第二十二話「信頼」
――太郎のセーフハウス――
ビアンカがゆっくりと目を開け太郎を見る。笑みをこぼし、太郎に許可が下りた事を伝える。
太郎は机に併設されている引き出しの中から筆と羊皮紙を取り出した。
ビアンカは太郎に正確な数値は伝えられないが、魔物の割合ならば伝える事が出来ると話す。
太郎は、以前レウスが「この世界の技術を超える事はやってはいけない」と言っていたのを思い出した。
(という事はそういったスキルがあるという事なんだろう)
その推測は間違っておらず、ビアンカがその後に「マッピング」というスキルの事を説明してくれた。自分が歩いた事のある半径数メートルの情報を収集出来るスキルという事だった。
その効果の程度はやはり錬度に反映され、習得出来るジョブは数少なく、高ランクでないと無理だという事だった。
「というところかしらっ?」
「感謝する」
ビアンカ達の善意に謝辞を述べ、自分が書いたその割合表を改めて見直している。その表情は険しく、羊皮紙を握る手にも力が入っているようだった。
チャールズもパタパタと飛び上がり太郎の後ろへ回ってそれを覗き込む。しかし、その時には太郎の中で何かが決定していたらしく、持っていた羊皮紙をチャールズに手渡す。
「チャールズ、後程作戦会議だ」
「了解した」
太郎への信頼からかニヤリと返事をするチャールズ。
ビアンカがそれを見て少し驚いた様子で小さな口を開ける。そしてキャスカはついにビアンカの蜂蜜酒に手を付け始める。
「うふふふ、お似合いみたいねっ♪」
「「?」」
キョトンとする2人にビアンカは一層笑って見せた。
キャスカの行動は予めわかっていたようで、注意も何も、意に介さない様子だった。チャールズは羊皮紙を持ったまま、また鉄の檻の上へと降り立ち、太郎はキャスカが飲み終えたカップを網目の付いたカゴへと入れた。
太郎は経験豊か故かビアンカを、無邪気さ故かキャスカを、アリス程面倒な女と思っていなかった。
むしろ協力的で好感を持てる人物にカテゴライズしているだろう。チャールズ同様、神界の住人達の存在は、気を遣わなくていい為、楽に感じていたのかもしれない。
「さぁて、長居しても悪いからそろそろ帰るわねっ」
「これ、お土産にいいか!?」
キャスカが新しい蜂蜜酒の瓶を持ち上げ太郎に許可を求める。図々しさのわりには嫌とは感じず、太郎はふっと笑い「持っていけ」と言った。
太郎に礼を言ったキャスカは上機嫌になったのか、スキップで洞窟の出口へ向かった。太郎の好意にビアンカが重ねて礼を言い、キャスカの後を追った。
チャールズは2人を送り出しに行く。
今一度チャールズの置いた割合表を見て、太郎は部屋に置いてあるカップを回収してカゴに入れる。そして、それらを洗う為、洞窟の真裏にある水場へ向かった。
この洞窟の立地は非常に良く、周りは野草豊かな林に囲まれ、裏には湧き水が出る水場がある。盗人達が根城にしていたのもこういった理由があったからだろう。
太郎のセーフハウス近辺には簡単なトラップが仕掛けてあるが、洞窟への侵入は案外容易である。それ故金銭の保存については洞窟内の岩の割れ目に隠し、その上から岩のカモフラージュを行い、いつでも逃げられるように現在、地下室を建設中である。その後に地下室から別の地上ルートを作成する予定である。
太郎はリンマールでの買い物やハチヘイルの協力により、着々とセーフハウスの環境を良くしていったのだ。
勿論、その中にはチャールズの趣味と努力の影が見え隠れした調度品が多数存在した。
太郎は岩に囲まれた水場に向かう途中で、ピタリと足を止める。何者かの気配を察知したからである。
無論、太郎は索敵を使えないが、歴戦の経験からか、ある程度の気配察知能力は備えていた。
咄嗟に「気配ゼロ」のスキルを使用し、茂みにカゴを置き、岩場を登り吹き抜けになっている水場の上から気配のある水場を覗き込んだ。
水場には、意外な光景が見られた。
太郎の瞳に映ったのは金髪の女の姿だった。
水場で身体を拭いている女は、美しく肉感的な肢体に適度な筋肉を宿していた。どうやら旅の者が近くに見つけた水場を利用し、休憩していたのであろうと判断し、太郎はゆっくりと岩場を降りようとした。その時――
「何者だ、覗きとは趣味が悪いぞ」
太郎の方を向き、キツい言葉を放つ。その言葉の中には、意外にも怒気は籠っておらず、あくまで警告とするような口調だった。
太郎にもそれが伝わり気配ゼロのスキルを解いて見せた。
「すまない、敵かと思い警戒した」
「ほぉ、敵ではない証拠はないぞ?」
太郎はまず女の裸体を見てしまった事を謝罪した。しかし女から目を背ける事はしなかった。今迄の職業柄故か太郎の頭の中では「女は身体をを武器にする」という認識があったからだ。
無論、そういった認識になる程、女の殺し屋と戦闘になる事がしばしばあったのだ。標的となったのは主にアイザックだったが……。
「あぁ、だから警戒は解いていない。お前の用事はこの水場だけか?」
「あぁ、その通りだ」
「そうか、邪魔したな」
太郎はそのまま後方へ跳躍し、女の視界から消えて見せる。太郎が女から最後まで目を反らさなかった理由は言うまでもないだろう。
