1.7.2
それは誠一が半年間ずっと抱いていた疑問だった。
エクスは誰にも姿を現さない情報屋。この島では都市伝説と呼ばれる存在だ。
それが直接関わってきているという事には常々疑問を抱いていたが、この半年間は大きな問題はなく、誠一も特に気にしていなかった。しかし、昨晩の一件は誠一にも謎な事が多くあり、そろそろ自分の上に立つ存在が何を考えているのかくらいは抑えておく必要があると考えたのだ。
誠一がエクスの存在を暴いたそもそもの理由は、この答えを得る為である。
そして、それを説明する状況を待ち望んでいたのは、慎の方だった。
「全て話すと約束しましたからね。……理由は主に二つです。まず一つは、私の自身の問題……具体的には、私の力には不完全な要素があるからです」
「不完全?」
「えぇ。本来、進化を成すにはまず不老不死になる必要があります。ですが、テイマーはこの工程を意図的に飛ばし、霊水を使って無理やり第七感だけを僕に与えました。それは、私という存在自体もこの島にとっては脅威になり得ると考えたからです。そうですね……PCで例えるなら、私の身体は型落ちの低スペックPCみたいなものなんですよ。最新ソフトを無理に組み込んで動作させてるイメージ……と言えば伝わりますかね。そのせいで私には幾つかの制限があるんです」
身体が不老不死になるとその後に脳の発達が始まる。寿命がなくなった身体に適応するため、脳の構造が徐々に変化するのだ。それに伴って、五感や六感を越えた感覚……他人との意識の共有、周囲の出来事を認識できるという第七感への覚醒に至る。
即ち、進化を成すには脳を発達させる必要があり、それを促す為に不老不死がいるのだ。
極端な事を言えば、脳さえ発達させる事が出来れば進化は起きる。
しかし、それは不老不死にならなければ始まらない為、脳だけを発達させて進化を起こすのは不可能とされているのだが――その不可能を可能にできるのが霊水だった。
テイマーは霊水を使って、脳の発達に関係なく進化だけを引き起こす術を見つけ、その方法で慎を生み出したのだ。当然、脳を発達させてから進化を起こす術も持ち合わせていたが、テイマーは敢えてそれをやらなかった。
第七感を得た者の危険性や、その存在が未知数である事。そして、万が一にナジロ機関に存在が暴かれた時、利用されかねない事を危惧していたからである。
それでも島の監視役は必要だった為、第七感を不完全に与える形で慎を生み出した。
しかし、このようにして生み出した事で、慎には幾つかの制限があった。
「まず第一に、私の力には期限があります。私の第七感はいずれ無くなるんです。正確な期限までは分かりませんが、感覚的にそう遠くない時期に使えなくなると思われます。そして、第二が能力に関する制限です。……本物の第七感なら、あらゆる場所で起きている出来事から、人の心の内まで見通す事が出来るそうですが、私は違います。不完全な私に分かるのはこの島で起きている状況だけ。無理をすれば離れた場所の事も分かりますが……基本的に島外の状況を知る事が出来ません。しかも、島内だけに範囲を絞っても、情報量が非常に多く、脳が処理しきれない始末です。つまり、知ることは出来るんですが、見落とすことが多くあるんです」
「要するに情報網のアンテナは常に張ってるけど、内容までは全部確認しきれないって事か?」
「その通りです。それでも半年前は運が良かった。貴方がこの島にやって来たあの日、私は貨物船の積み荷リストを偶々確認していて……そこで初めて、あの組織の存在を知ったんです」
「それが話に出てきたグロースって連中だな」
「はい。流石にあの時は焦りましたよ。ナジロ機関も完全に見落としてましたからね。そこで無理に力の範囲を広げたり、培ってきた情報屋としてのスキルも駆使して東京港周辺を急いで調べました。そうして協力者を探していたそんな時に、貴方の事を知ったんです」
半年前の東京港周辺で起きた事件。その背景で起きていた事を聞き、誠一は僅かに目を細めた。
「俺の事調べたんだ」
「えぇ。大体の事は知ってます。……すみません」
「まぁ予想はしてたし、意外な事でもない。で、俺を選んだもう一つの理由ってのは?」
続けて二つ目の理由を問われた慎は、少し間を置いて口を開いた。しかし、次に返って来たのは誠一が予想していなかった言葉だった。
「その前に……そういえばさっき訊かれましたね。何で成瀬さんを向かわせたのかと」
「ん? ……あ、あぁ」
いきなり話題が変わった事を不自然に思う誠一。だが、慎はそのまま淡々と続けた。
