2.4.2
「おぉ、やってるやってる。今日は一人? 忙しそうだね」
十三時過ぎの店内。普段よりも若干早くピークを越えたすずのねに一人の女性が入ってきた。
藤野喜代。便利屋『アサカ』の一員にして、掃除人としても活動しているA区画ではちょっとした有名人である。今日もいつも通りオレンジ色のエプロンと頭巾を巻いており、手に彼女のトレードマークといもいうべき竹箒があった。
「いらっしゃいませ……ってなんだ藤野か。丁度席も空いてきたとこだから、好きな席にどうぞ」
英二が喜代から竹箒を受け取って、カウンターの内側で預かる。喜代はそのまま英二に言われた通り、案内もなしに空いているテーブル席に腰を下ろした。彼女はすずのねの常連客で、いつも通りすずのねオリジナルのブレンドコーヒーと昼食を注文する。
喜代はすずのねのランチメニューを日毎にローテーションしている為、英二は聞かずとも何が注文されるか分かっていた。順当にいけば、今日はナポリタンの日である。
ただ、まだ務めてから一ヶ月弱で日も浅い事もあるので、念のため喜代に確認した。喜代もまたメニューを見ずに応える。案の定ナポリタンだった。
喜代は先に出されたコーヒーを飲みながら、店内を慌ただしそうに駆ける英二の姿を眺めていた。
英二がすずのねで働く話が出た当初は、やはりそう単純に事は進まなかった。
まず最初に、彼の雇用に待ったを掛けた者達がいた。それが便利屋『アサカ』の面々だった。
彼らはある依頼から九月一日の一件に関わる事になり、近藤英二を捜索していたのだ。
ただ、その依頼は破棄となった為、今はもう英二の捜索を行ってはいなかった。
しかし、それでも便利屋からすれば、妙な事が続いた後だったので、人手不足の解消にわざわざ英二を雇う理由はないだろうと思っていた。中でも一番反対の色を見せていたのは喜代であり、彼女がすずのねの常連という事を考えれば当然だった。トラブルの種を店に抱えてほしくないのだ。
そうした事もあって反対者たちの声が強かったのだが—―
そんな時に二者間の仲立ちしたのが、桜井悠介だった。
悠介は、九月一日に英二がボディガードとして雇った相手だ。とある縁から知り合った二人だが、彼らは意外とウマが合っており、今では友人同士の間柄になっている。
その悠介が便利屋の面々とすずのねを説得し、英二の後押しをしてくれたのだ。成り行きとは言え、英二の依頼に最後まで付き合えなかった事への埋め合わせのつもりのようだった。
そんな悠介の助力と、英二の熱意もあって、周りの人々は少しずつほだされていき、最終的に英二はすずのねで働く事になったのだ。
まだ働き始めて一ヶ月も経っていないが、慣れない中でも前のめりに頑張ろうとしている姿勢から、英二の人柄に好感を持つ者は増えていた。あれほど警戒していた喜代も、英二が働き始めて十日目くらいにはもう彼を認めており、今では彼と普通に会話する仲になっている。
「そういや、最近便利屋の方ってどうなってるんだ?」
喜代が注文したナポリタンを食べ終えて、追加で頼んだコーヒーで一息ついている時。
あらかた店内が落ち着いてきたところで、英二が喜代に近づいて便利屋の近況を訊いた。
「ん? まぁ、どうもこうもないよ。いつも通りって感じかな」
「いつも通りってお前……もう一週間だぞ。やっぱまだ仕事ないのか」
「まぁね。この調子だとまだ解決しそうにないかなぁ。私はとりあえず掃除の仕事があるから良いけど、このままだと副業が本業になりそう」
喜代が本業としている便利屋『アサカ』にはこの一ヶ月まともに仕事が入ってきていない。経営陣の阿坂姉弟がなんとか対策を考えているようだが、未だ解決の目途は立っていなかった。
仕事がない為、稼働がショート。阿坂姉弟以外は休みとなっているのだが、一応喜代には副業で掃除の仕事がある為、一先ず職なしにならずに済んでいる。今日も一仕事終えた後のようだった。
「なんか大変そうだな。藤野はしっかりしてるから心配してないけど、アイツは大丈夫なのか」
