第二十七話「一歩」
――ドードーの町からイグニスまでの街道――
時刻は既に十七時三十五分。日が沈み、前方の視界も徐々に暗くなっている。
アリスとジャンボはイグニスに向かい歩を進めている。
途中で戦闘があったのか、アリスの腕や脚に切り傷のようなものが見受けられる。ジャンボには、アリスの歩行速度は徐々に低下しているのが見て取れた。
「ふぅ……今日はこれくらいにする?」
ピタリと足を止めて、振り返りジャンボに休息を提案する。
ジャンボは周辺をしばらく見渡すが、険しい面持ちのまま首を振った。
「いや、ここは見通しが良過ぎる。もう少し先へ行った所に林が見えるから、そこを休憩地点にしようぜ」
ジャンボはアリスの体力の事に関しては把握しているが、あくまで安全を優先させた。
「うんわかったわ、それじゃそこまで急ぎましょうっ」
「おうよ!」
アリスもそれを理解しているようで、すぐに振り返り、再びゆっくりと重たい足を上げ始める。
ジャンボは、その痛々しい小さな背中を見守り、そしてまた歩き始める。
(アリスは戦闘経験が少ないから、やはりまだ動きが直線的で危なっかしい。ランクがまだアドバンスだってのもあるが、俺がいる事を差し引いてもイグニスまでの道は困難になるだろう。バールザールはメイジで氷系スキルを使えたからイグニスを目指したんだろうな。そうでもなかったら少々厳しいものがあるぜ……。イグニスに着くまでにどうにかブロンズランクまでの徳を貯めたい……)
ジャンボはこの先自分だけでアリスを守れない事も想定してバールザール同様、魔物への止めは全てアリスに任せている。
時には危険になる事もあるが、その危険を冒してでも、「勇者」の王への謁見は迅速に済まさなくてはならない。
この「オルネイン」での「勇者」とは、世界に現れる脅威の前兆とされている。
そして、ゲームのように不死身でない勇者の為、まるで保険かのように複数人の勇者が各国で生まれるのだ。
そして勇者達はその脅威に対して準備すべく、各国の王を謁見して回り、勇者の天職を授かった事を報告し、己が実力を高めていく。
ある一定の期間を越えた段階で全ての国へ謁見し終えた勇者を集め、真の勇者を決める統一トーナメントが実施される。アリスはこのトーナメントに参加し、優勝する事を目標としていたのだ。
統一トーナメントで優勝した勇者は、来る災厄の陣頭指揮をとり、他の勇者は統一勇者のサポートに回るようになっている。
アリスは勇者が現れ始めてしばらく経った後に天職を授かった。謂わば他の勇者からは出遅れている状態である。
時間を掛ければ強くなる事は可能だが、統一トーナメントの日程まで、既に2カ月を切っていた。
現在アリスは風の国ウインズ、大地の国アスランの王と謁見を終え、火の国イグニスを目指している途中だ。その後「水の国アクアタ」を目指す予定である。
勿論、他にもレイダが住む「ダリル」等の小国も存在するが、トーナメント参加資格を得る謁見国はこの四ヵ国となっている。
魔物の活動が活発でない風の国、大地の国なら今のアリス程度の強さでも問題ないが、より東……火の国と水の国はそうはいかない。火の国を歩き回るには最低ブロンズランクの強さが必須と言われている。ジャンボの護衛があるとはいえ、やはりアドバンスのランクでは非常に難度の高い道程と言えるだろう。
勿論、ジャンボの思う通り、氷系のスキルが使えればこの道程も非常に楽になる。魔物や地域によって得手不得手が存在する為、あくまでこの内容は目安ではある。
時計が十八時を差す頃、アリス達はジャンボの言った通り小さな林を発見する。
周囲に魔物の気配はなく、今夜はここで野宿という事になった。二人で火種を集め、ジャンボは鞄から鉄の棒のような物をニ本取り出し、互いにそれらを叩き火花を飛ばした。
次第に火種からは灰色の煙が上がり、火種には火の色が染まっていく。焚き木でそれらを囲い、徐々に火勢を強めていく。
ようやく落ち着いた二人は互いに向かい合って腰を下ろした。
「……ふぅ……」
「かなり疲れたみたいだな」
「そうね、疲れたわ……」
アリスはちんまりと小膝を抱え、両膝の上に顔を乗せて疲れをアピールするかのように見せた。
「出来れば聖域での休息を取りたかったんだが、思った以上に遅れてるからな……仕方ない」
「…………ごめん」
ジャンボは皮肉を言ったつもりはなかったが、アリスにそう取られてしまう事を口にしてしまった。しかしアリスは、自分の速度が遅い事を自覚し、素直に謝ったのだ。
これに対してジャンボは目を丸くして驚いた。
「らしくねぇな」
「あんな事があったすぐよ。まだ立ち直れてないのはわかるわ」
「へぇ、アリスがその話を出すなら俺も気を遣わないが?」
「別に気を遣わなくてもいいわ。今でも泣きそうだけど、あれは自分の甘さが招いた過ち……爺やは後悔を望まないって思ったからひたすら……ただひたすら我慢してるだけ」
膝を抱える腕に力が入り、小さな肩が震えだす。
ジャンボは傍らに置いてある焚き木を1本火の中へ入れる。
パチパチという木の悲鳴が聞こえるが、その他の周囲にはアリスの息遣いしか聞こえなかった。
「そうかよ、しかしタローの言った事は事実だ。全員に責任がある……もしかしたらアリスが来なかったら全滅してたかもしれない」
