凡ての終わりに、愛があるなら。
タイトルは、ある曲の歌詞の一節から。
季節を合わせたくて投稿を遅らせていましたが、ようやく日の目を拝むに至った一作です(^-^;
<序詞>
この世界にある事象は、絶えず変化し続けている。
変わらないものがあると信じたい人の思いと相反するように。
変わらなければいいと願う、その刹那も。
時は絶えず移り変わる。
振り返るそのものが、過去と寸分違わぬものではない様に。
その風潮から、逃れる術は無く。
失われることで、新たな何かが生み出されていくように。
失われることで、虚無が形を得る事が叶う。
表裏が対をなす、この世界にあればこそ。
それは何も、人に限った話では無いらしい。
*
さて、これはこれでどうなのか。
苦笑に近いものを浮かべ、神社の境内に立つ。
普段から、周囲に中学生とは思えぬ落ち着き方を指摘されてはきたものの。
まぁ、確かに自分は落ち着いている方なのかもしれないなと思う。
育った環境。
そもそもの気質。
大概の人間はそれらに影響を受けて生育する訳だが。
加えて、自分にはもう一つの要因もある。
それについては、機会があれば話そう。
今は自分自身よりも、目の前のそれに意識を戻すべき場面だ。
***
ことの発端は、風聞ないし噂である。
『赤塚山神社』と呼ばれるその社には、数日前から神が宿下がりをしているという。
ご神体、ではなく神そのものが。
街の至る所で囁かれるその声に、興味を引かれて訪れてみれば。
緋色の鳥居を潜った先で、風に揺れる張り紙。
そこにはこう書かれている。
よろず、煩悩聞き届けます。
受付はお近くの巫女まで。
受付時間 昼十一時~夕方四時
※賽銭は投げないでください。
どうやら、余程の物好きがこの社の奥にいる事だけは確かなことらしい。
正直それだけ確かめられれば、彼の用は済んだと言って間違いでは無く。
実際、ほんの僅かに苦笑を浮かべた後に踵を返そうとしたところで声を掛けられたのは、彼が予期したところでは無かったのである。
「もし、そこな方? 宜しければ、社へ立ち寄っては行かれませんか?」
振りむけば、巫女姿。
よくよく見れば、知り合いに似た顔である。
「……扇田さん?」
「あら、奇遇ですね。御手洗君」
白と緋の巫女装束をさらりと着こなして、クラスメイトの扇田 遊理が立っていた。
些か古風な髪型だな、と常日頃から思っていた謎。
なるほど、これが理由だったかと一人頷いていたところで思わぬ言葉が被さる。
「御手洗君、恐らく貴方が思うような理由ではありませんが」
「……扇田さん?」
「この髪型は、単なる趣味です」
ふと気付いた。先程から自分は名前しか呼んでいない。
理由は簡潔。
絶妙なタイミングで、こちらの言葉を先んじていく人物がいるからである。
「そうなのかい」
「そうなのです。……ところで、御手洗君は煩悩をお持ちですか?」
こんな切り返しは、おそらく一生に一度有るか無いかだろうなとは内心の言葉であり。
勿論口には出していない。
とはいえ、伝わっているのだろう。
そう思い、敢えて口を開かずにいれば。
「駄目ですよ、御手洗君。若齢の折から省略を好むようでは碌な人間になれません。多分」
「多分、ですか」
見透かされていたようだ。
ふむ、儘ならないものだなぁと思いつつ。
取り敢えずここは真面目に答えようと、口を開き掛けたところ。
「煩悩が無ければ、それ即ち人と呼べるかも危し。…とは、よく言ったものです」
再び言葉を紡ぐ間もない。
さてさて、どうしたものかなと様子を見ることにした。
「御手洗君、何度も言わせないでください。様子を見ている暇などあったら、出来る事をする。これ即ち若齢の折の心得その伍」
「……因みにあと幾つあるのかな、その心得」
「人の煩悩の数だけあるのですよ、御手洗君」
つまり、最低でも百八はあるのか……。
ふむ、興味深い。
「それで、有るのですか御手洗君?」
しみじみしていれば、半ば不意打ちを貰う。
このペースに慣れるのには、もう少し時間が掛かりそうだと思った。
「……? ああ、煩悩の話でしたね。勿論ありますよ」
「………?!!」
さらりと告げれば、茫然自失に出会う。
これは正直なところ予想外だ。
「その反応は些か疑問ですが。…ありますよ、僕も人間ですから」
「……そう、でしたね」
今思い出しました、と言わんばかりのその表情。
流石にこれには首を傾げた。
まるで自分が人間ではないと言わんばかりである。
逆説的に言えばね。
