1.2.5
◇ ◇ ◇
九月一日 早朝 舞識島B区画地下 ナジロ機関本拠
「さてと、どうしたものかしらね」
一晩明けたミリアムの執務室。 部屋の中はミリアムと部下である桐原の二人のみだ。
ミリアムは椅子に座り、昨晩起きた事件の資料に目を通していた。
「律の報告は聞いたけど、不可解な事が多すぎる。……まず注視すべきは三つね。一つは、カゲナシの持っていたアタッシュケース。二つ目は、キャップ帽を被った男の存在。そして三つ目が――」
そこでミリアムの目は鋭くなり、一層険しい表情で口にした。
「あった筈の死体が消えていたってことね」
《ヤはリ、問題はそこですカ》
「ええ。貴方が死体の回収に行った時、広がっていた血は確かに二人分の出血量だったのよね?」
《ハい。位置関係からも明らかに二人いたのは間違いありませン》
「……なのに、死体は一つしかなかったわけね。律も、最初に目撃してから、ほんの数分で死体が消えていたと言っていた。……この件、もし私の考えていることが正しいなら……」
ミリアムがそこまで言ったところで、彼女の懐からスマホの着信音が鳴り響いた。
スマホを取り出し画面を確認する。そこには『非通知』の文字が映し出されていた。
その着信音にミリアムと桐原は共に沈黙する。その後、ミリアムが「桐原」と一言呟き、名を呼ばれた桐原は小さく頷いてから、昨晩と同様に執務室の外に出て部屋の監視についた。
部屋の中が自分だけになったところで、彼女は一つ息を吐き、忌々し気に通話ボタンを押した。
「もしもし」
『こんにちは。おっと、すみません。今はおはようございますでしたね。昨晩はお疲れ様でした』
聞こえてくるのはモザイクの入った声。男か女か分からない声が軽快に挨拶をする。
スマホから聞こえるその声に対し、ミリアムは苛立ち気味に応えた。
「動いてくれたのは私の部下よ。で、用件は何?」
『まぁまぁ、そう邪険にしないで下さいよ。私と貴女は情報提供した仲でしょう?』
「貴方が一方的に流してきただけよ。お陰でこっちは貴重な人材を失うリスクが生じた。……それで、エクスだったかしら。『都市伝説の情報屋』が何の用よ」
舞識島に存在するもう一つの都市伝説。『エクス』という正体不明の情報屋。
この島のことなら何でも知っているとされる謎多い存在だ。その筈なのだが――。
「……都市伝説ね。カゲナシ共々そんなもの信じてないけど、島の中にそういった存在がいることは薄々気付いていたわ。まさか私に接触してくるとは思わなかったけど」
『貴女もこの島の人間ですからね。島の平和の為、何かあれば連絡くらいしますよ』
「何かあればね。……じゃあ訊くけど、どうして私を選んだの?」
『何でと聞かれると……その質問は中々難しいですねぇ。色々理由はあるんですよ? 役者として華があるとかね。まぁでも、一番の理由は『貴女がナジロ機関で一番信頼できるから』ですかね』
「信頼?」
『はい』
「意味が分からない」
『そうですか? まぁ、自分の事は自分では分からないものですよ』
「言っておくけど、私は貴方の事をまだ信頼してないわよ?」
『おや、『まだ』ということは、一応信じようとはしてくたんですね』
「……。……昨日までは疑い半分……今は七割ってとこね」
『なるほど。やはり貴女を選んで正解だったようです』
昨日の事だ。突然、ミリアム個人に一件の電話が入った。
その電話の主は自らをエクスと名乗り、『カゲナシがA区画のある場所に出現する』という情報を一方的に流してきたのだ。どうやってナジロ機関の――それも幹部である人間の連絡先を入手したのかは分からないが、内容からしてただの悪戯とも思えなかった。ミリアムも驚きはしたが、当然それを鵜呑みにする事はしなかった。仮に真実であっても、信憑性のない情報で組織を動かすことは出来ない。その為、無視しようと考えていたのだが、一つだけ彼女には気になることがあった。
何故今回に限ってこんな情報を流してきたのかという事だ。これまでもカゲナシは何度も島に出現している。それなのに今回だけ連絡を寄越してきたのは、何か違和感があった。
どうにも、カゲナシという情報を餌にして、何かを伝えようとしているような気がしたのだ。
それを確かめてからでも遅くはないだろうと考え、まずは個人として状況を把握しようと部下を現場に向かわせ対処させた、というのが昨晩の経緯になる。
「貴方、私を試したんでしょ? 私が組織を動かさずにまず個人で動く筈だと」
『えぇ。結果は期待通りでしたよ』
「……それはつまり、私一人だけに伝えたいことがあるという意味で良いのよね?」
『そうですね』
エクスは淡々と答え、ミリアムの考えを読むように更に続けて話す。
『私が機関の人間である貴女に直接それを伝えていない事が答えです。お察し頂けますか?』
「……」
「おそらく貴女が一番気にされてるのは、あった筈の死体が消えていた事ですよね。先ほども何やら話されていたようですが?』
執務室内はミリアムが完全管理しており、監視カメラの類は一切存在しない。
しかし、エクスは先程あった桐原との会話を言い当てるようにその話題を口にした。
「この際、何故貴方がこの部屋での会話を知っているのかは一旦置いておきましょう。それよりも、その口ぶりからするに……もしかして本当に『そういうこと』なの?」
