1.7.5
「その帽子……そうか、律が昨日見たのは貴方ね。どうやら色々掻き回してくれてるようだけど」
突然現れた眼前の男に、ミリアムは敵意の籠った視線を向ける。
だが、一方の誠一は相変わらず飄々とした調子で応えていた。
「よう、はじめまして。アンタがミリアムさんだろ? 知ってるぜナジロ機関。この島を裏で仕切ってるっつー組織の幹部で、おまけに銀髪碧眼の美女ってな。いやぁ聞いてた通りの美人さんだ! やっぱマジの銀髪って綺麗なもんだな。いいなー、羨ましい! まぁそんなわけだからさ、とりあえず仲良くしてくれよ。宜しくな!」
「…………」
全くこの場に似つかわしくないテンションで話しかける誠一。対するミリアムは、不気味な程の無表情で誠一を睨み付けており、話しかけられる前よりも明らかな敵意の色が見えた。
「なんだろう……距離の詰め方をミスった気がする。まず外見を褒めちぎって仲良くなる作戦だったのに。あの人ってりっちゃんの上司でしょ? なんか凄い目で睨まれてるんだけど。どうしよう」
――いや、どうしようとか言われても……。
律と誠一が困った表情で顔を見合わせている中、ミリアムは溜息を一つ吐いて誠一に尋ねた。
「……うちの子が世話になったみたいね。助けて貰った事には一応礼を言うべき?」
「そうだな。コイツとは色々ありすぎてマジで大変だったよ。でも礼がしたいって事なら、仲良くしてくれるついでにまずは話を聞いてくれると嬉しい」
――……話?
話とは何の事だろうか。そんな疑問を抱く律だったが……その前に一つ引っかかる事があった。
――あれ? そういえば、何でこの人はミリアムさんの事を知ってるんだろう。
昼間に協力していた時、律は一度も自分がナジロ機関の人間である事も、ミリアムがその上司である事も話していない。自分の素性を明かした覚えはないが、それは誠一も同じ事だった。律は、この男が何者かに協力して動いているという事しか知らない。成り行きで協力関係になったとはいえ、誠一にはやはり謎が多い。
しかし、何故か悪意だけは感じなかった。この島を護る為に自分に協力してくれる。信用出来る確固たる要素は何もないが、不思議とその行為に嘘はないように思えた。
そんな律の感情を察したのか、誠一は律に困ったように笑うと耳元で小さく呟いた。
「色々説明不足で悪いけどさ……俺達を信じてもうちょいそのままでいてくれよな」
――……? 俺達?
一体この人は何をしようとしているのか。律の中で様々な疑問が浮かんでいく中……誠一はミリアムの方へと視線を戻し、ポケットから赤い液体の入った小瓶を取りだした。
そして、小瓶をミリアムに見せながら、一言――ある人物の名を叫んだ。
「準備は整えたぞ。……エクス!」
その名が叫ばれてから数秒後、ミリアムのポケットから着信音が鳴り響いた。誠一が口にしたその名で、大凡の事情を察したミリアムは、スマホを取り出して通話ボタンを押す。
『荒っぽいやり方ですみませんね』
聞こえてきたのは、やはりモザイクの掛かった声。エクスと名乗る謎の情報屋のものだった。
『先程も言いましたが、薬は既にこちらにあります。今、彼が持っているのがその不死薬です。信じて頂けますか?』
「信じる以前に無視出来なくなったわね。……あの男も貴方の手駒ってわけ? 律を助けて貰った事には礼を言うけど……で、私に話って何?」
律を助けた恩を売りたいのか知らないが、少なくとも薬を持っている事は無視できない。不死薬だけはこの場で確実に処理しなければならないのだ。
ただ、ミリアムはエクスに敵対心がない事だけは分かっていた。エクスはこの島の敵ではないと。
そう思えるのは、彼がこの件をミリアムにだけ伝えているという事実と、今朝方に言った『貴女だけがこの島の平和の意味を解っている』というあの言葉が理由だった。
――コイツは多分……私と同じ事を考えている。
エクスのやり方は気に入らないが、こうなってはもう仕方がない。
ミリアムは黙ってスマホの声に耳を貸すことにした。
その彼女の前では桐原が二丁の拳銃を持って立っている。ステージ上の二勢力――グロースと誠一それぞれに銃を向けており、桐原の目は双方の動きをしっかりと捉えていた。
「随分とおっかねぇ目の護衛だな。この女に弾が当たっても良いのかよ」
「…………」
誠一の問いに全く動じることなく、尚も桐原は銃口を向け続ける。もっとも、桐原は声を発することが出来ない為、何も答えられないのだが。
「無口だねぇ。ザ・殺し屋って感じだ。……でもまぁ待てよ。今問題なのはあっちだろ?」
誠一はステージの反対側に立つグロースに視線を移した。
この島の外から攻めてきている組織――グロース。不死薬を完成させた彼らは舞識島の敵であり、それをこの島から排除する目的は、ナジロ機関だけでなく、誠一とエクスにとっても同じだった。
しかし――『この島の平和を護る』為には、外敵をただ排除するだけでは足りないのだ。
手段には拘る必要があり、それはこの先も継続的に行われなければならない。
その事を誰よりも理解している人物が、この場には一人だけ存在していた。