「扇田さん、つまりこの張り紙によると……君が、最寄りの巫女ということ?」
「御手洗君、正確に読んで下さい。張り紙には、お近くの巫女にと書かれています」
「ああ、それもそうか。じゃあ、扇田さんが受付では無いんだね?」
「いいえ。私が受付です。だから先程から確認しているでしょう?」
さてさて、会話というのは難しいものである。
流石に会話術だけで世の中に本が溢れる現代社会。
その神髄を見た気がした。
「……真髄、を思いだしたのですか?」
「いや、神髄。本質の事だよ。……というよりか、そろそろ僕は覚なみに心を先読みする所に対して突っ込んだ方が良い? それとも話を先に進めることに専念するべき?」
「話を先に進める方を、お勧めします」
「うん、そんなに真顔で言われたらそうするほか無さそう」
真顔ながらも、どこか鬼気迫る様子に逆らえるほど僕は強い芯は持たない。
真っ直ぐに立っていれば良いってもんでもないよね。
寧ろ少し斜め位。
できれば、伸縮性も備えている位が丁度良い。
勿論、私見に過ぎないけれども。
「ところで、扇田さん? 扇田さんは受付の意思を確認しているんだよね?」
「意思を確認というよりか、取り敢えず受付すればいいのにと思ってます。御手洗君、折角ここまで来たんですから、運だめしをしていきませんか?」
「あれ……何だか趣旨が変わってる気がする。僕の気のせい?」
「ええ、気のせいです。では、案内しますから付いてきて下さいね。御手洗君」
「……いつの間にか受付が終わっていた不思議。いいの、記入とか?」
「後でも出来ます」
「それ受付の意義、無いね」
やれやれ、実際に入るところまでは想定していなかったんだけれど。
まあいいかな。折角の機会だ。
今日はスーパーの特売日でも無い。
必然的に、午後はそれなりに予定も空いているのだ。
「そう言えば、賽銭は投げないで下さいって注意書きがあったね」
「投げると危ないから、禁止事項に挙げておきなさいと厳命があったものですから。御手洗君にも今一度伝えておくべきでしょうか……?」
「…いや、聞いて確認したからいいよ。十分です」
「それなら良いのです。……因みに、御手洗君。今日の所持金は?」
「ええと……、小銭まで数えた方が良い?」
「寧ろ小銭だけで結構です。紙幣など渡されても困ると言っていましたから」
それを聞き、徐に小銭入れを取り出す。
ガマ口の緑色。名付けてピョンタ君の腹持ち具合は……。
「九百九十九円だね。…うん、満腹状態」
「寧ろそこに一円玉を投げ入れたくなる歯痒さ加減です」
残念ながら手持ちがありません、と。
悔しそうに呟く後ろ姿を追いながら、社の奥へと歩を進める。
「もうすぐです。御手洗君、お賽銭の準備を」
どれほど歩いただろうか。
前を行く扇田少女の声に我に返ったようにして、ごそごそとピョンタ君の口腔内を片手で探る。
穴、穴……と。
五円玉の感触を手に、頷く。
それを確認して開けられた木戸の向こう。
耳朶を打つのは、水音。
日の光を反射する水面が、眩しい位だ。
「……なるほど。紙幣は駄目だね」
「だから言ったでしょう、御手洗君」
そんな会話を交わしたのにも理由がある。
神殿と呼べるであろうそこに、鎮座していたモノ。
薄眼を開けたそれに、普段滅多に驚くことの無い自分が目を瞠っている。
それもその筈。
一言で言うならば。
巨大な水槽……否、どちらかと言えば金魚鉢に近い球体の硝子。
並々と湛えられた水は不自然なほどの透明度を誇り。
その透明の向こうで、現在進行形でこちらを睥睨するもの。
「……人魚的なモノを目にしたのは生まれて初めてだと思う」
「……御手洗君? 貴方にはもう少し表情筋の存在を省みて欲しいと思います」
扇田さんの茶々は兎も角として。
確かに、少し冷静過ぎたかも知れない。
うん、今度からはもう少し気を付けたい。
「……御手洗君、私をこれ以上諦観に染めないで欲しい。今はただそれを切に願います」
「……うん、何と言ったらいいのか。申し訳ない」
とは言え、お賽銭を手に持ったままでは意味が無いね。
視線を交わし、無言の内に意図を察した。
些か不安そうな扇田さん。
互いに表情が希薄寄りであるものの、それはもう雄弁に伝わる。
さて、ここが勝負どころだ。
金魚鉢よろしく水を一杯に湛えた水面へ、手を翳し。
そのまま歩み寄って、手にしていた賽銭を掲げた。
「どうか、お納めください」
ぽちゃん、とささやかな飛沫を上げて静かに沈んでいく銀色の煌めき。
……銀色の、煌めき?
