第三十二話「逢着」
――――ダリルのギルド「豪気」――――
深夜、ボロスとユーリウスに関する情報を持ち、宿のレイダの部屋で、レイダに報告を終えた太郎は、その回答を待っていた。
いつものように扉前に立つ太郎は腕を組み、壁に身体を預けている。
レイダは険しい表情で床を突いている剣を持ち何か考えている面持ちだ。
「今夜、モジモフの屋敷を調査する。いいな?」
「…………仕方ないだろうな」
レイダが小さく溜め息を吐きこめかみを押さえる。
「そんなに考え込むな、信用している人物なのだろう?」
「あぁ、父親のように思っている素晴らしい人物だ」
「なら問題あるまい、報告を待っていろ。くれぐれも軽率な行動は控えてくれ」
「……わかった」
レイダにモジモフの調査承諾を得ると、太郎はレイダの部屋を出て自室へと向かった。
自室に入りTシャツを脱ぐと、ベッドの下へ潜り込むと太郎はいつも通り、静かに寝息を立て始めた。その眠りは浅く、太郎の肉体的疲労を回復するだけで、太郎の心の疲れは取り除かないのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、太郎はパチリと目を覚ますと、日課のストレッチをしてから食堂へ降りた。
カウンターの女に朝食を注文すると、太郎は入口から一番離れた席へ腰掛けた。
『聞こえるかチャールズ』
『む、太郎か……調度良かった、本日のミッションを指示してくれ』
『フォースは半分程残しておけ、それまでは昨晩と同じで構わない』
『半分……? 今夜中に片がつきそう、という事か』
『あぁ、だからいざとなった際の脱出用だ』
例によって、太郎はチャールズ便という保険を掛け、この土地をすぐに去れるように手配した。
心で話していてもチャールズ側から笑いの混じった小さい溜め息が聞こえてくる。
『ふっ、了解したぞ』
『しくじるなよ』
『太郎もな』
『『交心終了』』
互いを激励し、息の合った心で交心を終える。
いつの間にか太郎の顔には笑みが零れる。果たしてそれは心地良さからなのか、それとも他の理由があるのか……。
カウンターの女からカップスープを提供され、香りと数口の毒見を終え胃にゆっくりと流し込む。
体の火照りが太郎のちょっとした疲れを癒す。カップスープに漂う、色鮮やかな香味野菜の香りを楽しんでいると、些か余計な臭いが邪魔をする。
(ん、これは衣服からか? 洗ってはいるが、やはり臭ってくるものだな。この後、軽装を見に市場へ向かうか……)
太郎は自身のスケジュールを決めると、今後の予定の為かカップスープを一気に飲みほした。
続く料理に対しても、咀嚼こそしっかりするものの飲み込むように瞬時に平らげていった。その無表情ぶりに周りの人間達は少々不気味がっていた。
適度な食料を摂取した太郎は、市が開いてるとされる中央区へ向かった。
中央区へ向かう道中、リンマールの簡素な道ではなく、丁寧に石畳が整備された道に太郎は感心していた。
無論全てに対して石畳が敷いてあるわけではないが、主要な通りにはしっかりと敷いてある。
昨晩は任務が優先だった為、あまり気にはしていなかったようだが、歩きながら歩道の歩き易さを認識したのだろう。
(なるほど、これが小国といえど“国”の文化レベルか……ほぉ、場所によっては裏通りも――)
「だ、誰か助けて下さいっ」
太郎は耳を塞ぎたい気持ちで一杯だったが、悲鳴に似た女の叫び声は、人通りの少ない路地に響いた。
足音を殺し、小走りで裏路地へ向かう。声の発信位置に近づくと、男女がもみ合っているかのような声が太郎の耳に入る。
(この角か……)
人が全くいない路地の陰で、太郎はその通りを静かに覗きこんだ。
その視線の先には確かに女を囲む男二人の姿があった。
昼前と言えど裏路地は暗く、建物同士に囲まれた通りは非常に狭く、大の大人二人がギリギリで通れる程だった。
それを前方と後方から男が囲んでいれば、女が逃げられないのも無理は無かった。
太郎は瞬時に男二人の戦力を分析し始める。
(手前の男、大柄な男だが肥満体形で動きに無駄が見える……武器の気配は……腰の直剣のみか。奥の男、手前の男と比べると速そうだな。ガタイは良いが武器を持っている様子はない。どちらもレギュラークラスというところだろう。それに――)
太郎は今度囲まれている女の方へ焦点を当てた。
(あの女、身のこなしが軽いな……体の力運びでわかる。戦力的には分が悪いが、一対一なら逃げ切れただろう。しかたない“徳”の為だと思うか……)
太郎が地を蹴り抜き、常人とは比べ物にならない脚力を見せる。
奥の男に視認されぬように手前の肥満体形の男の背中をうまく利用して接近する。男の大きな背中の右上にある肩を踏み台にし、太郎が先に狙ったのは、奥のガタイの良い男だった。
太郎が女の上を通り過ぎるまで太郎の姿を発見出来なかった男には、太郎の攻撃を防ぐ手段は無かった。
太郎は奥の男を飛び越えながら右腕で首を刈り、声にならない声を出した男の頭部をそのまま左側の壁へ衝突させた。鈍い音が鳴り、男を持つ太郎の腕にもその振動が走る。
そのまま崩れ落ちる男から手を放した太郎の左腕は、既に女の左腕を掴んでいた。
女の肩に負担がかからないように丁寧に、しかし素早く手を引き、女を後方へやった太郎は、肥満体形の男の正面へと立ちはだかった。
「な……お、おめぇ!?」
「離れていろ……」
「は、え、あ……はいっ」