敢えてその内容を口にしないよう含みのある言い方をするミリアム。彼女には、昨日の一件である予感があった。外れていて欲しい予感が。
エクスも彼女の言いたいことを理解した様子で言葉を返す。
『それを口にしない辺り 、やはり大凡の見当はついてるんですね。流石です』
「いいから答えなさい」
ミリアムは、ただ自分の予感が外れていて欲しいと願うばかりだった。そんな彼女の想いも読み切っているように、エクスは調子よく答えた。
『ならば私もこう言う他ないですね。直接それを言うのは控えさせてもらいます、と。いやなに、貴女の立場を考えれば、これ以上ない回答だと思いますがね?』
普通ならふざけていると取れる回答だが、この問答において、それは肯定と同義だった。
『それとついでに。結果的にですが、貴女が組織を動かさなかったのはこれからの事を考えれば正しい。その判断は正解だったと私は思ってます。貴方もおそらく同じ想いですよね?』
「……。えぇ、そうね……」
『それを聞けて安心しましたよ』
昨日の件でナジロ機関を動かさなかった事は、結果的には正解だったと、エクスは言っている。
つまり、彼の伝えたい事とは、ナジロ機関が知るべき情報ではないということだった。ミリアムもその事は理解している。そして同時に、これまでの問答でエクスの考えも視え始めていた。
「一つ答えて。あのアタッシュケースの中には、私が想像しているモノ入っていると思っていいのよね?」
『それは貴女自身の目で直接確かめて下さい、と言いたいところですが、状況が状況ですので簡潔に言いましょう。その通りです』
昨晩の全貌については、ミリアムはまだ掴めていない。
しかし、エクスの肯定の発言から死体消失のロジックは既に理解している状態にあった。そして状況から考えると、おそらくそれを可能にしているモノ、あるいは関係するモノがケースの中にもあると、ある程度の目星をつけていた。
『さて、最初の話に戻りましょうか。何故私が貴女を選んだのかという話です』
ここまでの会話で、エクスはミリアム・ハーネットという人間を再評価していた。
その上で、やはり間違いなかったと確信を持ってエクスは語る。
『直接話してみて確信しましたよ。それはですね、ミリアム・ハーネットさん。貴女だけが、この島で唯一『舞識島の平和とは何か』を本当の意味で理解しているからです。私には分かります。だからこそ信頼できると思ったんです』
ミリアムはその発言に肯定も否定もしない。それから暫く沈黙が続いた後、ミリアムは静かに息を吐いて、エクスに問いかけた。
「……じゃあ、私も一つ昔話をいい?」
突然妙な事を言い出すミリアム。彼女はエクスの発言から何かを確信したように、ある話を語り始める。
「およそ半世紀ほど前、私の祖父――テイマーはこの舞識島を発見した。その報せによって、ハーネット家はこの島の獲得に動き出したわけだけど、それから暫くして、あの人は霊水のサンプルを持って姿を消したのよ」
『それは私も知ってます。世間に公表はされてないようですが』
「当時は人工島開発の只中だったから、大きな揉め事を起こしたくなかったのね。でも、私たちは結局彼を見つけ出す事が出来なかった。流石にもう寿命で生きてはいないでしょうけど。ただ私たちは彼の目的だけは知っていた。あの人は霊水を使った人類の進化、その方法を探っていたのよ」
『ほう、霊水による進化ですか』
「えぇ。錬金術において、霊水はあらゆる物質の原料になるとされている。エネルギー資源としての価値があったのは確かに大発見だけど、それは本質じゃない。だから、お爺様は霊水の正しい扱い方をずっと研究していたそうよ。霊水の事は、私たちも未だに理解出来てないし、扱い切れてもいない。でも、おそらくお爺様は霊水を使った進化の方法を得てしまったのね。それが悪用される事を恐れたから、全てのデータを消して本家を去ったのだと私は思っている。そして、島の外でサンプルを使って、進化を果たした存在を作り上げたのでしょうね。……例えばそう、貴方のような」
『…………』
「進化する事で得るという全知や第七感が、どういうものなのかは分からない。まぁ、普通の人間には理解できないのでしょうけど。貴方、この島の事なら何でも分かるのよね? 不思議だったのよ。特殊な情報網があるのか考えたけど、ついさっきの桐原との会話も……」
ミリアムがそこまで口にした時だった。エクスはミリアムの話を横から遮った。
『流石とは思っていましたが、まさかそこまで行きますか。いやぁ、素晴らしいです。素晴らしいですよミリアムさん。期待以上です。やはり貴女は最高の役者だ』
その言葉を最後にして、エクスから一方的に通話は切られた。ミリアムは通話の切れたスマホを見つめて苦笑する。
「貴方、『その通りです』って答えてるようなものよ」
おそらく今の発言も彼の耳に届いている事だろう。それが分かっているからこそ敢えて口にしたのだが、その次に彼女が呟いたのは誰に向けたものでもないただの独り言だった。
「それにしても、私の予想が当たってしまうとは……。マズイ事になったかもしれない」
それはハーネット家の人間だから予想出来てしまった事。
錬金術に関わりを持っていた一族だからこその直感が当たってしまったのだ。
「どこの誰が、どうやってそれを成したのか知らないけど。まさか、不老不死の技術がこの島に持ち込まれているなんて」




