1.3.6
◇ ◇ ◇
八月三十一日 深夜 舞識島A区画路地裏
脅されていたこともあり、迂闊に断れなかった俺はやむを得ず計画に協力する事になった。
八月三十一日の夜、指定時刻にA区画のとある場所でウツロと、受け渡しに立ち会うグロースの一人と待ち合わせる手筈になっていた。
そうして、薬の入ったアタッシュケースを受け取り、どの経路で島に渡ればいいのかを事細かに指示され、俺は指定されたフェリーで舞識島に渡った。
「貴方が運び屋ですか?」
定刻前に待ち合わせ現場に着いた俺に対し、背後から声がかけられる。
『運び屋』という単語からして、声の主はグロースの関係者で間違いないだろう。
「……ああ、そうだ。例のモノを持ってきたんだが……。えっと……キミがグロースの?」
「はい。立会人として来ました」
「……」
俺が一瞬黙ったのには理由があった。その立会人として来たのが、明らかに子供だったからだ。俺の想像していたのよりずっと若い少年だった。中学生か高校生くらいの歳に見える。
「……驚いたよ。キミくらいの歳の子もグロースの一員なんだな。……まだ学生……だよな?」
「ええ。この春から舞識島の高校に通ってます。三月の計画に合わせて入学したんですが、まさか八月まで学生でいるとは思いませんでしたね」
やはり学生だったか。それも高校一年らしい。だが、子供にしては随分しっかりしている少年にみえる。話し方からもその雰囲気は感じた。だからこそ、俺は逆に気になった。
「俺、グロースに最近入ったばかりでこの組織ことをまだよく知らないんだけど、キミがグロースに入ってるのは、その……何か事情でもあるのか?」
純粋な疑問だった。この少年は、俺が見てきた信徒達に比べて、遥かにまともに見えたのだ。
「事情ですか……。まあ、そうですね……理由はありますね」
「差支えなければ教えてもらえないだろうか? ……その、参考までに」
自分と同じように弱みを握られている奴がいるんじゃないかと思って訊いてみたんだが……。
その少年は、全く問題なさそうな表情で淡々と俺の問いに答えてくれた。
「僕の親族って、皆グロースの信徒で、色んな実験の被検体になってたんですけど」
「え?」
「最初は僕の両親が入信してた事がきっかけですね。その影響で僕も、親族たちも皆入っちゃって。なので、僕にとってはそれが当たり前というか……。あ、でも皆、僕が小さい頃に実験で死んでしまったので、親の影響とかあんまり考えたことないですね」
……。なんか、俺の想像してたのと全く違うベクトルの返答だったんだが……。どう反応していいのか分からなくて苦笑いするしかなかった。前言撤回だ。やっぱりこの組織は皆ヤバい。
「……そ、そういえばアレだな。キミの他にもう一人来るんだったよな? 確か、ウツロだったか。そいつにアタッシュケースを渡せば良いと言われてるんだけど。正直、そのウツロってのが何者なのか俺全然知らなくてさ。何者なんだ?」
ウツロというのは、どうやらグロースの抱える秘密兵器のような人物らしいのだが、詳細な事を俺は何も知らない。この少年と同じく、三月から舞識島に潜伏しているとしか聞いていなかった。
「あぁ、ウツロですか。最近入ったのなら知らなくて無理ないと思いますよ。何せ、僕らも殆ど彼の事を知りませんからね」
「ん? 君はグロースでは結構古参なんだろ? どういうことだ?」
「彼は協力者ってだけで、信徒ではないんですよ。自分の正体を隠したがってるのか、いつも仮面を付けてますし。九十九様もウツロの正体を知りません。知ってるのは千条様だけです。あの方が行っている独自の研究で生まれた……言わばモルモットのような存在ですから」
「モルモット? ……え? あれ? もしかして千条は不老不死を研究してる訳じゃないのか?」
「そうですよ。あれ? 聞いてませんか? あの方は九十九様の助手として協力しているだけです。どうやら進化に関する様々な実験をしているそうで。ウツロはその人体実験で生まれたようですが、詳しい事はよく分かりません」
