1.4 少年の日常 04
A区画の森林公園は当然人工的に作られたものだが、その規模には目を見張るものがあった。
通りに並ぶ植林や花壇にはデザイナーの拘りが感じられ、島内でも人気のスポットになっている。また、公園内にはいくつかの通りがあり、両脇に並ぶ木々が日陰を作るため、散歩やランニングコースには最適な場になっていた。
朝凪高校に続く近道もあるため学生も何人か利用している。だが、普通なら誰もが利用する筈のこの道は、ある人物の影響で人通りが少なくなっていた。
「いや、待て! 落ち着け! 分かった! 俺が悪かったから!」
「知るか、ぶっ殺す」
「やめろ、やめ……ああアァァァァァ!」
公園に入った慎に届いたのは男の悲鳴。そして、女の威圧感ある声だった。
男の声に聞き覚えはないが、女の方は慎がよく知るものだ。
いや、A区画の住人ならおよそ知らない者はいないだろう。
数分後、怒声の発生源らしき噴水広場に着いた慎は、そこにいる一人の女性を目にする。
悲鳴を上げていた男はもうその場におらず、既に事が終わった後のようだった。
「逃げやがったか。ったく、これだから……」
その女性はエプロン姿で手には竹箒を持っており、見るからに『掃除人』という為りをしている。
竹箒を持つ女を中心におよそゴミと呼べるものは転がっておらず、彼女のいる周辺だけ異常な程に清掃されていた。その近くを歩く人々は明らかにその女から距離を取っていて、誰からも『関わりたくない』という意志が感じられる。
そんな彼女と周囲の様子に慎は再び溜息を吐くと、竹箒の女に歩み寄って声をかけた。
「おはようございます。今日も元気そうですね、喜代さん」
「あ? あーなんだ慎か。おはよう」
喜代と呼ばれた女が慎の方に向き、イライラした雰囲気を少しだけ抜けて挨拶を返した。
藤野喜代。それが『掃除人』であるこの女の名だ。
毎朝、A区画の森林公園に陣取って竹箒片手に掃除しているという、ただのボランティアだった。
A区画ではかなりの有名人で、本人の知らないところでは『A区画の番人』とも呼ばれている。
年齢は二十二歳。スラっとした長身とポニーテールに結った茶髪を持ち、傍から見れば美人の部類に入る筈だが、性格が見た目に反して男らしい為に、その良さが打ち消されていた。
そして、彼女の姿から分かる通り、『何かを綺麗にする』、『掃除する』ことへの拘りが異常に強く、森林公園に限らずA区画中を掃除して回っている程の掃除好きだった。
その行き過ぎた拘りから逆に島を汚す人間が大嫌いで、ひとたび島を汚す行為を目にすれば、怒りのあまり竹箒のスイングで殴ってくるというのは有名な話である。
「今日も怒声が聞こえたので、ちょっと様子を見に。公園の外まで届いてましたよ?」
喜代の荒々しい性格上、彼女に話しかけようとする人間はそういない。だが、彼女は慎が小さい頃からの知り合いであり、よく面倒を見てくれていた年上のお姉さん――もとい姉御的存在であった為、特に臆することなく話すことが出来た。
「えっ、ホント? ……そういえばさっきから周りの人に避けられてるような……」
「いったい何があったんですか?」
「あーそうだ! それだよ! ちょっと聞いてくれ」
「まぁ大体想像はつきますけど……。ポイ捨てでもされました?」
「見てたの?」
「いや、それ以外思いつかないというか。……あの、いつも思いますけど、もうちょっとセーブしましょうよ。感情を」
「うっ……。い、いや、私は間違ってない! だってほら、悪い事してるのはあっちだし。そういうのは注意しないと。……だから、私は間違ってないぞ。うん、仕方ない」
「そんな自分に言い聞かせるように理由並べなくても……。で、仕事の方は?」
喜代は『掃除人』だが、それが職業ではない。あくまで趣味でやっているだけだ。
A区画には個人で『便利屋』を営む事務所があり、喜代はそっちが本職だった。
「もう少しで行こうと思ってる。と言っても、本職の方は最近うまくいってないけどね」
「まぁそう言わずに。今日はきっと良い事ありますよ」
便利屋という職自体が曖昧で、基本的に何でもするわけだが、それ故に安定した仕事ではない。
喜代は慎の気持ちだけ受け取って軽く聞き流すと、何かを思い出したような表情をした。
「お、そうだった。そういえば三十分くらい前に律が通って行ったぞ」
その人名にピクリと反応する慎。それは今朝方からずっと気にしていた少女の名だった。
「そうですか。成瀬さんが……」
「そうですかって。なに? アンタらまだ喧嘩してるの?」
「いや、別に喧嘩してるわけではないんですけど……」
慎の事を小さい頃から知っている喜代は、彼が仲の良かった他二人とも知り合いだった。
成瀬律と柳和馬。彼らのリーダーだった和馬が本州へ引っ越した事も、喜代は知っている。
また、島に残っている律についても、何か上手くいっていない事は把握していた。
「私も今朝声かけたんだけど、やっぱり避けられてる感じでさ。ホント何があったんだろうな」
「喜代さんでもダメだったとなると、やっぱり難しいですね。一体どうすればいいのか……」
「私も出来る事はやってみるけど……。まぁ、こういう時こそアレの出番だよな。……なんだっけ、ほら都市伝説の」
「ん? それって……」
つい先程までネットでその話題を目にしていた慎の頭に『カゲナシ』の事が浮かぶ。
今舞識島で都市伝説と言えば『カゲナシ』なのだが、そんな慎の考えを察して喜代は口を開いた。
「いや待て。カゲナシじゃない。もう一つあるじゃん。あの愉快な方の奴」
「あー、……『エクス』?」
舞識島に伝わる都市伝説。それは一つだけではないのだ。
喜代の言うそれは、今流行りになっている『カゲナシ』とはまた別のものだった。
都市伝説『エクス』。それはこの島どこかにいるという謎の情報屋であり、いつ、どこから広まった噂なのか定かでないが、島内の全てを把握していると言われる謎多き存在だった。
悩みのある人に、何かしらの方法で一方的に役立つ情報を渡してくるらしく、主に匿名の電話やメールで接触してくるようで、実際にそれを受け取った者が何人かいた。
しかし、どうしても逆探知ができず、年齢、性別はもちろん、その姿を見た人間は誰もいない為、謎の多さではカゲナシを凌駕している。
そんな不思議で、訳の分からない存在が舞識島には数年前から潜んでいるのだ。
「今はすっかりカゲナシに話題取られてるけど、エクスも都市伝説なわけだしさ。困ってるやつが此処にいるんだから、助けてくれたらいいのに」
「そうポンポン出てこられても困りますけど」
「それもそうか。妖精みたいなもんだし。……まぁともかくさ。お前らまた仲良くなれるといいね」
そうこう話しているうちに、随分と時間も経っていた、噴水広場に設置された時計を見ると、登校時間までそう余裕がない。
慎は最期に軽く別れの言葉を交わし、足早に学校へと向かうのだった。