2.1.2
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九月二十六日 十時 舞識島B区画 第一港フェリー乗り場
巨大複合企業グランミクスによって建造された人工島——『舞識島』。
円形に広がる島の中心には、人工島の管制施設の建つ小島があり、その周辺には陸地となるメガフロートが環状に広がって配置されている。小島を保護するという名目から改修が始まり、人工島として生まれ変わったのが今からおよそ三十年前の事だ。
その当時から、洋上に浮かぶ人工島という話題性は人々の関心を大いに惹きつけていた。グランミクスと日本政府の敷いた制度や、舞識島に参入する多くの企業の援助によって、島は瞬く間に一大都市へと発展した。その勢いは今日に至るまで衰えることなく続いている。
そうして発展を続けた現在の舞識島は、ビジネスの場としてだけでなく、観光地としても名が広まっており、島には日々多く人の来訪があった。
舞識島と外部を行き来するにはフェリーか飛行機を使うしかなく、その乗り場はB区画にしか存在しない。特にフェリー乗り場は、舞識島が常にメガフロートを増設している都合上、容易に乗り場を変更出来なかった。そのため、B区画だけは外から島の中心に向けてフェリー用の水路が設けられている。その水路に沿ってフェリー乗り場が二箇所あり、中心寄りの方は第一港、外縁寄りの方は第二港と名付けられていた。
そんなB区画にある第一港のフェリー乗り場での事。
この日も港とその周辺では、人の行き交いが激しく、大きな荷物を持った人々で溢れていた。
「……困ったねぇ」
港から出てすぐ近くの通り。その脇道に設置された地図を見ながら、溜息を吐く一人の老婆がいた。フェリーで島にやってきたばかりの老婆の手には、旅行バックが握られている。
辺りを歩く観光客に比べればそれほどの大きさはないが、老婆の身には大荷物だった。
老婆は道に迷っている様子で、辺りを歩く人に道を訪ねようとしている。だが、誰も足を止めようとはしてくれない。
通りの先に見えるのは、巨大なビルが多く並ぶビジネス街だ。付近では自動車の交通が激しく、遠くからは、何かがあったのか消防車か救急車のサイレン音が鳴り響いている。また、老婆のいる道の両側にはスピーカーが一定の間隔で設置されており、舞識島に協賛する企業の宣伝が流れていた。人が集まって生まれるこの騒々しさは、流石は世界最大の人工島といったところである。
そうした状況下にあって、ただでさえか細い老婆の声が他人の耳に届くはずもなかった。人波がただ無機質に目の前を流れては過ぎ去っていく。
最早手を差し伸べてくれる者は誰も現れそうにない、と老婆が思ったその時だった。
「あの、どうかされましたか?」
老婆の背後から声がかけられる。振り返ると、そこには若い女性の姿があった。
年齢は二十歳前半くらいか。ファッションモデルのように美しい女性で、青のカシュクールと、白のスリットスカートを履いている。前髪を花のヘアピンで留めており、立ち姿に気品があった。
その女性が老婆に近づいて、優しく微笑み、言葉を続けた。
「大丈夫ですか? なにやら道に迷われているご様子ですが。困り事なら、私がお力になりますよ」
「あら、これはご親切にありがとう。優しいお嬢さんで助かるわ。……実はその通りでね。道に迷ってしまって、困っていたところだったのよ。すまないけど、助けてもらえないかい?」
「まぁそうでしたか。勿論です! 悩めるご婦人を放っておくなど出来ませんし、困った時はお互い様ですよ。それにこの場を見過ごす事は私の誓いに反しますので」
若い女性は、良く分からない事を口にしながら一人で勝手に張り切っていた。だが、それからすぐに渋い表情になってその勢いを落ち着かせる。
「とは言っても、私もつい先ほどこの島に着いたばかりなんですが……」
「あらそうなのかい。てっきりこの島の人なのかと思ったけど。すると、もしかしたら同じフェリーに乗ってたかもしれないねぇ」
「かもしれませんね。知らないうちに船内ですれ違っていたかもしれません」
他愛もない会話に互い笑顔を見せ合う。そうして少しずつ打ち解け合っていった二人だったが、老婆には一つだけ気になる事があった。この女性の両手に、荷物らしきものが何もなかったのだ。
「自分も島に着いたばかり」と言っているが、彼女は旅行客のようには見えず、どういった目的で島に来たのかが全く分からなかった。だが、人それぞれ事情はあるだろうし、別に珍しい事でもないだろうと思って、あまり深くは気にしないことにした。
「舞識島は初めてなんですが、どうかご安心を。きっとお婆様のお役に立ってみせましょう。何でもご相談下さい!」
自信満々に胸を張ってみせる若い女性。その姿がどこか可笑しくて、思わず笑みを零した老婆は有難いと思いつつ、彼女の好意に甘えることにした。
「実はA区画までの行き方を調べててね」
「A区画?」
「そこに『すずのね』って喫茶店があってねぇ、そこまで行きたいのよ。でも、どうすればいいのか分からなくてねぇ。前に一度行ったことはあるんだけど、忘れてしまって」
舞識島は、メガフロートをA、B、Cの三つに分けた『区画』で構成されている。
B区画はビジネス街、C区画は歓楽街という特徴があり、その中でもA区画は他の区画ほど尖った部分がない至って平均的な街になる。しかし、それ故に『住みやすい街』という強みがあり、その影響からか、島内で最も人口が多い特徴があった。
老婆の見ていた地図に若い女性も目を向ける。だが、そこにはこの付近の記載しかなく、老婆の目的を果たすには不適切な地図のように思えた。
「なるほど。事情は把握しました。道を知りたいという事なら、スマホでもあればすぐに調べられるんですが……生憎、私、今は持ってないんですよね。お婆様はお持ちではありませんか?」
「あるにはあるんだけど。実はついさっき充電が切れてしまってね。一応息子には切れる前に島に着いた事を連絡したんだけど……ほんと、こういう時は困るねぇ」
「ふむ。そうですか。であれば……私がお婆様のお供をして、一緒にA区画まで向かいましょう」
「え?」
老婆がキョトンとした顔で若い女性を見つめている。だが、若い女性は構わずに話を続けた。
「方角は分かるので、とりあえずあっちに歩きましょうか。きっと道中で駅でも見つかると思いますし、意外と直ぐに着くかもしれません。あ、お婆様の荷物は私が持ちますよ」
「一緒にって……。気持ちは有難いのだけど、流石にそこまでしてもらうのは悪いわ。それにお嬢さんにも何か用事があるんでしょう?」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。急ぎの用は特にありませんし、私も丁度舞識島を散策したいと思っていたところだったので。そんなお気になさらないでください」
そう言ってくれてはいるが、やはり気負いする部分はある。断ろうかと思った老婆だったが、若い女性の目は真直ぐで、この好意を無下にするのは逆に失礼な気もした。
何より助けを必要としていたのは自分なので、ここは有難く彼女の好意を受けることにした。
「そういう事ならお言葉に甘えようかねぇ。すまないけど、宜しくお願いするわ。えぇっと……」
「あぁ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね」
若い女性は、一歩下がって老婆に恭しく一礼する。そうしてゆっくりと顔を上げ、優しい笑顔で彼女は自分の名を告げた。
「天宮です。天宮華恋と言います。こちらこそ宜しくお願いしますね」
その名乗りと同時に、辺りで流れるスピーカーから『アマミヤ』と声のする広告が流れた。




