1.2.9
柳和馬が舞識島に帰ってきたこと、再び親友に会えたことは確かに嬉しかった。だが、その一方でこんな島に帰って来て欲しくなかったと思う自分もいた。だから、律は朝のホームルーム後、自分に話しかけてきた和馬にこう言ってしまった。
「何で帰ってきたのよ」
本当はそんな事言うつもりじゃなかった。しかし、一度口にした言葉はもう戻せない。そして、感情の整理も出来てないまま逃げるようにしてその場を去り、始業式の始まる体育館へ向かった。
今はその始業式も終わった後だ。この日は始業式とホームルームのみでそれからは下校となる。放課後は昨晩の件を独自に調査するつもりでいたが、その前に一つだけ確認する事があった。
生徒の殆どが帰った後、律はタイミングを見計らい廊下を歩く自クラスの担任教師に声をかけた。
「あの……春日井さん」
『春日井さん』と呼ばれた教師が、足を止めて律の方へと振り返る。
先生は辺りに人がいない事を確認すると、若干目を細めて律の呼び声に応えた。
「おや、律君。何か用ですか?」
「少しお話があります。その……隠蔽処理について」
朝凪高校1―Aの担任教師――春日井先生。それは表の顔に過ぎない。
この男の正体は、ナジロ機関の幹部であり、主に舞識島内の情報管理を行っているミリアムと同格の人物になる。表側では朝凪高校の男性教諭として名が通っており、律のクラスの担任に春日井が就いているのも、機関の人間が同じクラスにいた方が何かと都合がいいからだった。
その春日井に、律はある事を確認しようと問いを投げる。
「前田和文くんのことなんですが」
「あぁ、彼ですか。……まぁ、丁度いいですね。キミには話しておくべきでしょうか」
春日井はそう言うと、ナジロ機関の人間としての顔を表に出して話を始めた。
「正直、私も事情を把握出来てないんですが。彼、昨晩何かの事件に巻き込まれて亡くなったようで……。それを急にミリアム君から伝えられて、おまけに隠蔽まで頼まれまして。『内密かつ迅速に』という事だったので、詳しい事も聞けず……。とりあえず転校ということにはしましたが、その辺りの事、何かミリアム君から聞いていませんか?」
昨晩の『極秘任務』はミリアム個人の指示で、ナジロ機関は関与していないという。
春日井の様子からしてそれは間違いないようだった。律は任務の事を隠して話を続けた。
「いえ、私も何も聞いてないです。前田君の事も……。それで、一つ気になったんですが。彼の転校の事は、両親とか親戚には問題にならないんでしょうか?」
当然、転校と処理したからには、前田の親族にも何かしら影響はある筈だ。『前田和文は、実は殺されていた』という事が、すぐに明るみになってしまうんじゃないか、と律は思ったのだ。
だが、春日井もその辺りの事は計算している。
「それが、前田くんの事をちょっと調べたんですがねぇ。驚くことに彼の両親、もう二人ともたいぶ昔に亡くなってるみたいなんですよ。本州の方で」
「え?」
「彼、この春に島外から来た生徒なんです。それまでに何があったのかは、時間がなくて遡り切れなかったんですが……。両親どころか、親族もいない事だけは確認が取れたので、一先ず転校扱いで処理したんですよ。まぁ、このまま強引に押し通しても問題はないと思います。これまで通りね」
「……。そうですか。それなら良かったです……」
正直、納得できていない部分は色々ある。だが、これ以上考えても仕方がない。昨晩の件は極秘とされていて、自分はその当事者なのだ。ここから先は自分で何とかするしかない。
春日井とはこの会話を最後に別れ、午後に向けて動き出そうとしていた律だったのだが――
「おーい律!」
タイミングを見計らったように、彼女の背にまたしても和馬の声が届いてきた。
始業式前の教室であんな事があったばかりだというのに、何故こんなにも明るいのか。
律としては気まずい事この上なかったが、渋々振り返るとそこに満面の笑みの和馬がいた。
「良かった、まだ学校にいたか! さっき先生と話してたみたいだけど、何の話してたの?」
「別に。柳君には関係のない事だよ」
「関係ないかぁ。まぁそうだろうけど、ちょっと寂しいなぁ……」