「私は貴方の事を調べました。そしてこの数ヶ月、カゲナシと対峙していた貴方を見て、ある事を確信しました。……先程言った事も嘘ではありませんが、その確信があったから成瀬さんに頼もうと思ったんです」
「確信?」
「はい。貴方は――絶対に人殺しをしないと」
慎がそう言った次の瞬間、誠一の雰囲気が明らかに変わった。それまで穏やかさが残っていた表情から完全に笑みが消えた。誠一は目を鋭く細め、じっと慎を見つめる。
それもただの静寂ではない、嫌な静けさが部屋に漂っていた。
そして、誠一はポーチの中からクナイを抜き取り、慎の首元に刃を向けた。
「試してみるか?」
僅か数秒がとても長く感じられる緊張感。だが、慎は冷や汗こそ搔いているものの、身を引く素振りを見せようとはしていない。慎もまた真っ直ぐに誠一を見つめ返していた。
そんな慎の姿勢に覚悟のようなものを感じ取った誠一は、一つ溜め息を吐くと、クナイを引き下げて、いつも通りの陽気な雰囲気で笑ってみせた。
「なんてな。……ったくあの女といい、最近の高校生は大したもんだな。ちょっとはビビると思ったんだが。……でもそうだな。お前の言う通りだよ。俺は人を殺さない。そう決めてる。……はぁ~、なんつーかいいように見透かされてる気がして少しムカつく」
「本当にすみません。また試すような事をして。……でも、やっぱり間違いはなかった。私が貴方を選んだもう一つの理由……それはですね、貴方がそういう人だからなんですよ」
「え」
思わず気の抜ける声が漏れた。まさか慎からそんな発言が出てくるとは思いもしなかったが—―。
それでも慎は迷いなく言葉を続けた。
「私は貴方をずっと見てきた。カゲナシと幾度となく対峙していた事を。でも、貴方は彼を理解しようとしてくれた。今日もそうですね。経緯はどうあれ、成瀬さんに協力してくれました。そんな貴方の姿が、私の……いや、僕と成瀬さんの幼馴染によく似てたんです。そいつは僕らにとってはヒーローのような存在で、どんな相手にだって手を差し伸べて、困難から救ってくれる力を持っていました。……所詮は小さい頃の話です。滑稽と思うかもしれませんが……でも、僕はその時思いました。何かを救う存在というのは、きっとそういう在り方なんだろうなって」
気付けば、慎の一人称が『私』から『僕』に変わっていた。それは、これまで溜め込んでいた感情を吐き出しているようにも見えた。
「最初に言いましたよね。この島は舞台上だと。この島をずっと見てきた僕には、まさにそう見えるんです。……ここは問題だらけの舞台上で、どうしようもなく、仕方のない事ばかりで、役者達は皆が別々の方向を向いている。僕も本来ここに居て良いも存在じゃない……そう、エキストラだ。だから、舞識島を救うには全てを繋ぐヒーローが必要で……僕は力を無くす前に、この舞台にそんな存在を立てたかったんです」
先程までの発言が『与えられた役割』としてのものなら、今彼が口にしているのはきっと、如月慎の紛れもない本音なのかもしれない。
今までの慎の言葉にはなかった、先程までとは違う感情の熱があった。
「貴方がこの島の問題とは何の関係もない事は分かってます。でも、僕は貴方に希望を……光を見たんです。この島の誰よりも。そして、僕なら貴方を照らす事が出来る。……お願いします。どうか僕と一緒に、この島を救ってくれませんか」
そう言うと、慎は誠一の前で深々と頭を下げた。
慎の立場上、頼れる相手には限りがある。その協力相手も慎重に選ばなければならなかった。
だからこの半年間、誠一を仮のパートナーとして見定め続けてきた。そして、今日ようやく全てを明かすことが出来たのだ。
自分と一緒にこの島を救ってほしい。たったそれだけの事を言う為に。
目の前で頭を下げ続けている慎。そんな彼の肩に手を置いて、誠一はその想いに答える。
「顔を上げてくれよ」
慎はゆっくりと顔上げる。そこには、朗らかに笑ういつも通りの誠一の姿があった。
「お前さ、そういう事頼まれたら、俺がどう答えるかなんてもう分ってるだろ?」
「……誠一さん……」
「おいおい、もうなんつー顔してんだよ。今にも泣きそうじゃねーか」
「いや、すみません。なんか……」
「進化してるって言っても、そういうとこは人並みなんだな」
誠一はキャップ帽を深く被りなおす。
それは意を決した表れのように見え――誠一はポケットから赤い液体の入った小瓶を取りだして、慎に尋ねた。
「さてと、それじゃ教えてくれよエクス。俺は何をすればいい?」




