1.5.5
◇ ◇ ◇
十二時半 A区画 某路地裏
鉄火を出た後、誠一は店の角を曲がり、路地裏に入った。
その路地を軽快な足取りで歩きながら、ポケットから携帯を取り出す。着信履歴の中に非通知の文字を見るが、当然こちらから逆発信することは出来ない。
その代わりに、誠一は虚空を見上げ、エクスに問いかけるように呟いた。
「もういいぜ? 掛けてこいよ」
傍から見えれば訳の分からない独り言を言ってるようにしか見えないだろう。
しかし、誠一がそう言った次の瞬間、その声に答えるかのように携帯の着信音が鳴り響いた。
路地裏を歩きながら無言で着信ボタンを押し、誠一は軽く挨拶する。
「よう。こんちは」
『こんにちは。今日も元気そうですね、誠一さん』
聞こえるのは、男か女か分からないよう加工された――誠一がいつも聞くエクスの声だった。
「さっきは悪かったな。店の中にいたから電話出れなくてさぁ」
『別に構いませんよ。ただ、下手な事を言わないか少しハラハラしましたがね……』
あの店には、監視カメラも盗聴器の類もない筈だが、エクスは、まるで鉄火店内の様子を見ていたかのように応えた。
こういう事は今までも何度かあった。島内全てを『見ている』ような発言をすることが。
誠一も、その仕組みは全く分からず、ずっと不思議に思っている。
ただ、とりあえず『手段は不明だが、リアルタイムで状況を把握しているのは間違いない』という理解だけはしていた。先程、誠一が独り言のように言っていたのもそのためだ。
「毎度思うけど、どっかで俺の事見てるのか? どんな仕組みだよ。すげぇなマジで」
あくまで興味として訊く誠一だが、その問いにエクスが答えた事は今まで一度もない。
『ま、いずれ説明しますよ。いずれね。……まぁそれについては今いいでしょう。それよりも昨日の仕事、お疲れ様でした』
昨日の仕事。その話題に切り替わったところで、誠一が歩みを止めた。
「あぁ、アレか。『アタッシュケースを盗んで来い』ってやつだよな? 正直、俺にはさっぱりだったんだが……。盗んだっつーか……ま、指示通りこなしたぞ」
『ええ、それは感謝してます。感謝してますが……少々……いや、だいぶ私の想定と違う状況になっているようで。そのせいで事態がかなりややこしい事になってましてねぇ』
「そうか、それは困ったなぁ。一体誰のせいなんだろうな?」
『何を惚けた事を……。全て貴方のせいでしょうに』
昨晩、エクスが依頼した『仕事』について、誠一は指示通り目的を果たしたとのことだが、どこか彼の思惑とは違う結果になっているようだった。
しかし、エクスは特に焦っている様子も、怒っている様子もなく――そんな想定外を引き起こした誠一にどこか期待しているような声で笑っていた。
『貴方にはこの半年間驚かされてばかりですよ。まさかカゲナシと話し合いで事を治めるとは思いませんでしたが。その彼に昨晩の仕事まで協力を仰ぐとは……』
白渡誠一は舞識島に渡ってきた三月から、エクスの手足として動いている。
その彼がこの半年間やっていた事――それは『深夜に現れるカゲナシの行動を妨害する』というものだった。
カゲナシは、三月と八月しかその姿を街に現していないと島では噂になっているが、実際のところそれは正しくなく、その五ヶ月の間にも度々島には出没していたのだ。
そんなカゲナシの行動を妨害すべく、エクスの力で最速で出現位置を割り出し、誠一を場に向かわせて対処させていた。しかし、それでも漏れはあり、八月に数回だけ失敗していた。
そうして、何度かカゲナシと対峙していた誠一なのだが――何度か顔を合わせるうちに、『殺し合う』よりも『話し合う』ことが増えていったのである。
実際に言葉を交わしてみると、カゲナシは意外にも話の分かる人物であり、お互いの敵対関係は話し合いで事が治まってしまったのだ。
正体は依然として謎のままだが、どうやらカゲナシの背後には何かの組織がいるようであり、彼の行動は全てその組織による指示との事だった。どうやら自分の世話をしてくれている恩人の頼みで仕方なく協力しているだけらしい。
流石に組織の事までは話してくれなかったが、彼にも何か事情があるようだった。
一方、カゲナシも誠一に興味を持ったのか、彼にだけは心を許しており、組織の命令でやるべき事があるが、誠一と争う事だけは避けるようになっていた。
そして、今から三日程前。
誠一は、『八月三十一日に、A区画で行われるとある取引現場から、アタッシュケースを盗め』とエクスから新たな指示を受け、どうやってそれを成そうかと頭を悩ませていたのだが――。
それをカゲナシに相談したところ、どうやらその件にはカゲナシも深く関わっているらしく、それどころかその取引相手こそがカゲナシ本人だと分かったのだ。
ところが、カゲナシはケースを受け取る事について何か思うところがあるらしく、どこか気乗りしてない様子だった。本当はこんな事はやりたくないが、恩人の頼みを断る事も出来ず、どうしたものかとカゲナシも悩んでいたのだ。そんな時に、誠一が次の提案を持ち出した。
