p.2 キャップ帽の男
◇ ◇ ◇
現代 三月某日 昼 太平洋上 フェリー内
その男は流れるように。
もしくは、導かれたかのように。
「うおおぉぉぉ、寒ぃなぁオイ!」
冬が終わりを迎え、これから春に切り替わろうとしている三月の中旬。
陽の温かさを肌に感じ始める時期だが、その場においては、ほぼ冬の寒さと遜色がなかった。
「いやいや寒すぎかよ。アホかって。もうちょい着てくりゃ良かったなぁ。クソォー!」
東京港から出航したフェリー。
その甲板上で一人の男が声高らかに何かを叫んでいた。
男の身なりは半袖シャツの上からパーカーを着ているだけであり、周囲の客と比べて明らかに薄着だった。海上でこの身なりならば、寒さを訴えるのも無理はないだろう。
年齢は二十代前半に見え、年相応の若さを感じさせる。
その他の特徴には、腰に大きめなウェストポーチを身に付けている事や、髪色を白に染めている事、頭にキャップ帽を被っている事などが挙げられた。
そして、何故かは分からないが、その男の右手には漫画雑誌が握られていた。
「お、アレがそうだな。ほら、見て御覧よ。凄い景色だ」
キャップ帽の男が、横に立つ十歳にも満たない少女に声をかける。
その少女は家族と共に乗船したらしいのだが、どうやら船内ではぐれてしまっているようだった。
涙ぐんだ表情で甲板にいるのを見つけた男が、少女からその事情を聞き、「よーし、お父さんとお母さんに会うまで一緒にいてあげよう!」と言った事からこうした状況になっている。
少女は、最初こそキャップ帽の男に警戒心を抱いていたが、優しく声をかけてくれた事に少しずつ心を開き、今ではすっかり笑顔になっていた。
「うん。正直ここから見えるのかなぁって思ってたんだけど、そんな心配まったくなかったね。凄いなぁ。この距離からハッキリ見えるなんて感動もんだよ。キミもそう思うだろ?」
男が少女と共に見ているのは、フェリーの到着予定地。
これから男が向かう場所。洋上に浮かぶ島。
『舞識島』と呼ばれる、巨大な人工島だった。
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人工島『舞識島』。
東京港から太平洋に向け、北東二百キロメートル程進んだ洋上に浮かぶ人工島の名。イギリスの巨大企業――グランミクスにより建造され、『洋上に浮かぶ人工島』という話題性から注目を集めていた。東京都に属する島ではあるが、この島全域の運営・管理にはグランミクスの力が多大にあり、実質的に『グランミクスの島』という認識が一般に広まっている。また、日本の観光地、物流の盛んな都市としても機能しており、国としても重要な場の一つになっていた。
では一体、何故そんなことになっているのか。
事の始まりは四十年前。その当時、この島は無人の孤島だった。
しかし、地球温暖化による海面上昇によって、年々少しずつ地盤沈下している問題があったのだ。
この問題については国内でも議論に挙がっていたのだが、今すぐ影響がある訳でもなく、改修コストに対するメリットも少ないとされ、島の改修は諦める方向に転がりかけていた。
そんな時に名乗りを上げたのが、グランミクスであった。
『孤島の外周に人工浮島を配置して孤島と結合し、島全体を支えて浮上させる』という計画を立ち上げ、舞識島の補完に尽力する。グランミクスの最新技術で島を救うというシナリオだった。
しかし、この計画規模は最早『改修』ではなく、『改造』の域にあり――それならば、いっその事舞識島そのものを生まれ変らせてはどうかという話が新たに出てきたのだ。
最終的には、それまでの常識を覆す巨大な人工島を開発するという方針になり、舞識島の『改修』は、人工島への『改造』へとシフトした。
そして、計画が立ち上がってから僅か十年で人工島としての舞識島が完成し、今に至っている。
改造後は、国とグランミクスの双方が舞識島への企業の参加と、一般市民が居住しやすい環境作りを行い、行政面や技術面の新たな取り組み・発展を目指す都市になっていた。
話題の溢れる場には自然と人と物が集まってくる。その流れは衰える事なく増加していき――。
こうして舞識島は、『沈む筈だった孤島』から『一大都市の人工島』へと生まれ変わり、その名を世界に轟かせているのだった。
少なくとも表向きにはそうなっている。
◇ ◇ ◇
フェリー内
「そうそう、俺色々勉強してきたんだ。あの島が元はただの孤島ってのは知ってたんだけど、それをあんな人工島に変えたってんだからホント凄すぎだよな。洋上に浮かしてる技術とかも謎すぎるし。あんな漫画みたいな島ホントにあるんだなぁ! ワクワクしてきた!」
キャップ帽の男は少年のように目を輝かせ、前方に見える人工島について語っていた。
一方、少女の方は目を白黒させて、男の話をじっと聴いている。
そんな少女の様子に気付いた男は、語りを止めて自嘲気味に笑った。
「あー……ごめん。難しい話だったよな。一人でテンション上がっちゃってごめんね」
申し訳なさそうに言う男だったが、少女はニコリと笑っていて特に気にした様子もない。
ただ、少女はじっと男を見つめ、子供らしい純真無垢な問いを投げた。
「お兄ちゃんの髪は、どうして真っ白なの?」
確かに、男の外見については誰もが気にするところではある。特に髪色は、不自然な程に白く、とても自然な色味には見えなかった。
少女の問いは単なる好奇心によるものだったが、男もまた気にすることなく笑顔で応えてみせた。
「ん? あーこれは単に髪染めで色を変えただけだよ。本当はもうちょいリアルな銀色っぽくしたかったんだけど。でも、これはこれで悪くないかなぁって思っててさ。ほら、漫画のキャラみたいでちょっとカッコいいでしょ?」
「へー、それで真っ白だったんだ! 確かになんかカッコいいかもね!」
「おっ、ありがとう! このセンスについて来れるとは、キミは将来有望だな」
「ゆうぼー?」
「おう。でもキミがやるにはまだ早いかなぁ。いきなり髪色変えたら両親が悲しむかもしれない。……じゃあそうだな。よし! 将来有望なキミにはこれをやろう」
そう言うと男は右手に持っている漫画雑誌を少女に渡した。
「船乗る前に読み終わっちゃったからさ。褒めてくれたお礼にこれを進呈しよう。漫画はいいぞー」
「へぇ~分かったよ。今度読んでみるね!」
それから暫くして、少女の親と思しき父母が、二人のもとへ駆けてきた。
両親が少女を抱き寄せ、すぐ傍に立つキャップ帽の男へと目を向ける。
「あっ、この子のご両親ですか? 見つかって良かったです! 此処から動くのも良くないと思って自分が一緒に居たんですが……。あー気にしないで下さい。大した事はしてないので」
少女の両親が頭を下げて感謝を口にする。一先ず、少女の問題が解決し、一安心したキャップ帽の男は、最後に少女に声をかけた。
「じゃあな。もう迷子になるんじゃないぞ?」
「うん、ありがとうお兄ちゃん!」
その後、軽快な足取りで船内に戻っていき――。
どこまでも青い空の下で、海の向こうに見える人工島を思いながら独り呟いた。
「にしてもテンション上がってんなぁ俺。あの島に着くのが楽しみだ……。なぁ、そうだろ?」
それは誰かへの問いかけではなく、自分自身へ向けた言葉のようで――。
まるで己を鼓舞かのするように、ただ楽しそうに男は笑っていた。
「あぁ、最高に楽しくなるといいよなぁ。……ってか、マジで寒すぎだろこれ」