2.prologue2.2
今月の頭——九月一日。
その日、便利屋は千条千尋という女性からある依頼を受けた。だが、依頼主との連絡途絶や、島の裏社会を仕切る組織——ナジロ機関の幹部であるミリアム・ハーネットの関与などがあって、最終的に依頼から手を引く結果になった。
ある理由からナジロ機関と関係を持ってしまった便利屋だが、彼らはその組織について良く知っている訳ではない。ただ、ナジロ機関が危険である事だけは理解していた。島の安定を図る為の特殊な組織らしく、島内のあらゆる方面に情報統制を行える力があるという知識は持っている。
故に、ミリアムから圧力をかけられた時、便利屋には手を引く以外の選択肢がなかった。
これにより九月一日の依頼は破棄となった為、当然収入はゼロ。一日無駄働きしてしまった事は大変遺憾ではあったが、問題はその後だった。
なんと、今月中に便利屋に入ってきた依頼が、九月一日以降、一つもないのである。
今までは、仕事が『少ない』という事はあっても。『全くない』という状況は流石になかった。
これまでは地域の催しや、その時期に合わせた対策を講じて乗り切っていたのだが、どうやら今回はそうはいかないらしい。というよりも、今までは運よく仕事があっただけだったのだ。
その事に気付かされた光秋は、いかにして安定した収入を得るか、この状況を打開する策はないかともう二週間近く頭を悩ましており……そして、今に至っている。
「大変な状況じゃないの!」
「だからさっきからそう言ってるじゃないか」
姉をやっと自分と同じ土俵に上げる事は出来たが、これでようやくスタートラインだ。
光秋はこの数週間ずっと悩んでいたので、春乃からすぐに良い案が出してくるなんて事はあまり期待していなかった。だが—―
「よーし、閃きましたッ!」
一分にも満たない思考の末に、春乃が大きく目を見開いて声を上げた。
「え、何を?」
会話の流れからして分かりきっている筈だったが、光秋は半分混乱した様子である。
「何って決まってるでしょ。もちろん事務所を立て直す案よ! 安定した収入は一旦置いておくとして、この状況を打破する方法なら思い付いたわ。安心して。ここは所長の私に任せなさいッ!」
窓から差し込む光を背に仁王立ちする春乃。後光が差しているその姿はどこか神々しかった。
「おぉ……あの姉さんが遂に……。僕がこの時をどれだけ待ったか。眩しいよ姉さん……物理的に」
「そんな泣く程の事なの?」
「今ほど姉さんを頼りになると思ったことはないよ。よし、じゃあ聞かせてくれ。その案とやらを」
考えてみればこの姉は漫画家だ。アイデアは枯渇したと言っていたが、こういう事を考える閃きはあるのかもしれない。そう思うとなんだか期待が持てる。
そんな光秋からの期待の眼差しを受ける中、春乃は胸を張って応えた。
「簡単は話よ。単価を増やせばいいのよ」
「はい?」
「とりあえず何でもいいから依頼が一つ来るまで宣伝しまくるの。ビラ配りでも何でもして。今月はもう無理だけど、今までの事を考えれば来月には一つくらい来るでしょう。そしたら、その一件に全力を注いで、これまで以上の額で契約するのよ。これしかないわ。うん、完璧ね。……よし、そうとなればアキ! 来月乗り切るためには後いくらあればいいの?」
「……まぁ事務所の維持費と、皆の給料とか諸々で、切り詰めて……一先ず100万円あれば……」
「じゃあ一件100万円でやりましょうか」
「返せよ僕の涙」
仕事一件で全ての元を取ろうと考える姉に、最早ツッコむ気すら失せてしまう。光秋は再びドン底へと叩き落された。期待していた分、ダメージは余計に大きかった。
「もうダメだ……おしまいだぁ……」
「待ってまだよ! 絶望するにはまだ早いわアキ! 諦めなければきっと明るい道が見える筈。そうよ、まだ試合終了の鐘は鳴ってないのよ!」
「何で僕が励まされてるんだよ。もうダメだろコレ……鐘鳴りまくってるよ。試合終了だよ……」
膝から崩れ落ちていく光秋。どう考えても絶望的な状況だが、光秋の表情は暗いものの、その目はまだ死んではいなかった。光秋は一つ溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
「まぁ正直かなりしんどいけど、別に諦めてるわけじゃないよ。だって僕らにはまだやらなきゃいけない事があるだろ。そうだ、こんなところで終わるわけには……」
「…………。……?」
「え、何その表情は。……。あの、まさか……忘れたとか言うんじゃ……」
「いや、も、勿論覚えてるわよ? 覚えてるって。アレでしょ。うんそうよ。アレ……よね?」
「もう言い逃れ出来ないよ! え、嘘だろッ⁉ 便利屋始めたのは姉さんが言い出したからだけど、目的は別にあっただろ! 何の為に皆で集まって便利屋なんかやってると思って……。あークソォー! 思い出してくれよ! 僕らにはあの人を探しだすって目的が—―」
と、光秋がそこまで言った時だった。彼の発言を遮るように、事務所のチャイムが鳴った。
「あーもう、こんな時に何なんだよッ! 五月蠅いなァもう!」
「アキ、ストップストーップ! 五月蠅いとか言わないで。お客さんよッ!」
興奮気味の光秋を、春乃が諫める。何とも皮肉な光景だった。
インターホンが押されたという事は身内ではない。春乃の言う通り、客に他ならなかった。
まだロクに対策もしてない中で、客が来たというのは、最早奇跡としか言いようがないのだが、光秋は喜べば良いのか怒れば良いのか分からず、微妙な内心だった。
しかし、状況が好転した事に違いない。便利屋の存亡の為にも、この客だけは何としても逃がす訳にはいかない。
二人とも直ぐに仕事モードに切り替える。そして、チャイムが鳴って間もなく、春乃は入り口の方へ駆けていき、扉を開けた。
「ようこそ、アサカ便利屋事務所へ! お越しいただきありがとうございます! 本日はどのようなご用件で?」
九月二十七日。この日、便利屋『アサカ』に一つの依頼が舞い込んだ。果たして、この依頼が彼らを救う希望となるのか、それとも――。
ただ一つ間違いなかったのは、この時点における阿坂姉弟はまだ何も知らないという事だった。
今、舞識島で何が起きているのかを。
そして、時は一日前まで遡る。
役者達が織りなす新たな舞台は、既にその幕を上げていた。
【プロローグⅡ】終




