1.2.2
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八月三十一日 深夜 舞識島B区画地下 ナジロ機関本拠
B区画は、主にビジネス街として発展している一帯であり、背の高いビルが多く並んでいる。グランミクスのビルもB区画に存在しており、島内でも特に社の管理が徹底されていた。
そんなB区画の地下。どこかに存在する島の裏組織――ナジロ機関の本拠地。
施設内は白を基調とした廊下をライトが照らしており、両側には個室が転々と配置されている。
無地の白い空間が妙な静けさを感じさせ、まさに味気ないという言葉が似合う場であった。
そのとある一室でのこと。
「島の平和を護る、ね。……口に出すと笑ってしまうわね」
そこは執務机が一つと、高級そうなデスクチェアが一つあるだけの殺風景な部屋だった。
今現在、この部屋には二人の人物がおり、内一人の女性がデスクチェアに座って語っていた。
「まぁ言うだけなら簡単よね。下らない戯言と切り捨てるのが普通でしょう」
女性はグレーのロングジャケットを羽織っており、その他の特徴としては、瞳が透き通ったブルーアイである事や、髪色が銀色に染まっている事が挙げられる。
蒼眼と銀髪、顔立ちや白い肌色からして日本人でないのは明らかだった。
そんな特徴を持つ女性は、尚も流暢な日本語で話を続ける。
「しかし、生憎そうも言っていられない。錬金術、賢者の石、霊水。この島は下らないことばかりだけど、戯言も成し遂げる力があるならそうでもないのかもね。ねえ、貴方はどう思う?」
彼女の名は、ミリアム・ハーネット。
ナジロ機関に数名いる幹部の一人であり、グランミクスを創業した錬金術師の一族――ハーネット家に連なる人物である。錬金術を始めとした多くの学問に正通する才女だ。
彼女はハーネット本家からナジロ機関へ直接派遣されており、名目上は組織と本家を繋ぐ『伝達役』になるが、組織内部では幹部の席を与えられているナジロ機関の参謀でもある。
ただの伝達役としてだけなら幹部である必要はないのだが、それでもこの立場に就いているのは、単純に彼女の能力が評価されているという事だった。
更には、年齢も二十四歳と若く、その歳で幹部に就いているというのは異例の事である。
要するに、ミリアム・ハーネットとは、組織内部でも少々特殊な立場にいる女性だった。
幹部には各々個人の執務室が与えられており、この部屋はミリアム個人のものになる。
そして今、彼女の前には歳の近いスーツ姿の青年が立っていた。スーツの男は無表情と無言を貫いており、何の反応も示さずミリアムの話をじっと聞いている。
いや、表情の変化がないため、話を聞いているのかどうかも怪しかった。
「……何でもいいから反応したらどうよ、桐原」
青年の様子に、ミリアムは一つ溜息を吐く。
対して、名前を呼ばれた男――桐原はポケットからスマホを取り出すと、音声アプリを起動し、文字を打ち込み出した。すると、スマホから彼の言葉を代弁する無機質な音声が流れた。
《タとえ戯言であレ、私たちハ任務を真っ当するのみでス》
「つまらない答えね」
《『力』の有る無しは関係なク、コの島の秘密は護らなければならなイ。ソういう意味でス》
「……まあ、そうね。その通りだわ」
ナジロ機関には執行者という殺しのエキスパートが数名いる。桐原もその一人であり、同時にミリアム直属の部下でもあった。
「それにしても一々スマホを通さなきゃ会話できないのは流石に面倒ね」
《ゴ迷惑おかけしまス》
「……いえ、別に責めてるわけではないのだけど」
桐原は、身体的な都合上で言葉を発することができない。そのため会話には手話をはじめ、先程のようにスマホを介すのだが、意思疎通が非効率的であるのは確かだった。
「まぁいいわ。……それよりも今問題とすべきはコレよ」
ミリアムはそう言うと、デスクに広がる数十枚の写真に目を移した。
その全ては夜間に撮影されたもので、共通して『ある人物』の姿が映し出されていた。写真はぼやけているが、映っているのは、白いレインコートで全身を覆い、仮面で顔を隠している人物だ。
「カゲナシだったかしら? ……よくもまぁ一ヶ月足らずで都市伝説になれたものね」
《アくまで噂話程度の認知しかされていないようですガ》
「そうでないと困るわ。情報操作も影響してるんでしょうけど。……あの怪人は表に出すわけにはいかないのよ」
八月上旬頃から噂が広まった、深夜になると姿を現す都市伝説の怪人――『カゲナシ』。
しかし、その存在は舞識島内に確実に存在している事をナジロ機関は理解していた。
全ての始まりは、三月下旬のある晩。その夜にカゲナシが現れ、殺人が起きた。
その殺人の対象となったのが、ナジロ機関の構成員だったのだ。人通りのない夜道を一人歩いていたところを、白服の人物に背後から襲われている現場を監視カメラが捉えていた。
あまりに突然の出来事で、ナジロ機関はこの犯人を捕まえる事が出来なかったが、なんとか報道だけは抑えて、この一件を強引に隠蔽していた。だが、この日に白服の人物を目撃した一般人は何人かいたようで、白服の怪人――『カゲナシ』の噂は少しずつ広がり始めていた。
目的は不明だが、ただの殺人鬼にしては、ナジロ機関の人間を襲った事が偶然とは思えず、この一件を境に組織はカゲナシの行方を追っていた。
それから五ヶ月間は姿を見せていなかったのだが、八月に入ってから再び現れたのだ。
ただ三月とは違い、姿を現しているだけで、殺人はしていなかった。
しかし、この島の脅威である事に変わりはない為、一刻も早く解決する必要がある。
紙一重で表向きの平和が護られているというのが現状だった。
「敵は一人。それもただの殺人鬼にここまでやられるとはね。……私も不甲斐ないわ」
ナジロ機関が対峙したのは三度。その全てを執行者が相手をしているのだが、仕留めるどころか、傷を負わせることも出来ていない。こんな事は今までに一度もなかった。
「それでもこの島だけは護らなければならない。例え敵がなんであろうと。そうよね?」
しかし、彼女の眼に迷いはない。『舞識島の平和は護る』という一点だけは譲らないと。
その自らの決意に応えるため、ミリアムは動き出す。
「そろそろ時間か……。桐原、入り口を見張っていて」
ミリアムは時計を見て、『時間』が来たことを確認する。
桐原も彼女の言葉に小さく頷くと、部屋の外に出て入り口に立ち、執務室の監視を始めた。
そして、ミリアムはデスク横の引き出しから無線機を一つ取り出すと、自分の決意を再確認するように大きく息を吸って一人呟いた。
「さあ、今夜も護り抜きましょう」