「アイツって、悠介の事?」
「そうそう。最近見てないんだけど、アイツ今何やってるの?」
「いや、分からないな。私も最近見てないし。まぁ、大方やる事ないから家の中に籠って、省エネ生活してんだろうね。今の悠介、完全にニートだから」
普通なら深刻になるべきなのだろうが、それを聞いた時、英二は特に不思議に思わなかった。
便利屋以外でまともに働いている悠介の姿を想像できなかったからかもしれない。
別に、普段便利屋をしている時もまともに働いてはいないだが。
「そんな事より、今日って確かゆかりのお婆さんが来るんじゃなかったっけ? ゆかりがさ、春休みで実家に帰った時に、次はお婆さんが遊びに来る約束をしたって凄い楽しみにしててさ。なんか昼前くらいには来そうって言ってたんだけど」
「お前、日野家の事情に詳しすぎだろ」
藤野喜代は、『すずのね』店主の一人娘——日野ゆかりと特に仲が良い。ゆかりから慕われているのを良い事に、『ししょー』と呼ばせている程だ。
英二も、今日ゆかりのお婆さんが来る事は耳にしていた。確かに喜代の言う通り、今日の昼頃には店に到着する事になっているのだが、まだ姿は見えていなかった。
「そういえばまだ来てないな。どこかで道に迷ってるのかも。……ちょっと待ってろ」
英二が厨房の方に戻っていった。日野夫婦からお婆さんの事を聞きに行ったようだ。数分後、再び喜代のもとに来たが、彼の表情は険しいままだった。
「電話も繋がらないってよ。フェリーが到着した頃に一度電話を貰ってるらしいんだが。心配だな」
そのフェリーの到着時間が午前十時頃。もう三時間近く過ぎている。
舞識島は広い。島に慣れている人間でも迷う事がある程だ。まして島外の老人ともなれば道に迷っていても不思議ではない。探しに行きたいところだが、今日のすずのねは人手が足りていない事もあってあまり余裕がなかった。まだ客はやって来るため、これ以上人を割けそうもない。
そんな店の事情を察して、喜代が席を立ちあがった。
「私が探してこようか?」
「え、良いのか」
「ゆかりが楽しみにしてたから。あの子が笑顔になってくれるなら喜んで。写真とかある?」
期待していた訳ではないが、正直、状況が状況だけに喜代が手を貸してくれるのはかなり有難かった。英二が諸々の事情を説明しに夫婦のもとへ戻ると、父親の方が出てきて、喜代にお婆さんの写真をスマホで転送する。ゆかりの父親が喜代に感謝を述べた。
「いつもありがとうね、喜代ちゃん。本当に助かるよ」
「いえいえ、このくらいは全然。私もいつもお世話になってますし、それに今は大してやる事もないんで。夜にはまた掃除の仕事がありますけど、それまでなら」
「何か分かったら俺に連絡くれ。頼むわ藤野」
英二が預かっていた竹箒を喜代に返して、店の入り口まで送っていく。どこから探索しようかと考え始めている喜代の横で、辺りを見回していた英二が正面の通りである光景を目にした。
「ん? あれは……悠介か?」
見ると、遠くの方で青い半纏を纏った男の姿があった。あのシルエットは桜井悠介で間違いない。
「なんだ、ようやく外に出てきたか。ちっこいのに絡まれてるけど……。あの子らは確か」
悠介の近くにはランドセルを背負った少年が三人いる。それは喜代の知った面々で、英二も一度顔を合わせている子供たちだった。以前紹介された、悠介がたまに遊んでいるというクソガキ集団である。どうやら小学生たちは今下校途中らしい。
「顔見えないけど、アイツ絶対ダルそうにしてんだろうなぁ。背中の丸みに哀愁を感じる」
「いや、どうだろうね。悠介って意外と面倒見いいからさ。しかし……ったく、暇だからって子供たちと一緒に何してるんだか。まぁ、でも丁度いいわ。悠介の力も借りてくるね」
そう言うと喜代は、小走りに悠介のもとへ近づいて行った。徐々に距離が縮まっていく。
彼女には、まだ彼らの会話は聞こえていない。
「おーい悠介! ちょっと手伝ってほしい事あるんだけど、お前暇なら私と一緒に……」




