1.2.3
◇ ◇ ◇
同時刻 舞識島A区画 某路地裏
月明かりと点々と位置する蛍光灯だけが照らす薄暗い路地裏。
そこに一人の少女が立っており、じっと時を待っていた。黒いジャケットを羽織り、ズボンとスニーカーで動きやすさを重視した身なりをしている。年齢は十代半ば程で、幼さの中に凛とした雰囲気を感じさせる不思議な魅力があった。大人びて見えるのはその少女の天性なのかもしれない。
だが、それ以上に決定的だったのは……その両手に拳銃とナイフが握られている事だった。
『準備はいいわね?』
少女は耳に付ける無線のイヤホンマイクから『その時』の合図となる声を聞く。
それが自分の上司――ミリアム・ハーネットのものと認識し、少女は応答した。
「はい、配置に着きました」
ナジロ機関執行者の一人である少女は、桐原と同様にミリアム直轄の部下になる。
少女は今晩『ある任務』をミリアムから伝えられ、A区画のこの場に陣取っていたのだ。
『周辺状況は?』
「今のところ特に問題はありません。……それで、そろそろ教えて貰えませんか? 任務の事を」
通常なら事前に説明があるのだが、今回は少々勝手が違っていた。
配置場所のみ知らされただけで、「時刻になったら伝える」としか聞いていないのだ。
「極秘って事でしたけど……。それに、私以外に組織の人間がいないように思えますが」
『あぁ、それはそうよ。だって今夜の任務を知らせているのは貴女だけだもの』
事情が上手く呑み込めず、少女は一瞬沈黙したが、すぐにミリアムに問い直した。
「えっと……どういうことですか?」
『極秘と言ったでしょう。この任務にナジロ機関は関与していないのよ。極秘というのは、組織に対して。だから今現場にいるのは貴女一人です』
「組織にも極秘?」
『ええ。個人的に確かめたいことがあってね』
自分の上司が何を考えているのか、少女はミリアムの真意を全く読めずいたのだが、次の瞬間イヤホンから聞こえた一言で少女の緊張は一気に高まった。
『カゲナシ』
「……ッ」
『今夜、その場にあの殺人鬼が現れる筈。ある筋で入手した情報によればね」
「奴が? それに情報って、一体どうやって……」
ナジロ機関は、グランミクスと連携し、監視カメラで舞識島全域を管理している。その監視は決して完璧ではないが、ある程度の性能は発揮しており、犯罪防止の実績もあった。しかし――
カゲナシは、このカメラの死角を絶妙に突いて、監視の目を器用に掻い潜っているのだ。
何故そんな事が出来るのかは不明だが、ナジロ機関が後手に回る理由は主にこれが原因だった。
そんな中、ミリアムは『カゲナシが出現する情報を入手した』と言っている。
『まあ、色々あってね。私個人の情報網とだけ言っておくわ」
「それなら、尚更組織を動かして包囲網を作った方がいいのでは?」
『いえ、その必要はない。今夜の目的はカゲナシの討伐ではないから』
そして、ミリアムは少女にその『極秘任務』を命じる。
『これからその一帯で『何か』が起きる筈です。その辺りにはカメラがないから、貴女はその一部始終を見て私に報告するのよ。カゲナシには深追いしなくていい。いいわね?』
ようやく任務の指示が明かされたが、やはり要領を得ない。
少女の知る限り、ミリアムがこんな具体性のない命令をしたことは今までなかった。
しかし、これまでその判断に間違いがなかった事は、少女自身が一番解っていた。
「わかりました。何か事情があるんですね。私はミリアムさんを信じます」
『ありがとう。本当ならこんな事頼みたくはなかったのだけど……』
「この島の為なんですよね? だったら……私がやります。やらせてください」
これからカゲナシが現れ、ミリアムの言う『何か』が起きるという。
色々な情報が少女の頭の中を巡り、整理しながら、意識を場に集中させていく。
そして――それは突然起こった。
「……な、なんだよお前……‼ 何でこんな……やめろ……来るなぁァァァ‼」
路地裏に何者かの悲鳴が響き渡る。男の声だった。
少女は声のする方角に目を向ける。声の距離からして、ここからそう遠くない。
『どうしたの?』
「今、人の声が。男の叫び声が聞こえて……。カゲナシが現れたのかも知れません」
気付くと、少女は入り組んだ路地裏を駆け出していた。
おそらくミリアムの言う『何か』が、今まさに起きているのだ。
任務は忘れていないだろうが、やや感情的になっている少女をミリアムが制止する。
『待ちなさい、律!』
だが、少女はそれでも止まることなく駆けていき――そして、その現場に辿り着いた。
「……え?」
月明りだけが照らす一本道の路地裏で、少女はそれを目にする。
白いレインコートを着た仮面の怪人と、その足元に転がる二人の男の死体。
赤い血だまりの上で、死体を見つめる白服の怪人の姿を。
八月三十一日。この夜、ナジロ機関執行者――成瀬律はカゲナシと呼ばれる怪人に出逢った。