「あ、………間違えてしまったよ。扇田さん」
「時は戻せませんよ、御手洗君」
それも道理か、と。
水底へ沈んで行った五十円玉を見送って思う。
本来であれば稲穂。
金色の煌めきが、いつの間にやら菊の花。
穴だけで判断すると、痛い目に合うことがある。
今回の悲劇に至る要因は、詰まるところそこにあった。
しみじみと悔恨する。
しみじみと反省する。
正直なところを吐露しよう。
せめて外側のギザギザに気付いていればと、思わざるを得ない。
差額は四十五円。
四十五円は大きい。
心なしか、ピョンタ君の腹持ち具合が空いてしまった。
……ふむ、どうやら頑なに扇田さんは目を逸らし続けている。
自然を装ってはいるものの、あれは意図的だ。
なるほど、これはつまり根気強く思考し続ける事が求められているということらしい。
「……時は戻せませんよ、御手洗君?」
心なしか、先程に比べて教え諭す雰囲気を加味して来ている。
そこは神前だけに、厳かな雰囲気さえ併せ持つ辺りが厄介と言えばそうなのだろう。
とは言え、まだ手は残っている。
今回は遮らせないよ、扇田さん。
「煩悩を聞いて頂けると伺っています。神様、叶う事ならば聞き届けて頂きたいのですが」
「宜しい。申せ」
ぱしゃん、と尾ひれの部分が透明な水を掻く。
その軌道を横目で見ながら、徐に語り出した話。
それは、とある男を巡る数奇な物語の序章。
普段の彼を知るものであれば、揃って目を瞠ったであろう。
その美しい声に。
低められたそれの、怪しさに。
そして紡がれる語りは、神もが退屈を忘れるであろう巧みさを併せ持つ。
それ即ち、人の『煩悩』に纏わる悲喜交々であった。
それは何時のことだったか。
この世界に存在する神に纏わる、とある風聞を聞いたことがあった。
神は、人の『煩悩』を糧にする。
それを直訳すれば。
神の好物は、人の『煩悩』であると。
つまり様々な『煩悩』を並べて語れば、それは神にとってのフルコースに等しい。
その認識を元にして、試しに語ったのは序章の部分。
物語の肝である。
これに感心を示されなければ、その時点で四十五円を諦めるほか無い。
予めそこは線引をしておき、臨んだ賭けだ。
さて、海老で鯛を釣ることは可能かと。
反応を窺ってみたが。
どうやら杞憂であったらしい。
「ふ、相も変わらず賢しい奴よ」
疲れたような声が降り、同時に巻き上げられた銀色の煌めきが掌へ還る。
「そちらこそ、今も昔も変わらずに美しい入れ物を見繕っているではありませんか。ある意味、どんな寄生虫よりも恐ろしいですよ」
「ふ、今回はその語りの美しさに免じて、その無礼極まりない発言にも目を瞑ろう」
神水と呼ばれるそれは、神を地上へ繋ぎとめておくための溶媒である。
扉が開かれたその時から、すでにそのことを看破していた少年もまた。
つまりは、只人ではないと言うことの証明になる。
「人が悪いですね、御手洗君。……読心にもそれなりに労力が掛かるのですから。出来る事なら、初めから伝えて欲しかったものです」
睨み据えるような、少女の眼差し。
もとい、彼女もまた彼ら同様に只人ではないのだが。
しかしそんな些細なことは、今の彼らにとっては重要ではないのだ。
問題はもっと根本的な所にある。
その起源を掴むべく、今日もまた少年は風聞を頼りにあらゆる『神ノ社』へ出没を繰り返している。
今回は、まるで成果が無いとは言えないものの。
彼の本来の目的を果たすには、まだ道半ばと言える。
「それは申し訳ないことをしました。……今回は、語りに免じて許してもらえませんか?」
先程まで語りをしていた表情から一変し、どこか気弱そうに頭を下げる様子にまるで溜息を隠さない少女と神が一人。
「もう一語りしていけ。たまには間食をさせろ」
とは神の声であり。
「水月さま。程々にしておかれないと、太りますよ」
そんな発言は、勿論巫女姿の少女のものである。
彼女以外に、そんな恐ろしい発言を言ってのける豪傑はいない。