確か千条からも教わったな。錬金術師が不老不死を求めるのは、進化を引き起こす為に必要だからって話。進化を果たすと第七感とかいう力に目覚めるらしいけど……。良く分からないが。
少年の話を聞く限り、どうやら千条にも個人的な目的があるようだった。
……というか、俺はあの女の事を何も知らな過ぎる。
「第七感へ至る為には、不老不死が必要です。ですが、千条様は他に方法がないのかを模索しているんですよ。不老不死に頼らないで進化を果たす方法の研究ですね。その為に多くの人体実験をしているそうです。……聞いた話だと、ウツロというのは、進化を目指す新たなアプローチとして、五感を強化する人体実験で生き残った唯一の検体なんだとか」
少年の話をまとめると――
どうやら千条が行っている進化の研究というのは、グロースとは関係のない独自のものらしく、その研究で人体改造された人間がウツロと名付けられているそうだ。
だから、ウツロはグロースの信徒ではなく、単なる協力者というだけで、千条の命令しか聞かないらしい。第七感に至るアプローチの一つとして五感を強化されたらしく、それを応用して得た戦闘力を買われて組織に協力しているのだそうだ。
また、常に白いレインコートと仮面を付けていて、その正体を知っているのは千条だけ。
三月の計画では、コンテナを運搬する為、舞識島の港からナジロ機関の注意を剥がそうと、島内を動き回っていたらしい。ナジロ機関を一人で相手にしていたようだが、それが出来たのは実験で得た戦闘能力のお陰との事だった。
「計画の再始動にあたって、ウツロも千条様の指示で独自に動いています。最近はまた頻繁に動いてるようですね。そのせいで、都市伝説の怪人などと噂されたりもしてますが」
「都市伝説?」
「はい。夜な夜な現れる謎の怪人。この島ではカゲナシなんて呼ばれてますよ。掴みどころのない幻のような存在だと」
その話は初耳だった。影の無い怪人……カゲナシか。都市伝説なんてまた大層な話だな。
……と、少年とそんな会話をしているうちにアタッシュケースの受け渡し時間になっていた。
だが、定刻を過ぎてもウツロは現れない。
この場は薄暗い一本道の路地裏で、灯りは殆どない。まさに絵に描いたような取引現場だった。
それからウツロを待つこと更に五分後。暗闇の奥から、白い影が歩いてくるのが見えた。
「ようやく来ましたか。遅いですよウツロ」
白いレインコートを着て、真っ白な仮面で顔を隠している人物だ。聞いた通りの格好だった。
体系的に男なのか女なのかは分からないが、背は俺よりも低い。
こちらに向かって静かに歩いてくるウツロに、少年が「待ちくたびれましたよ」と近づく。
「まあ、一応紹介しますね。彼がさっきから話していたウツ……」
そして、俺の方に振り返って、少年が続きを言いかけたその時――――事は起こった。
「……ロ。………………え?」
少年の胸が徐々に赤く染まっていく。それと同時に口元から赤い雫が垂れる。
「……は?」
俺も思わず声が漏れた。一体何が起きているのか分からなかった。少年も同じく理解できていない様子だった。少年の背後から伸びている銀色の刃。それが赤く染まっていき、地面には赤い血だまりが拡がっていく。少年はただ訳も分からず地面にボタリと倒れた。
そして、その背後から血に濡れたレインコート纏うウツロが視界に入り、俺は我に返る。
何が起きたのか頭で考えるよりも早く、目に映る情報が俺に知らせた。
ウツロが少年を刃物で突き刺して殺したのだと。
一体何がどうなってる? ウツロは何でそんなことをした? 何で? どうして? いや、それより……マズイ。マズイマズイマズイマズイマズイ。逃げろ!
「……な、なんだよお前……‼ 何でこんな……やめろ……来るなぁァァァ‼」
そう叫んだと同時に、ウツロはレインコートの袖から伸びる刃物で、少年に続いて、真っすぐ俺の腹を貫いた。
そう、この夜、俺はグロースでウツロと呼ばれ、舞識島でカゲナシと呼ばれる怪人によって殺されたのだ。




