1.3.4
不老不死。その名の通り、老いることもなく、刺されても死なないっていう……アレの事だな。
まさかそんな単語を聞かされるなんて思わなかったんだが……その後も、勧誘の女は話を続けた。
宗教団体の名は『グロース』というらしい。当然俺は聞いたことがない。去り際に、女は「今晩私達の集会がありますのでお待ちしてますね」とだけ言って、案内のチラシと、グロースに関するパンフレットを渡してきた。
明らかに胡散臭かった。不老不死を餌に釣ってくる宗教団体。どう考えてもヤバい匂いしかしない。だが、その時の俺は何をトチ狂っていたのか、『なんだか面白そう』とか考えていた。あの頃は精神的にだいぶ不安定だったから気でもおかしくなってたんだと思う。
……と、そんな状態だった俺は、とりあえず渡されたパンフレットに目を通すことにした。
今から四百年前、この世界には錬金術師という存在がいた。
錬金術師は人類の進化を目指していた。その実現には不老不死が必要で、更にその過程で賢者の石という物質が必要だった。だからまず賢者の石を創り出すことを目標に掲げ、日々研鑽に励んでいたらしい。西洋から広がったその教えは、やがて日本にまで辿り着いた。
そしてある時、賢者の石の創造の為、日本の錬金術師達がある島に集って、とある実験を行い、その結果として、本当に賢者の石を創り出す事に成功したのだという。
しかし、この実験時に爆発事故が起きたせいでその場にいた全員が死んでしまった。せっかく悲願への道が開けたのに、賢者の石の在処を知る者が居なくなったのだと。本末転倒だと思う。
だがその後、世界に生き残った錬金術師の一部が、島に集った者達を偉人と称え、彼らの意思を引き継ごうとしてある組織を作り上げた。それが『グロース』だ。
錬金術が廃れた後も、意思を引き継いだ子孫らによって、グロースは密かに存続していた。
だが、この四百年もの間、組織の解体と再結成は何度も起こり、最終的には、不老不死の実現を目指して、それを素晴らしいものと信奉する宗教団体として変貌を遂げたとの事だった。更に近年では、組織の独自調査で賢者の石の在処が舞識島にあるとようやく判明したらしく、あの島を『この世の真理に近い神聖な場』として崇めていて、舞識島を聖地と呼んでいるのだそうだ。
……なんというか、漫画の設定みたいな話が延々と書いてあった。
まぁ、この時の俺は当然一ミリも信じていなかったんだが、逆にこの訳の分からない状況が楽しくなって……。俺はまたしても何をトチ狂ったか、その夜にグロースの集会に足を運んでしまった。
俺の家から歩いて行ける距離にある小さな雑居ビル。そこの貸会議室で、グロースの集会は開かれていた。ドラマで見るような、いかにも怪しげなセミナー教室といった感じだ。集会には俺含めて五人くらいの新参っぽい奴らと、数十人の信徒がいて、会議室に並べられたパイプ椅子に座っていた。全体で三十人くらいか。部屋の最前には登壇場がある。そして、集会の開始時間が近づくと、俺の家に勧誘に来た眼鏡の女と、オールバックヘアーの白衣を着た男が壇上に上がった。
「おおお、九十九様だ……! 九十九様がお見えになられたぞぉ!」
「遂にこの日が来た! おおお、我らに永遠を……! 永遠の神秘を!」
その二人が壇上に立った途端、会場の信徒たちが湧き上がった。場の空気に飲まれそうになったが、俺はとりあえず壇上に立つ二人を観察した。
白衣の男は俺と同い年くらいに見える。オールバックヘアーの似合う自尊心の高そうな男だった。その隣に立つのは俺の家に来た白衣の眼鏡女だ。コイツは多分俺より年下だと思う。
当壇上に立つ白衣の男が信徒たちに向けて話を始めた。
「さぁ待たせたなァ諸君! この日を迎えられたことを光栄に思う。ここまで長かった……! 待ちくたびれたぞフハハハハッ……ハッーハハハハハウゲぇゲホ」
信徒が信徒なら、壇上にいるこの男も大概変な奴だなぁ、と聞きながら思った。
しかし、九十九蒼麻と名乗ったこの男のことは、事前にパンフレットを読んで知っていた。
グロースは、この数十年で錬金術師の子孫の殆どが離脱している。九十九家というのは、グロースを受け継いだ最後の一家系で、今壇上にいるこの男がその子孫らしい。現在のグロースを率いるリーダーの立場にいるようだ。そいつに眼鏡の女が横から声をかけた。
「ちょっとちょっと先輩……? 開幕から飛ばしすぎですって~」
「あ? 何だ千条、今いいところなんだから邪魔するな」
「むせるくらいなら高笑いなんてやめればいいのに。ほら、今日初めて来た人もいるんですから」
「この俺に意見しようとはお前も偉くなったものだな。……フッ、だが今日の俺はすこぶる気分がいいからな。俺の広い心に免じて、今日だけは許してやる。今日だけは!」
「もうなんでもでいいので話を先に進めましょうよぉ~」
女の方は相変わらず緩い口調だったが、この集会にいる面子では一番マシに見えた。
新規で来た面々に向けて軽い自己紹介があり、そこで眼鏡の女は『千条千尋』と名乗った。
この女はパンフレットに載ってなかったが、どうやら九十九の助手のような立ち位置らしい。
そして、これから集会が始まろうとしたその時――千条が俺の方を見てニヤリと笑った気がした。壇上からだと人を見つけやすいのだろう。自分が勧誘した人間が集会に来たのを見て笑ったのかもしれない。だが、俺は千条の笑みがそれだけとは思えなかった。
何故か分からないが……嫌な予感がした。
「さて、今日諸君らに集まってもらったのは他でもない。我々の悲願――不老不死を実現する計画を再始動させる。その為の決起集会である!」
九十九が声高にそう言うと、再び会場は湧き上がった。
不老不死の実現なんて誇大妄想と思って聞いてたが、一つ気なったことがあった。
『再始動』とはどういう事だ? 発言からするに一回目があったって事か?