少年は慎重な己の領分を良くわきまえている。
従って、彼らの発言に返す言葉はそのまま語りの序詞になった。
朗々と響く声に、金魚鉢に湛えられた神水の水面が波紋を作る。
いつしか共鳴を始めた。
それによって、神殿の奥は不可思議な音色に満たされていく。
この現象こそが、彼の真骨頂とも言える。
『語り効果』と彼自身は以前から称していたものの。
大多数は別の名称でそれを呼ぶ。
『騙りの神の食前酒』と。
その声一つで、あらゆる夢幻を生み出すだけに留まらない。
神の腹を満たし。
現実との境を曖昧にするほどの脅威も併せ持つ。
「悪魔の酒、ですか。言い得てして妙ですね」
他ならぬ当人が、嘗て言った言葉が脳裏を巡る。
彼の父は酒精を統べる長であった。
彼の母は悪夢を司る夜の神の一人娘。
その掛け合わせである彼が、己をそのように称したのにも頷ける。
「お粗末さまでした」
語りを終えた所で、踵を返そうとする彼の頭上に水が降る。
予めそれを予測していたかの如く、ひらりとそれを避けた彼は追撃が来ないことを確かめて、ゆっくりと振り返った。
「まだ、何か?」
「本当に変わらないのだな、お前は。素っ気なさにも程度があるぞ。……最高神の居場所を知りたくて各地の神社を回っているのではないのか? 何故聞かない?」
「それは、もう知っていますから。……海洋神である貴方は未だに情報に疎いのですね。その点については改めて憂慮の念を覚えるばかりです……」
遠回しに『まだそんな事も知らなかったの、君』的発言を受けた一つ神。
その鱗は漣の如く立ち上がり、まるで猫が威嚇する様子にも酷似している。
が、状況はそんな可愛らしいものではない。
神の怒りを招けば、まず例外なく周囲への被害は免れない。
それを想定しない彼では無い。
考えも無しに、言った言葉ではないのだ。
事実、殆ど間を挟まずに告げられた一言に神の怒りは行き場を失う。
「自分の目的は、最高神ではありません。……夕暮れの君の居所です」
その言葉を受け、逆立っていた神とその横に控えていた巫女姿のクラスメイトは絶句する。
その表情を受け、彼自身溜息を零したくなる。
面倒だから、あまり口にしないでいることを今回は仕方なく口にした次第だ。
決まってそういう表情を向けられると分かっていて、どうして言いたくなるだろう。
「……何と言うか、すまん」
「謝られる方が、へこむと分かっていてやっているなら貴方も相当ですよ」
そう言い残し、今度こそ神殿を出て行った彼の背を見送った二人。
暫しの沈黙が、痛々しい。
ようやく顔を見合わせた時には、見送って数刻が経っていた。
「相変わらず……だな。報われなさにかけては、当時と寸分も変わらないようだ」
思わず海洋神である彼女がそう零したのにも、理由がある。
神である彼女の怒りをたった一言で、霧消させた少年のその言葉。
簡潔に言えば、同情もするというもの。
否、どちらかと言えば涙さえ禁じ得ないレベルとも言えようか。
*
昔語りをしよう。
それは、一人の女神を巡る物語り。
それは、けして報われぬ恋に落ちた男神が神ノ御位を自ら手放すに至った譚詩である。
女神の名は、夕暮。
男神の名は、夜風。
『彼』は、今までの会話から推測される通り嘗ては神の一人に数えられていた。
その語りの雄弁さと、それに対する虞の意味合いを持って当られた二つ名こそが。
『騙り(かたり)の神』
それが彼にとっての悲劇の始まりだったのかもしれない。
口さがない人物が、人の世に多数存在するように。
口さがない神々も、存在していた当時。
無表情、無感動、普段こそ寡黙の三冠を持っていた彼には愛する少女がいた。
その少女は、最高神の八人の孫娘たちの末。
『夕暮れの君』と呼ばれていた夕刻の女神である。
最高神は時の神。時を司る彼には二人の息子と四人の娘。
それぞれに時と戒律を司っていた。
六神と呼ばれていた名だたる神々の内の一人。
