1.prologue.3
◇ ◇ ◇
数時間前 東京都郊外 廃倉庫
それはフェリーが出航する二時間前。東京都郊外にある、とある廃倉庫内での出来事だった。
「最近の漫画って凄いよなぁ。どれも超面白い!」
都市近郊に位置するその周辺は、交通機関のアクセスが良いとはいえ、人通りは少ない。また、倉庫としての機能も既になく、人が立ち寄ることは殆どないのだが……。
清々しいほどに澄み切った青空の下。それとは打って変わり、陽の光が少しだけ差し込む薄暗い廃倉庫の中で、キャップ帽の男は漫画雑誌を手にして語っていた。
「やっぱランズマガジンにハズレないね。俺この雑誌一番好き。単行本買おうか悩むのが幾つかあってさ。でも買っても置き場所ねぇんだよな。仕方ない、今度漫画喫茶行って読んでくるか」
シャッターの開いた廃倉庫の奥。そこに位置するコンテナに座り、男は漫画雑誌を読んでいた。
彼の口にした『ランズマガジン』とは、若者に人気の週刊漫画雑誌であり、今まさに持っているのがソレだ。薄く陽が差す倉庫の中で男は雑誌のページを捲り、目を輝かせている。
「バトル漫画は特に好きでさ。ほら、このページの描写とか超カッコよくない? まず描き込みが凄い! 見てよこの迫力! 躍動感! この一コマに賭けた作者の熱量はしっかり受け止めさせてもらいましたって感じ。っつーわけで、アンタらも読もうぜ。俺なんてもう五周もしちゃったよ。今日買ったばっかなのにねー」
キャップ帽の男の前には、十名程の男女の集団が立っていた。服装は全員私服であり、年齢もバラバラ。組織としての統一感はなかったが、どこか団結している雰囲気がある。
その集団の先頭に立つリーダーと思しき男が前に出て、キャップ帽の男の問いに応えた。
「……何が言いたい?」
「え、五周もしたのに俺の熱量が伝わってない? ……こんなにプレゼンしてるのに」
「そうじゃない。いや、違わないんだが、そうじゃない」
明らかに苛立っている声色だった。言っている事の意味がまるで分からないのもそうだが、問題はそこではないのだ。
同じ事は他の面々も思っており、集団全体の意思を代弁するようにリーダーは、この場において最も重要な問いを投げた。
「そもそも――――お前誰だ?」
その問いに倉庫内が静まり返る。
そう、先程から一方的に話しているキャップ帽の男と集団たちは全く無縁の関係だった。少なくとも集団側からすれば初対面になる。
数秒間場に静寂が続いたが、それを破ったのはキャップ帽の男の笑い声だった。
「さあなぁ? さて、誰なんだろうな。なんだと思うよ?」
「ふざけてんのか。訊いてるのはこっちだぞ」
「訊かれたら答えなきゃいけないルールでもあるのか?」
「……。話にならないな。まあいい。お前、どこまで知ってる?」
明らかに敵意のある意味深な問いだったが、キャップ帽の男には特に狼狽えている様子はない。
「おいおい、怖えな。何だその質問」
「いいから答えろ。さもないと……」
リーダーの男だけでなく、集団全体からも明らかな敵意の色が見えた。
キャップ帽の男も、それには気付いているが、尚もヘラヘラと笑って応える。
「知ってるも何も、お前らの事情は何も知らねぇさ。……まぁ、でもそうだな。漫画五周もして退屈だったし、何でここにいたかは教えてやるよ」
漫画雑誌を閉じ、キャップ帽の男はコンテナに座ったまま己の目的をハッキリと言い放った。
「待ってたんだ。お前らを潰す為に」
「なんだと?」
『潰す』と穏やかじゃない単語が出たことで、集団の警戒が一段階上がる。
今のやり取りで、ある程度自分たちの正体がバレていると察したのだ。問題なのは、どこまで知られているのかということなのだが……。そんな集団側の思惑などまるで気にもせずに、キャップ帽の男はまたしても独りで語りだした。
「舞識島」
「あ?」
「俺、あの島について色々勉強したんだ。あそこって最先端技術を色々盛ってる人工島ってイメージが先行して、観光地として名は売れてるが、その一方で犯罪も増えてるんだとよ」
「……。それがどうした?」
「で、その中でも特に多いのが密輸の類なんだって。運び屋が舞識島を中継して色々やってるらしい。まぁ、言いたいことは分かるだろ?」
その発言に集団の面々は沈黙する。どうやら男の指摘は大凡当たっていたようで、彼らはその手の一派――つまりは、犯罪に手を染めようとしている集団らしい。
少なくとも後ろめたいことをしているのは間違いなさそうだった。
「正直、お前らがそういう連中かどうかは分からない。ま、それは別に良いんだけど、実は俺も今からあの島に行くところでさ。で、ある筋から『俺の乗る船と同じ時間帯の貨物船にヤバいものが積まれる』って情報を聞いたのよ。……まぁアレだ。厄介事と一緒に行くリスクは、少しでも避けたいとこなんだよね。だから諦めてくんない?」
己の要求を一方的に話すキャップ帽の男。当然、集団はそんな話を受け入れる筈もない。
「黙って聞いていれば……。お前の話は要するに、『何も知らないし、無関係だが、害になりそうだから排除する』ってことか? それ聞いて『はい、やめます』なんて言うわけねえだろ」
「うーん、やっぱそうなるか」
「それに、俺たちの存在を知られた以上、野放しにするわけにもいかない。どちらにしろ無理だ」
「はいはい交渉決裂ね。あーあ、残念だなぁ」
あからさまにガッカリした表情をしているが、本心からショックを感じている様子ではなかった。
彼らの運ぶブツがこのコンテナだと分かっていた男は、脅しに使うために此処に陣取っていた。だが、この手の輩はその気になれば何だって仕掛けてくる。
彼はその事も理解していた為、大凡この展開になるのは想定内だった。
「分かったら、とっととそのコンテナから離れろ。さもないと……」
そう言うとリーダーは、仲間たちに視線で合図を送り――その後、彼らは拳銃を取り出した。
どうやらそれなりの力は持っているようで、圧倒的優位を誇示するように拳銃を見せつけている。
「なんつーかさ、お約束って感じだね。台詞から何まで、漫画だったらただのかませだよ。負けフラグだぞソレ。そんなんでいいの?」
「まだそんな口が叩けるか。まさかこの状況を一人でどうにかできるとでも思ってるのか?」
キャップ帽の男一人に対し、集団側は十人あまり。
廃倉庫の入り口は、集団の背に位置している為、逃げるのは困難な状況だ。
「ハッ、それともその軽口は内心でビビってる事の裏返しか? そんなに漫画が好きなら、この状況も漫画みたく乗り切ってみるんだな! ハッハッハ!」
リーダーの声につられ、集団全体からも嘲笑が湧く。
笑い声が倉庫に響く中、拳銃を持った面々が引き金に指をかけた。
それでもキャップ帽の男には変化がない。
しかし、ただ一言だけ――
「あー、じゃあそうするか」