着地した太郎は、すぐに後退して近くに身を隠し、潜伏地から岩場の出入り口を注視する。
数分後に簡素な銀色の甲冑を纏った女が出て来た。
ここで、太郎の警戒レベルが1段階上がった。途中まで気配ゼロを使っていなかったものの、チャールズが気付かなかった平時の太郎の気配を女が読み取ったからである。
女は、ジャンボ程の大きさは無いものの、右手に見事な剣を持ち、左手には円状の金属盾を装着していた。
背中まである金髪を揺らしながら数メートル程歩を進め、女はその剣を地に突き刺した。
「出てこい、私に敵意はない!」
女は地に刺した剣から離れ、太郎の害意がない事を伝える。勿論、他に武器を隠していないとも言えない状況なので、太郎はしばらく女の動向を見守った。
するとその声を聞きつけてか、チャールズが先程まで太郎が立っていた水場上部の岩の上に降り立った。
太郎を発見出来る程の索敵能力である。女がチャールズを発見出来ないはずがなかった。
小さいながらも竜という存在であるチャールズを前に、地に刺した剣の側に近づく。
「……女」
それを止めるかのようにチャールズは女に声をかける。剣の柄に手をかけた女がピタリと止まる。
やはりこの世界では、喋る魔物がいるという事は一般的な概念からかけ離れているようだ。
「……何だ?」
「あやつをお主の前へ出したければ、裸になって何も持っていない事を証明する他ないぞ?」
「ほぉ、先程の者の仲間か」
「どうとでもとるがよかろう」
上から目線という印象が強いチャールズの言葉だったが、その言葉とは裏腹にチャールズの尻尾は確かに勢い良く揺れていた。おそらく「仲間」という単語に反応したのだろう。
『心音を聞く限りでは害意はない、出てきてはどうか?』
チャールズが太郎に問いかける。
『……仕方ない。盾を剣の側に置けと伝えろ。それが最低条件だ』
太郎の慎重さが際立つが、この臆病ともとれる太郎の慎重さが、今までの太郎の命を保っていた事は言うまでもないだろう。
「まだ信用出来ぬようだ、盾を置け……」
剣の方を顎で指し武装解除を伝達する。
裸になるよりはマシ、と思われたのか長考の末、女は盾を外し剣の側に置いてまた離れた。
太郎の意図を読み取っているかのようにチャールズは地に刺さった剣の上まで飛び、窮屈ながらも鍔の上に降りた。
「完全に不利な状況だな……」
女はやれやれと腕を組み、自らの不満を述べる。がしかし、太郎が自身をあの場で攻撃しなかった事により、女は太郎を敵と認識していなかったのだ。
チャールズが鍔の上に立った頃、太郎は身を隠していた茂みから現れ、腰のダガーに手を添えながら女の剣の元へ近づいた。
「何の用だ? あのまま帰れば、双方干渉される事はなかったはずだ」
太郎が当然とも言える質問を投げかける。そう、太郎は何故に不利な状況になるのにも関わらず、この女は自分に近づいたのだろうと考えていた。
女は黙っている。太郎の意図はわかっている様子だったが、やや俯きその答えを躊躇っているようでもあった。
「…………名前は?」
太郎は切り口を変え、別の質問を女に投げかけた。細かい情報を相手に言わせ、徐々にそのウェイトを感じさせず女に話してもらう為だろう。所謂誘導尋問に近いやり口である。
「……レイダ……」
「太郎だ」
「我はチャールズだ」
互いに名乗り合い太郎が質問を続ける。
「どこに行くつもりだったんだ?」
「ドードーの町……いや、そこで目的を果たせなかったら火の国イグニスへ行くつもりだった」
「途中でも目的が果たせる可能性があるという事か」
「そう、その目的に今ここで会えたのだ」
「どういう事だ……?」
「太郎、私に力を貸してくれないだろうか?」
レイダは胸に手を置き、振り絞ったように太郎に願いを伝える。
力を貸すという言葉を、太郎は自分の能力が必要だという言葉に置き換えた。何故なら太郎はレイダに対して気配を絶つ行いしかしていないからである。
自身の情報を一つしか与えていないのにも関わらず、その太郎の力が借りたいと言うレイダからの言葉は、「気配ゼロ」のスキルが必要だという事に他ならなかったのだ。
「……こちらも生活がある、報酬次第だ。詳しく話せ」
太郎は細かいやりとりをせず、レイダの意図を汲み取ってみせた。
数々の経験からか、依頼またはそれに付随するような事に対しては人一倍鼻が利いたのだ。
レイダはコクリと頷く。
「しかし、いくら人がいないからと言って外で話す内容ではない。出来れば場所を変えたいのだが」
「…………」
「我等の家を使うといい」
一瞬、太郎の目がギロリとチャールズを睨みつけた。
太郎はレイダにこちらの情報を渡した事を責めたのだ。勿論チャールズはその事に気付いていたし、太郎が責める事も把握していた。
『慎重過ぎるのもいいがこの者に悪意はない。安心するのだ』
『……まったく……。たまにお前と組んだ事を後悔する事があるな……』
『たまの確執も必要だろう』
『口の減らない奴だ……』
ある意味すっかり信頼し合っている仲と言えるような間柄である。
チャールズの言葉にレイダが反応し、「頼む」と一言告げるのだった。