立場としては次男に当たる黎明の神が、あらゆる苦難の道のりを経て迎えたのが太陽神の愛娘として当代に名を知られた美姫だった。
そんな二人の間に生まれたのが、孫娘としては八人目に数えられた彼女。
それが、夕暮れの君だった。
率直に言えば、彼女は神の寵愛を一身に受けて育った。
それは裏を返せば、彼女の愛を勝ち得ることのむずかしさを示している。
高嶺の花。
それは彼女の為に存在する言葉ではないかと、多くの神々が口を揃えたものだ。
因みに、彼女自身はその状況からすれば奇跡と思われるほどに賢明な性を持っていた。
他の七人が、典型的な気位の高さを誇示する一方で。
恐らく両親の影響もあったのだろう。
良識を持った美しい女神へと成長していた。
そんな彼女と、出会った神の一柱。
それが『彼』だった。
周囲が微笑ましさを覚えるほどに、それは純真な恋模様。
しかし、それを良くは思わなかった神々がいた。
美姫とくれば、必ずと言っていいほどに付属されてくる事の次第。
さして珍しくもない、横恋慕をした神々による計略。
彼らが最高神へ提言した結果、引き起こされた事態。
『騙りの神』として誤認された彼は愛する少女と引き離された。
恋を騙り、女神の目を晦ませた悪神という誹りを受けた彼は。
『荒れ地』と呼ばれる狭間へと追放され、悠久の時を彷徨い続けた。
彼の精神を支え続けたのは、少女への揺るぎない愛そのものであり。
彼は真実、恋を騙ったことなど在りはしなかった。
歳月が彼の神格をどれほどに蝕み、貶めても尚。
彼はその愛を、手放すことだけは無かった。
遠い遠い月日の果てに、ようやく許された彼が常世に帰還したあの日。
それが、全ての始まりであり。
それが、全ての終わりであった。
神の世界が、滅びの詩によって崩れ落ちた日。
しかし最後まで紡がれる事の無かったそれは、常世に歪みを残すことで幕を閉じた。
全ての神々は。
常世は。
呪いを受けることとなった。
それは最高神である時の神を以てしても、解く事の叶わなかった慟哭の詩である。
形を保つことを許されなくなった神々は、神水と呼ばれる溶媒を通じてのみ現世へ姿を現すことを許される。
それが、呪いの形。
崩れ落ちたものは、二度と元の形には戻らなかった。
神の力を以てしても、けして触れてはならなかった禁忌の域。
「愛こそが……全てを掬い上げ、同時に全てを壊しもする。それを『神』が身を持って知ることになるとは皮肉な話だよ。……本当にね」
一つ神がそう言って微笑し、傍らの少女はただ頷きを一つ返すのみ。
それが、示すもの。
神も人もない。
彼らもまた、過ちを犯す。
犯した過ちによって、嘗て裁かれた者たち。
それが現世の神々の姿である。
揺れる水面に、嘗ての神々の姿が映し出される日は二度と来ないのだから。
ふわり、と舞い落ちて来た一葉を指先で摘まんで空へ透かした。
夕暮れの色に、馴染んだそれへ微笑んだ刹那。
蘇る情景は、泡沫のように儚く失われていく。
『詩』を紡ぐ度に、喪われていくのは大切な記憶。
全てのものには、代償がある。
全てを承知で、禁忌へ踏み入った。
彼は、知っている。
再び彼女に巡り合える確率が、限りなく零に等しいことも。
たとえ巡り合えたとしても、嘗て神であった『彼』が彼女と結ばれる道はとうに絶えてしまっている事も。
常世で、唯一彼の呪いから免れた存在。
彼が詩を紡いだあの時を境に、彼らは永遠に別たれたのだから。
僕の記憶から君が喪われてしまうその前に。
どうか、お願いだ。一目で良い。
君に、逢いたい。
何時失われるかもわからぬ想いを抱え。
手を伸ばせば伸ばす程に、遠退いていく存在を愛しみながら。
少年はこれからも神ノ社を巡り続けるだろう。
『神』が現世に現れたと聞くたびに、その足を運び続ける事だろう。
今はもう、叶わない恋を抱えたまま。
五円玉を片手に、少年は巡る日々を往く。
*Fin*
ここまで読んで頂いた方々へ、感謝の気持ちを込めて最後に一言。
ありがとうございました(^-^ゝ