後方の女へ声をやり、女の足音で、女の退避を確認する。
前方から迫る男の猛進に、太郎は小さく円を描くように男の側面へ回り、男の足を払った。そのまま前のめりに倒れる男の後頭部を宙で持ち、勢いをつけて地面へと叩きこんだ。
男の小さな悲鳴が響いた後、またも裏路地に鈍い音が小さく響いた。
(目標の沈黙を確認……。保護対象は……無事なようだな)
太郎は女の足音が去って行った方へ目を向けると、T字路になっている通りまで離れている女を発見した。
女は丈夫そうなカゴを腕に掛け、家政婦衣装に近い茶色いロングドレスを着ていた。
髪は黒く、一見すると地味目の女だったが、ポニーテールで縛っている分明るく見える印象だ。
女の無事を確認すると、太郎はその場を離れようとする。すると女が後方から大きな声を掛けてきた。
「ま、待ってくださいっ」
面倒臭そうな顔を太郎が修正しながら後方へ向くと、女は肥満体形の男の上を、広がるスカートを押さえながら飛び越えたところだった。
太郎は先程自分が覗いていた位置まで歩いていたが、女の接近を待った。いや、待ってあげたと言うのが正しいだろう。
「あ、あの……ありがとうございました」
「あぁ、懲りたのであればこの時間でも裏通りは歩かない方が良いだろう。ではな……」
「えっと、あのっ!」
太郎が歯を食いしばり堪える。しかめた顔の修正に時間がかかっているのか、女には背中を向けながら返事をした。
「私、セシルと申します。あなた様のお名前は……?」
「……名乗る程の者じゃ――」
「是非お名前だけでもっ」
お決まりのセリフを言い放ち、歩み去ろうと考えていた太郎の目論見は見事に外れ、噛み気味で名前を言い寄られる。
「……太郎だ」
「タローさん……」
「ではな……」
「あっ……!」
太郎が逃げるように走り去ると、女は落胆の混じった溜め息を一つ吐くのだった。
――――イグニスへの貿易ルート――――
アリス、ジャンボは、早朝に出発し、昼近くのこの時間まで、順調に道程を進行していた。
昨日の疲れがかなり取れたのか、アリスの足取りも軽い。ジャンボはそのアリスを背中から見つめる。そんな中アリスは後ろを向き、進行方向に進みながらジャンボに話しかける。
「後ろ見ねえと危ねぇぞ」
「こんな平坦な道で転ばないわよ」
「そうかよ……で、どうしたんだい?」
「んー、どれくらいまで来たのかと思ってー」
ジャンボが歩きながら周囲を見渡す。大きな手で日差しを遮り、遠方を見ている。
「んー、ようやく半分ってとこだな。道中にゃ何もねえけど、もうすぐ……あぁ、あの川の先に、アスランからイグニスへ通じる唯一の道、《幻炎の洞窟》があるんだ」
「危なっかしそうな名前ね……」
「ハハハハ、実際危ねぇからな」
「まったく、怖い事サラッと言わないで欲しいわね」
まるで冗談話でもするかのようにジャンボが話すので、アリスは逆に怖さを覚え、鳥肌が立った両腕をさすり合わせる。
「洞窟にいんのは手強い魔物が多いが、落ち着いて対処すりゃ今のアリスじゃ負けねぇよ。しかし、稀に大型の魔物を見かけるって話もある。もしそいつらに出くわしたなら……」
「……出くわしたなら……?」
「ダッシュで逃げろ、俺もダッシュで逃げる」
「そ、そんなに危ない奴等なのっ?」
アリスはメタルランクのジャンボでさえ逃げるとされる、大型魔物の詳細をジャンボに求めた。
「あそこで確認されてる大型魔物は、フレイムゴーレム、深炎狼、レッドグリフォスだな。フレイムゴーレム、深炎狼はシルバーランク、レッドグリフォスはゴールドランクの魔物だ。アリスを守りながらそいつらの相手は無理だ。つーか全部無理だっ」
「い、言いきったわね。でも、それでよく皆通れるわね……?」
「大型の魔物は行動範囲が限定されるからな、注意すりゃ見つからずに通り抜けられるのさ。実際、俺が前にイグニスへ行った時なんて、深炎狼に追いかけられたけど、ちょっと小道に逸れちまえば追い掛けて来なかったしな」
ジャンボが自身の経験談を交え、注意さえすれば安全だとアリスに言って聞かせる。
この後の道中、しばらく歩いたが、出現した魔物と言ってもフォースを使用せず倒せる魔物ばかりで、進行速度にさしたる影響はなかった。
ジャンボが言った川を越えると、正面に大きな山が見え、更にしばらく歩くと、山の手前にある深い森へと到達した。
「この森とあの山がぶち当たる所に幻炎の洞窟の入口があるんだ」
「今日中に越えられるかしら?」
「今日中にゃ無理だな。洞窟の中に聖域があるからそこで休む事になるだろうな」
「おっけー、それじゃあ行きましょうっ」
アリスとジャンボは順調に深い森を進み続ける。
この頃からアリスではなく、ジャンボが先頭に立っていた。おそらくジャンボの知識と経験が、そうさせたのだろう。
ジャンボの強烈なプレッシャーが周囲から魔物を遠ざけ、臭いや魔物のテリトリーとわかる痕跡から回り道をする。
アリスはその実力、経験、知識に驚嘆した。
(なんでこの人ってまだメタルランクなのかしら……)
「ほれ、アリス、止めだ!」
「う、うんっ!」
「おっしゃ、そっちもだ!」
「っく、だぁっ!」
ジャンボの適確な指示により、次々とアリスが魔物を倒してゆく。
(やっぱり……こういう事なのかしら?)
「ジャンボ」
「あぁん、なんでぇ?」
「ありがとねっ」
「……なんかよくわかんねぇが、いいってことよ! はっはっはっは!」