そんな俺の様子に気付いたのか、千条がまたも笑った気がした。
「先輩~、前回のこと忘れてる人もいると思いますし、少し話した方がいいのでは?」
「……あの時のことはもう思い出したくもないんだが……」
「振り返りは大事ですよ? 仕方ないですね~。先輩が嫌なら、私が勝手にやりますね~?」
千条の横で九十九が明らかに苛立っているが、どうやら俺の勘は当たっていたようだ。
そして、その前回あった計画とやらについて千条が話を始めた。
「今回初めて来た方は知らないと思います。他の皆さんは思い出して下さいね~。……というわけでまずはコレの話からしましょうか」
そう言うと、千条は白衣のポケットからあるモノを取り出した。
それを見た瞬間、俺の背筋が凍った。握られていたのが、青い液体の入った小瓶だったからだ。
「これは蒼麻先輩が作った不死身薬の未完成品なんです。はい、私達は現在、肉体の不死身化までは手が届いているのです! 信じられないでしょうが本当です。……いやぁ、先輩って変な人ですけど、霊水を使わずに、科学の力のみで実現するなんて正真正銘の天才だと思いますよホント」
「当然だ。霊水に頼らず肉体を強化する手法。その先祖の研究を俺が完成させたんだからな」
一体こいつらは何の話をしているんだ……。不死とか……、本気で言ってるのか?
いや、それよりもその青いのは……あの倉庫で俺が見た……。待て、そんなまさか……。
「この青い薬を飲むと、その瞬間から体は不死身になります。突発的な肉体の損傷では死ななくなるのです。まだ未完成品で副作用もあるんですが、不死身の実現は現実的なものになりました。ですが、不老の実現だけはどうしても難しくてですね~。そこで私達は、賢者の石――正確には賢者の石によって生まれる霊水を手に入れる必要があると考えました」
千条が話すたびに、俺の嫌な予感は輪郭を得ていった。
「グランミクスが改造した人工島。あの聖地を奪還する意味も込めて、舞識島を急襲する計画を三月に実行する予定でした。薬を島に運んだ後、不死となった我々があの島のメガフロート全てを沈める。大まかにはそういう流れだったんですが、計画に誤算があったんですよね」
……。今年の三月。青い薬。舞識島。計画。
それらの単語が俺の中で次々に結びついていく。心当たりがありすぎる程に。
「副作用の都合上、薬を大量に島へ運ばなきゃいけなかったんですが、その段階で問題がありまして。運び屋を担当してた方々が何者かに邪魔されたみたいなんですね。そのお陰で計画はパァーです。だからこうして半年もズレてしまったんですよね」
「やめろ。もう言うな。思い出すと腹が立つから」
「まぁそう言わずに。この半年で副作用を消した改良版が完成したから良いじゃないですか~」
「そんなもんは結果論だろうが! こうして計画の再始動に漕ぎつけたのも、全部俺のお陰だって事を忘れるなよ! 俺の苦労を思い知れ。そうだ。全員俺を称えて感謝しろ」
「はいはい~。ホントに先輩は凄い人ですよ」
今年の春先に起こったあの一件。俺が関わっていたアレは、舞識島へのテロ行為で……しかもそれをまた再開しようとしてるなんて……。マズイ。この流れはマズイ。今すぐにここから逃げなければいけない。俺は人目がない今のうちに場を離れようとしたその時――
「あ、どうもどうも~。こんにちはエイジさん!」
千条が俺を指さして声をかけてきた。壇上を降りて俺の方に歩いてくる。
「来ていただけたんですね! 良かったですぅ~」
「あ、あぁ。……そうか」
千条は今初めて俺がいることに気が付いたような反応をしているが、絶対嘘だった。だが、俺は千条との会話に話を合わせてずっと苦笑いをしていた。周囲の目線が俺たちに集まっていて、変に問い詰めることも出来ない。そんな状況であるのを良い事に、千条は突然妙なことを言いだした。
「あ、そうだ! 皆さんにも紹介しますね。明日からお仲間になるエイジさんです。はい拍手~」
「は?」
何言ってるんだ突然……仲間? え、俺が? 何で?
いやいや、待て。そんなことより……何で俺の名前を知ってるんだコイツは……?
俺の不安が掻き立てられていく。
そして、千条は俺にだけ聞こえるように小声で言った。
「そんな警戒しないで下さいよ~。あの日の事だって私は知ってますから。ね? エイジさん」
その一言が完全に決定打だった。
「なんで……お前……」
「まぁまぁ、安心してください。知ってるのは私だけなので。蒼麻先輩が知ってたらエイジさん殺されちゃってますよ? 実際、あの件で失敗した方達はそうなりましたので」
全く緊張感のない話し方も相まって現実味を感じなかったが……この半年間竹中から連絡がなかったことを思うと、これまでの事が全て繋がっていった。
千条は最初から全て知っていたんだ。知っていて俺に近づき、あの日のことを脅しに使って俺をグロースに加入させようとしている。だから、俺に断るなんて選択肢はなくて――。
最後に、俺の心情に追い打ちをかける一言を千条は呟いた。
「まぁそういう訳ですのでエイジさん。…………逃げられませんからね?」




