2.2.3
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十一時 舞識島A区画 鉄板焼き屋『鉄火』
平日昼前の『鉄火』店内は、相変わらず客が一人だけだった。店内ではテレビのニュース番組が流れているが、その客の声で殆ど内容が聞こえない。キャップ帽を被った白髪の男だ。
「て、天才だ……。俺はとんでもない天才を見つけちまったかもしれない……」
白渡誠一はカウンター席で、いつも通り漫画を読んでいた。彼の身体は小刻みに震えている。
「やべぇよテツさん。これは過去一だ。語彙力ぶっ飛んで、もうやべぇしか言えねぇよ。この感動を誰かと共有しないと、まともに会話出来なくなっちまうよ! 大変だよ助けてぇッ」
話を振られている店主のテツさんは、カウンターを挟んで、誠一から注文を受けたお好み焼きを作っていた。誠一の事は完全に無視しており、黙々と作業をしている。
品を待っている間、誠一が漫画を読んで騒ぐのはいつもの事だ。漫画に集中するあまり、コップの水は空になっている。
そんな誠一のもとに、『鉄火』の仕事を手伝っている十二歳程の少年——マヒロが水の入ったピッチャーを持ってきた。マヒロはこの店で唯一の従業員になる。
「テツさんは相手しないってさ」
「おっ、水サンキューなマヒロ。……あぁー、興奮しすぎて喉乾いてる。やべぇわ」
マヒロはコップに水を注ぐ最中、誠一をどう鎮めるかを考えていた。このまま放っておくと、またテツさんにマシンガンの如く漫画語りをするだろう。
厨房で作業するテツさんの背中は『俺に話しかけてくるな』と言っているように見える。その心中を察して、マヒロは、ここは自分が誠一の生贄になろうと思った。仕方なく話を振る。
「あれ? 今日読んでるのはいつものじゃないんだ」
マヒロが誠一の手にある漫画に目を向ける。彼が読んでいるのは、いつも手にしている漫画雑誌『ランズマガジン』ではなかった。その本の厚さは雑誌に比べると全然薄く、書店にある単行本の半分もないように見える。更に誠一の足元を見ると、そこには分厚い紙袋があり、中には同じような本が何冊もあった。どの本にもバーコードが見当たらず、どうやら一般書籍でない事が伺えた。
誠一が目を大きく見開き、ぐっと顔を近づけてくる。マヒロは、標的が自分に切り替わった事を感じて、『あ、この話転がすべきじゃなかったな』と後悔したが、もう手遅れだった。
「よくぞ訊いてくれたな! コレ悠介から借りてるもんでよ。アイツの便利屋仲間に漫画描いてる人がいるって聞いてさ。前からちょっと気になってたからいくつか借りたんだ」
「へ、へぇ~……」
「そしたらどうよ! 読んでみたらとんでもなく面白かったんだコレが! っつーか、どれもこれも天才かよってくらい絵が上手い! 確かにぶっ飛んだ話が多いが、絵がマジで上手くてビビったぜ。特にこれだな。地球侵略に来た宇宙人と地球人のアクションバトルモノ! シリーズものらしくて、何故か最初学園ラブコメみたいな始まり方なんだけど、十ページもすると血みどろのアクションバトルになってた。そんで次にはまたゆるふわコメディに戻る……全く先が読めなくて斬新だったぜ。俺は今何を読んでるのかと思ったよ。なのに面白い! 絵の上手さで読者をねじ伏せてるんだよな。何故か先が気になる。あと、ここなんだけど、丸々八ページを台詞ナシのアクションに使うっていう超渋い事をやってて――」
マヒロが危惧していた通りマシンガントークが始まる。誠一の話にとりあえず頷いてはいるが、その内容は半分も理解していない。その後、誠一の語りはおよそ十分間続いた。
「ってわけで、読んでると不思議な気持ちになる漫画だった。まるで宇宙を漂っているような……今までに経験した事がない感覚だ。良く分からんがとにかく感動した。この人は天才だよ、うん」
「そっか。それは良かった良かった」
途中からマヒロの対応も段々雑になってきて、最後の方は「うん」と「そっか」と「それは良かった」の3パターンを繰り返すだけになっていた。『そろそろ終わってほしいなぁ』とマヒロが思っていた時、店内に流れているテレビ番組の方に、誠一がふと目を向けた。
『えー……ここで速報が入ってきました。本日十時頃、舞識島C区画の住宅街にあるアパートの一室から火が上がっていると消防に通報がありました。この件での死傷者、怪我人はいないとの事です。では、現地に赴いているレポーターに繋ぎましょう』
流れているのは島内のニュース番組だった。どうやらC区画の方で火事があったらしい。番組が現地の様子を映す画面に切り替わる。現場には人だかりができていた。火は既に消えているようで、二階建ての小さいアパートの角部屋が黒くなっている。ただ、他の部屋は何事もなく無事のように見え、火事にしてはそれ程大きいものではない事が伺えた。
「火事か。……うちも火元は気を付けねぇとな。こういう事は日頃から意識しとかないと……」
それまで沈黙していたテツさんがニュースに反応を示した。飲食店を経営する身としては他人事には聞こえなかったのだろう。テツさんもマヒロも、緩んでいた意識をぐっと引き締めた。
ただ、誠一だけは違った。
「おーおー、やってるやってる。なんだよ、もうニュースになったのかぁ」
「は?」「え?」
二人の視線が誠一に集まる。一体この男は何を言っているのか。そんな感情が見える声だった。大体、何でニュースを既に知っている風なのか。
そこでテツさんはある事に気付いた。今日の誠一の来店時間が、いつもに比べてかなり早い事に。
何か嫌な予感がする。そんなテツさんの内心を置き去りにして、誠一は続けた。
「いやぁ、あのさ。ちょっと言いづらいんだけど……。実はね、語彙力ぶっ飛ぶよりも前に、別のもんがぶっ飛んでてさ」
アハハと乾いた笑みを浮かべる誠一。その反応で、テツさんの予感は確信に変わった。
誠一はテレビに映るアパートを指差した。
「あれ、俺んち」




