!」
青白い光がアリスの表面に発生し、アリスが疾風のスキルを使った事を知らせる。同時にナイフにフォースを施し、深炎狼の股下を潜り抜ける。
そして、スライディングをしながら深炎狼の後ろ脚を斬りつけ、背後に回る事に成功した。
後ろ脚に激痛を感じた深炎狼は、洞窟内に響き渡る怒声を放ち、後方を向こうとするが、ジャンボがそれをさせなかった。
「やっぱりオツムは獣並だな!」
駆けながら大きな声を出し、深炎狼の後方への意識を途絶させる。意図して魔物の行動を読み取れる辺り、流石の経験と言えるだろう。
脳内での優先順位を決めあぐねているのか、どちらにも向けない深炎狼が見たものは、先程まで横に立っていたはずのレッドグリフォスの血まみれの亡骸だった。
そして、その頭部から粘度の高い血液が付着した剣を引き抜いていたのは、他ならぬライトだった。
「あー、終わった終わったー。やっぱりゴールドランク相当の魔物になると少し時間掛かるなぁ」
「まじで終わったのかよ……」
「……凄い……私が走ってる間に全部やったって言うの……?」
「さーて、次はこいつかー。こいつもでかいなー」
ライトは短剣の血液を振り払って落とし、陽気な顔付きで深炎狼を見上げる。
先程までの恐ろしい形相とは打って変わり、深炎狼の表情は硬直し、その眼は死んだレッドグリフォスの体だけを見つめている。
深炎狼は恐怖していた。自然界で行われる《搾取》が自身の目の前で起きた事を。
ゆっくりと迫るライトに、怯えながら視点をずらした時……深炎狼は自らの死を悟った
「バイバイ、ワンちゃん」
意識せぬままに意識を刈り取られた深炎狼は、その場で膝を折り、地に伏した。
その瞳が最後に映したのは、笑いながら自分を見下す、絶対強者の姿だった。
「はい、終わりー。ジャンボさん1000レンジー!」
「あ、あぁ……」
短剣を納め、パチンと手を叩き合わせてジャンボに助っ人料を求めるライトの姿は、子供が親に小遣いを請求する姿に酷似していた。
ジャンボの性格故か、鞄の中にある1000レンジ毎に小分けされた布袋をライトに一つ手渡す。
「大丈夫だと思うが、一応確認してくれ」
「はいはいー。うん……うん……うんっ、確かに1000レンジだねー」
その間、アリスは倒れた魔物を眺めていたが、ジャンボはライトの顔を見て何かを考えている様子だった。
「――あっ!」
「へ、どうしたのよジャンボ?」
「思い出したぜお前さんの事……どこかで見たと思ってたんだよ」
「あれ、僕ジャンボさんと会った事なんてあったっけ?」
頬に血を付けたライトがキョトンと小首を傾げる。
「いや、ライトは覚えてないだろう。俺が一方的に知ってるだけだ。お前さん《微笑の悪魔》だろ?」
「あー、ジャンボさんまでー。僕その呼ばれ方好きじゃないですー」
「確かに物騒な名前ね」
「ハハハハ、そりゃすまねぇな。二つ名ってのは他の人が付けるもんだからな。どうしてもそちらが先歩きしちまうんだよ。覚えてるかどうかわからねぇが、三年前のガルム討伐の時だよ」
ぷくりと頬を膨らませ、自らの二つ名に対する不満を述べたライトに、ジャンボは素直に詫びを入れた。
そして、先程のジャンボのように、過去の記憶を遡り考えているライトは答えに行き着いたのかポンと手を打った。
「あー、確かにゴールドランク相当の魔物、ガルム討伐に行った記憶があるや。ジャンボさんあのパーティの中にいたんだー?」
「ハッハッハッハ、いたと言うか、あん時の俺は荷物持ちだったけどな。その武器と、その笑顔……いやー、思い出すぜ。ほぼライトの独壇場だったからな」
当時を振り返っているのか、目を瞑りながらジャンボが説明する。
「へぇ、やっぱり昔から強かったんだ?」
「所謂天才ってやつだな。あの時でゴールドランクだから……今はおそらく――」
「うん、二年前にプラチナランクになったよー。へぇ、世の中はせまいって事だねー」
「にしてもやっぱり強ぇな。助かったぜライト」
衣服で汗ばんだ手を拭きライトに握手を求める。ジャンボなりの感謝の意と敬意を表しているのだろう。
ライトも悪い気はしないようで、その小さな手をジャンボの大きな手の内に委ねた。
「私も助かったわ、ありがとう」
「うん、どういたしましてっ……って、あれ? アリスさんって……勇者?」
「うん、出遅れまくってる勇者よ」
自嘲気味に話すアリスに、ジャンボが声を掛ける。
「成長中の勇者の中じゃ才能はある方だと思うぜ?」
「ば、馬鹿っ……でも、頑張ってるわよ」
「へぇ、それじゃあ統一トーナメントに参加するのー?」
「うん、間に合わせるつもりよっ」
アリスは、小さな拳を小さく握って統一トーナメントの参加を表明した。
「それじゃあ、僕も観戦に行く予定だから頑張ってね。応援してるよ」
「うん、ありがと!」
「それで……これから統一トーナメント開催国の大地の国アスランに向かう予定なんだけど……出口どこ? 僕って方向音痴で洞窟内だと特に迷うんだよー」
「随分早くに向かうんだな? 俺達が来た方向だから……あっちだぜ」
ジャンボがアスランの方面の出口の方向を指差す。
「わぁ、ありがと! それじゃあお礼に……この魔物の収集品はあげよー! それじゃあ二ヶ月後にね」
「おう、またな!」
「また会えるのを楽しみにしてるわ!」
陽気に手を振りながら駆け去って行くライトを見送ると、ジャンボとアリスは改めてその凄惨な光景を見渡す。
「迷いのない太刀筋……タローに似てるわ」
「あの若さでとんでもない実力だよ……さて、深炎狼の牙に、レッドグリフォスの爪を回収しなくちゃだな」
「絶対これ売った方が1000レンジより貰えるでしょ? なんでくれたのかしら?」
「あぁ、見たろ、あいつの軽装? 天才の考える事はよくわからんとは言うが、散歩感覚でこの洞窟に来るんだ。荷物はほとんど持たないって主義だろうな。おそらく、くれるって言ったのはついでで、最初から収集品を持って行くつもりはなかったんじゃない……かっ」
ジャンボがレッドグリフォスの爪を斬り落とし、自身の推測を語る。
全ての爪や牙の収集が完了すると、鞄から革紐を取り出し、一纏めにして鞄に巻き付けた。
「おーし、ちょっとした荷物だが、こいつらがもういないってわかれば、後は楽な道だぜ。アリス行くぞ!」
いつもながらになっているのか、ジャンボの手際の良さに、アリスはぼーっと見ている事しか出来なかった。
「むぅうう、勉強になるわ……でも、まだゴーレムがいるんじゃない?」
「奴等は足が遅いから、逃げるだけなら楽勝だ」
ライトが現れた小道へ向かい、ジャンボとアリスは歩を進めた。
アリスは、強悪な魔物の亡骸達を横目でもう一度見た後、自らの武器を今一度強く握った。