「とりあえず取り引き現場には行って来いよ。で、ケースを手に入れたら、その後俺に渡してくれない? 俺のせいにしていいから。まぁ、細かい事は気にすんなよ。お前意外と良い奴だしさ。『取り引き後に襲われて盗まれちゃいました』って事にでもしとけ!」
その結果、カゲナシの協力を得る形で、誠一はアタッシュケースを手に入れる事に成功したのだ。
「ちゃんと言われた通り盗みはしたぜ? 盗んだっていうか……まぁ一応手に入れはしたぞ?」
『そうですね。確かに目的は果たしました……。ええ、確かにその通りです』
どこかから昨晩の一件を見ていたエクスは、誠一の行動含め、全ての状況を知っている。
誠一がアタッシュケースを手に入れた事で、エクスの計画は大凡予定通りに進んでいた。
……だが、一つだけ誤算があった。
『では、何故貴方は今ケースを持っていないのですか?』
そう。問題はそこだった。
今現在、誠一の手にアタッシュケースはなく、それは『鉄火』を訪れる前からそうだった。
つまり、昨晩の一件から、誠一はアタッシュケースをどこかに隠しているのだ。
「わざわざ聞いてくるなよ。今アレがどこにあるのか、そんな事もうとっくに知ってんだろ?」
誠一も揺さぶりをかけるようにエクスへ問い返す。
しかし、エクスは全く動じることなく普段通りの調子で答えた。
『まぁ、一応は』
と、たった一言だけ。特に同様する事なく返してきたエクスに、誠一が笑って言う。
「そこまで焦っていない様子からして、俺が何をやったのかも分かってるっぽいな?」
『そうですね。……ついでに言うと、貴方の狙いも分かってます』
「それは結構な事だな」
アタッシュケースを隠している彼の行動は、その狙いによるもののようだが……。
それを理解しているエクスは、誠一のやろうとしている事を口にした。
『アタッシュケースを利用して、私をあぶり出したい……ということですね?』
都市伝説と噂されるエクス。誠一はその正体を暴くため、アタッシュケースを利用したのだ。
あのケースにどれだけの価値があるのかは、誠一にも分からない。だが、おそらくエクスはあれを回収するために自分自身で行動を起こし、その時に必ず姿を現す筈だ。
誠一にはそんな確信に近い予感があった。
「その通り! ま、俺もそろそろ自分の上にいる奴の事を知っときたいと思ってさ。でもそれだけじゃない。俺はな、全てが知りたいんだ」
誠一はそう言うと、歩みを止め、この半年間の出来事を思い出すように語り始めた。
「これまでお前の下で動いてて何となく分かったよ。この島は何かがおかしい。俺は基本的に何も知らないまま、状況だけ楽しんでたけどよ。そろそろ全ての事情を知ってもいいだろ?」
『全てですか』
「あぁ全てだ。お前の正体とか、お前が一体何をしようとしているのかとか、そういう諸々含めた全てな。まぁ、今回が良い機会だと思ったんだ」
半年間パートナーを組んでいた相手の要求を、まさかこのタイミングで受けると思っていなかったが、いつかその日は来るだろうと、エクスも心を決めて答えた。
『良いでしょう。……というより、私も最初からそのつもりでしたからね。ですから……えぇ、貴方の思惑通りに私も動くとしましょう』
正直、島の現状を全て理解しているエクスとしては、ケースを無理に回収する必要がなかった。
なかったのだが――敢えて、エクスは誠一の狙いに乗ることにした。
何故なら、この通話の目的は最初からそれを伝える事にあったからだ。
そして、エクスは通話を始める前から用意していた台詞を口にする。
『ですが、最後に貴方を試させて下さい』
エクスがそう言った直後――タイミングを同じくして、誠一の背中に声がかけられた。
鋭く、重い、女の声だった。
「……見つけた……」
その声に、誠一が後ろを振り返る。
「あ?」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
A区画にある高校の制服を着た少女が、スマホを片手に立っている。その姿を目にした誠一は、それが、昨晩偶然にも顔を合わせたしまった少女である事を思い出した。
そんな不意を突かれた誠一に対し、エクスは淡々とした口調で続けて言った。
『彼女を乗り越えて下さい。私はその先で待っています。……それでは』
エクスは最後にそう言うと、一方的に通話を切って誠一を路地裏に残した。
暫くして状況を理解した誠一は、笑いながら小さく呟く。
「そういうこと。なるほどね。……まぁ、そうだよなぁ。主役に試練は付き物だもんな」
目の前の少女が何者かは分からないが、昨晩の現場にいたということは只者でないのだろう。
その少女を最後の試練として、エクスが自分にぶつけてきたのだ。
「今、俺は主役になれてるか? なれてるといいよな……。そうだろ?」
そう呟く誠一の表情は、半年前にフェリーの上で見せたのと同じようで――。
誠一はキャップ帽の下で笑いながら、澄み切った青空を眺めていた。
ただ、楽しそうに。
◇ ◇ ◇
かくして、全ての役者は出揃った。
九月一日を生きる彼らの運命は、舞識島という舞台上で交錯する。
フィクションのような現実。
お伽噺のような島で。
『では、幕を上げましょう。その演目の名は――』
【五章 裏の裏は表 】終




