1.1.7
「あー、ようやく終わった!」
時刻は十一時半。およそ一時間にわたる始業式が終わり、生徒たちは各教室に戻ってきていた。
始業式後は、クラスで連絡事項などがあり、今はそれも終わった後だ。この日は始業式とHRのみで午前中には下校になる。生徒たちが続々と下校する中、慎と和馬も荷物をまとめていた。
「校長の話長かったなぁー! もう退屈でしょうがなかった。あまりに暇だったから、軽く寝てたし。この時期にやるもんじゃないよな。ある種の拷問だよ、ありゃ」
「転校初日の癖に無茶苦茶言うなホント」
「まぁでも、これで今日のとこは学校終わりだろ? しゃあ! 無事初日しゅーりょー!」
「切り替え早いなぁ。落ち着くってことを知らないのかい?」
「お前も大概口悪いな……。それにしてもさ。まさか俺の座席がお前の真横になるとは思わなかったぜ。なんていうか、色々と運がいいな俺!」
慎の隣の席。そこは、今朝偶然にも空いてしまった席だったのだが、和馬の席になったのだ。
「あのさ、この席なんか不自然に空いてたけど、もしかして誰かの席だったりした?」
こういうところはやはり勘がいい。
「そこは前田くんって生徒の席だったんだ。引っ越したみたいなんだけどね」
「え、引っ越した?」
「っていうか、僕らも今日引っ越したってこと知ったんだよ。だから和馬と入れ違いになるね」
自分が『入れ替わりの転校生』だったと知り、和馬は妙な罪悪感を抱く。和馬が負い目を感じる事など一切ないのだが、その席にいる事には何か思うところはあるようだった。
「もっと早く言って欲しかった……。え、じゃあアレか? 俺もしかして転校した奴の席ではしゃいでる空気読めてない奴になってない?」
「まあ……なってるかも?」
「マジかー」
少し凹み気味だった和馬だが、それも数秒の事。
暗い表情は綺麗に消え去って、いつも通りの和馬に戻っていた。
「ま、しょうがない。気にしない。俺は気にしないぞぉ」
「切り替えだけは早いよね。良い事だと思うよ」
「まぁそんな事はいいんだよ。とりあえず、午後の事なんだけど、慎って何か予定あったりする?」
「いや、特にないけど」
それを聞いた和馬はニヤリと笑い、午後からの予定についてある提案をした。
「じゃあ、これからA区画を回らないか?」
「ん? 別にいいけど……。でも、和馬はA区画に結構詳しかったよね?」
「いや、そんな事ないぞ? もう五年も昔の事だし。久しぶりだから街を見たいんだ」
「あーなるほどね、僕は案内役ってことか。……あ、それなら喜代さんにも会いに行こうよ」
掃除人――藤野喜代。小さい頃に慎らの面倒を見ていた彼女は、当然和馬の知り合いでもある。
「ん? 喜代さん? ……喜代っていうと、まさか喜代姉の事か?」
「他に誰が居るのさ。僕も今朝会ってさ。和馬が戻ってきたって知ったら喜ぶと思うんだ」
「喜代姉かぁ……うーん、そうか。相変わらずなのか……。いや、うーん……まあ、会うかぁ?」
「なんで疑問形?」
「や、なんていうか昔からあの人苦手なんだよ。怖い印象が強いというか」
「……まあ分からなくもないけど」
小さい頃の和馬は頻繁に喜代を怒らせており、それこそ竹箒で殴られていたことも多々あったのだが……。どうやら和馬の中では、その当時の影響から苦手意識があるようだった。
「仕方ない。久しぶりだし挨拶はしとくか……。でも、そうなるとやっぱり律も誘いたいよな。……って、アイツもう教室出てるし」
鐘が鳴った一分後には、すでに彼女の姿は教室になかった。
和馬はもう一度話したかったようだが、残念ながらそのタイミングを逃していた。
結局、慎と和馬の二人で島を回ろうということで話は決まり、彼らはそのまま教室を後にした。
そして、教室を出た廊下の先で和馬がある光景を目にする。
「ん? あそこに居るの律か?」
そこに居たのは律と担任の春日井先生だった。何やら二人で話しているようだ。
とっくに学校を出たと思っていたが、運がいい。丁度会話も終わったようで、律を午後の予定に誘うなら今しかないと和馬は考える。
「なんだ、律まだ学校いたのか。よし、俺ちょっと行ってくるよ! 慎はここで待っててくれ!」
和馬はそう言うと、律の方へと駆けて行く。慎はその後ろ姿を眺めながら、スマホを片手に律と和馬のやり取りを眺め、戻ってくるのを待つことにした。
――ホントへこたれないなぁ。さっき成瀬さん怒らせたばかりなのに。
――遠目でも和馬が無茶苦茶な事言ってるのが分かるよ……。
――また、成瀬さん怒らせなければいいけど。……あ、成瀬さん帰っちゃった。
律だけ一人で帰っているところを見るに、誘いは失敗したのだろう。
会話が終わって戻って来た和馬に、慎が察して言葉を掛ける。
「まあ、見てたけど。残念だったね」
きっとまた怒らせたに違いない。そう思う慎だったが、和馬はとぼけ顔で訊き返した。
「え、何が?」
「いや、成瀬さんに誘い断られたんでしょ? また怒られたのかなって」
「まぁ確かに怒ってたけど。でも、言いたいことは言えたし別にいいだろ! 次また誘えばいいし! ……って、あれ? 何で笑ってるんだ?」
「いや、そういうポジティブなとこは変わってないなぁと思って」
また昔のように、和馬に自分や律を引っ張ってほしい。
自分たちのリーダーはやはり和馬なのだと、改めて慎は思うのだった。
◇ ◇ ◇
この日――九月一日に慎の幼馴染、柳和馬というヒーローが舞識島に帰ってきた。
その事に、慎は期待していた。律を救えるのはきっと和馬のような人間なのだと。
救うのは自分でなくていい。
ただ、昔のように三人で笑い合えるのならそれだけで良いと思っていた。
今日はいつもと何かが違う。
きっとこれから何かが変わる気がする。
そんな『何か』に期待を抱いて、こうして如月慎の九月一日は始まるのだった。
いや、もしかすると……。
事は既に、全く別の場所で起きているのかもしれない。
【一章 表 】終