「……気休めだけど有難く受け取るわ」
「……あのゴールドランクの男、アシッドって奴でな、北にあるどっかの集落全滅させた程の悪だったらしい。まさかこっちに来てるとはな……」
「ほんのちょっとしか見なかったけど、体が震える程強かったわ……」
アリスは、アシッドの顔を思い出したのか、怖さと後悔がすぐに浮かび頭を振り払った。
「ゴールドのランクでも強い方だからなありゃ。例え味方にシルバーがいてもタローがいなかったら厳しかっただろうな。チャールズって竜の度胸にもビビったぜ」
「ねぇジャンボ……」
「なんでぇ?」
「……私に足りないものって何だと思う?」
アリスは膝から顔を上げ、背筋を伸ばしジャンボの目を見る。
「まだまだな俺が言えた事じゃないが、この際自分の事を棚上げで言うが…………やはり経験だな。タローみたいな割り切りはしなくていいとは思うが、先を読む力を養った方が良いとおもうぜ?」
「タローみたいに……ならなくていいの?」
「はっ、あいつぁ特殊中の特殊だろ。しかし……ま、あいつみたいなヤツが生き残れるような世界だとは思ってるよ」
大きく鼻息を吐き、太郎を皮肉る。
アリスはまた膝に顔を乗せ、今度は太郎の事を思い浮かべている様子だった。
太郎の芯の強さ、自分の中にはない心の強さ、自分にはない信の強さ……。太郎から学ぶべき点は非常に多く、アリスもまたそれに倣える部分は倣っていた。
そして一番の倣えない部分に関しては、ジャンボに否定してもらったと拾い、ホッと胸をなで下ろした。
「……強くならなきゃ……」
「へん、口に出さなきゃ辿り着けない強さなんて、たかが知れてるぜ?」
「わ、わかってるわよっ」
瞬間的にだがいつもの調子を取り戻したアリスが、いつものように頬を膨らませる。
ジャンボはまた一つ焚き木を火の中に放り込み、弱まった火勢を強める。
「疲れてるだろう。先に寝な、交代は2時間おきだ」
「…………うん」
ジャンボがそれを言ったが故か、ホッとしたが故かはわからないが、既にアリスの瞼に力はなくなっていた。
姿勢を崩し、自身の鞄に頭を乗せて丸くなったアリスは、暖かい火に照らされながらゆっくりと意識が遠のいていくのを感じていた。
「…………ぉ……すみ」
「あぁ、おやすみ」
――――ウインズとアスランに囲まれる小国「ダリル」――――
まるで要塞と思わせる程高い外壁に覆われた国である。
要塞の背後には大きく高く聳える山々が配し、側面には深い森が存在する。
入出国の経路は東にある門のみで、他国からの攻撃にも考慮された作りとなっている。
対立とまではいかないが、互いに睨みをきかせる風の国と大地の国の中間的ポジションとして、長くクッション役を担ってきたダリル。
輸出入に関してはウインズ、アスランの両国共に友好的ではある。しかし諸国では、今回の傘下問題で、どちらかの関係に傷が入る事が予想されている。
太郎とレイダは南側の森でチャールズと別れ、東門まで歩いて来た。
レイダがいたせいか入国には時間を要さず、あっさりとダリルに入る事が出来た。
ニ人はダリルのギルド「豪気」に宿をとった。
太郎の部屋ではレイダが椅子に腰掛け、太郎は扉の近くに立っている。
セーフハウスに続いて違和感を覚えたのか、レイダは太郎を見て首を傾げた。
「タローは……何故座らないのだ?」
「廊下の音の察知……敵の侵入経路の見張りだな」
「そんなにも気を付けているのか」
「気を付けなければ死に、気を付ければ死ぬ確率が減る。それだけだ」
正論とも言える太郎の言葉に、レイダはゴクリと唾を飲み込む。
レイダはその言葉に畏怖を抱いたのではなく、そうなってしまった今までの太郎の環境にこそ焦点を当てたのだ。
「さて、どこを調べる?」
太郎が声を低くし、レイダに聞こえる最小のボリュームで要点を伝えた。
「最も怪しいのは風の国を支持している、防衛大臣「ボロス」様だ。あの方は北区の西にある大きな屋敷に住んでいる」
「それから?」
「財務大臣の「ユーリウス」様だな。あの方はその逆、東に屋敷を構えている。このニヵ所を調べてくれ」
「…………モジモフはお前が戻って来た事を知っているのか?」
「いや、この後報告に伺うつもりだが……?」
またも首を傾げ太郎の質問の意図を伺う。
「やめておけ、奴も重要参考人だ」
「……どういう事だ?」
レイダは、自身を信頼し送り出してくれた上官に対して、侮辱ともとれる太郎のこの発言にはピクリと眉を顰めた。
「どういう事もない、邪魔な奴等を追い出して自身の作戦を進行させるとは考えないのか? 真逆の立ち位置にいるからこそ出来る行動というのもある。そういう事だ」
「しかし――」
「口を挟むならこの話は無しだ。道中俺の指示に従うと約束してもらったはずだが?」
音量は変えないものの、音圧を上げてレイダの発言を止める。
そして、「約束」という言葉とレイダがかわした契約内容、その裏切りを指摘する太郎の口撃。レイダは押し黙る事を余儀なくされてしまった。
「…………」
「不満なのはわかるが、互いの安全の為だ。可能性を下げる事は悪い事ではない。モジモフを信頼しているのであれば動揺する事もないだろう?」
「……そうだな」
「……では、今夜より調査を開始する……」