「……。そんな事訊きに来たの?」
「あ、いや。実はこの後慎と一緒にA区画を回ろうって話しててさ! 良かったら律もどう?」
始業式前のことなどまるで気にしていない様子の和馬に、律が困惑の表情を浮かべる。
――避けられてる事に気付いてないのかな。……そういえば昔からそうだったかも。
――いくら何でも変わってなさすぎだけど。……なんか、悩んでるのが馬鹿らしくなってきた。
とりあえず和馬の誘いを断ろうと律が応える。
「ごめんなさい。午後は予定あるから」
「えー、マジかー。タイミング悪かったかな。んじゃ、また今度誘うよ。ちなみに何の予定なの?」
「……」
「あ、もしかして聞いたらマズイやつ? ……という事は、あーそうか。なるほど分かった。なんか、察せなくてごめん」
「多分柳君が想像してるような事ではないと思うけど……。何が分かったの?」
「だって女子高生は秘密にまみれてるってよく聞くし。しかも言い辛い事となると、きっと俺には想像もつかないような壮大な何かに違いないから、ここは空気を読まないとって思って……ってあれ? 何でそんな疲れた顔してるの?」
昔から訳の分からない男だったが、今聞いてもやっぱり良くわからない。
「柳君さ、私と話してても別に楽しくないでしょ……。始業式前にもあんな事あったのに……。もう昔とは違うって分かるでしょ? 何でそんなにしつこく来るのよ」
自分の感情が前に出すぎている発言ではあるが、良い機会だ。ここまで言えばこれからは話しかけてくることもないだろう。だが、次の瞬間に和馬の口から出た言葉は律にとって完全に想定外のものだった。
「え、話してて凄い楽しいけど。何でと言われても…………俺は、律の事が昔からずっと好きだったから……とか?」
「……は?」
――…………。……好き?
――…………? は? 何それ?
単純に意味が分からなかった。いや、言ってる事は分かるが、理解が出来きない。真顔で何言ってるんだろうか。人が真面目に話しているのに、馬鹿にでもしてるんだろうか。
そんな色々な考えが次々と頭に浮かび、気付くと律は――
「もういい。……じゃあ」
とだけ言って、彼に背を向けてその場を去り、渡り廊下を足早に歩いて昇降口へと向かった。
――何なんだホントに……。変わってないと思ったけど……あんな事言う奴だったっけ……。
思わず逃げてきたが、少し冷静になって落ち着きを取り戻したところで、独り言を呟いた。
「だいたい何で疑問形なのよ」
この後、和馬とのやり取りでモヤモヤした気持ちを抱えながら、A区画の街へと繰り出した。
――気を取り直して……。まずは何から調べるか。ミリアムさんからの指示もないし。
――いや、でも手掛かりと言えば一つあった。あの帽子の……。
――そうだ、アタッシュケースの事も気になるし、あの人を探せば何か分かるかもしれない。
そうして律が行動方針を決めた時だった。ポケットからスマホの着信音が鳴り響く。
スマホを取り出すと、その画面には、非通知の文字が映っていた。その電話に全く心当たりのないまま、律は恐る恐る通話ボタンを押す。
『こんにちは。いや、初めましてといった方が適切ですかね』
聞こえてきたのはモザイクの入った声だった。男か女か分からない声が彼女に挨拶をする。
「誰?」
彼女の問いを遮るように、その何者かは勝手に話を続けた。
『あ、これ録音なんで。多分会話は成り立たないと思いますが。まあ、とりあえず自己紹介から。エクスと申します。この島では都市伝説なんて呼ばれてるみたいですが……ご存知ですかね?」
「…………え?」
『実は、貴女に折り入って頼みたいことがありまして』
都市伝説エクス。カゲナシに並ぶ謎多き存在が、今まさに律に接触してきていた。
そして、エクスは律に……。
◇ ◇ ◇
八月三十一日。その夜、成瀬律は『ある事件』に関わる。都市伝説。アタッシュケースの謎。消えた死体。そして、キャップ帽の男。この島で今何が起きているのか。自分はいったい何に巻き込まれているのか。
自分が舞台に立つ役者の一人にされているとも知らずに――
成瀬律の九月一日はこうして幕を開けた。
【二章 裏】終




