我楽多
ぼくは落とし物をしたようで、その具体的な名前は分からないけど、とにかく、その落とし物のせいで、お母さんは死んだのだ、と。
家に帰って、お風呂に入ろうとしたら、死体が湯船につかっていたから、ぼくは本当に驚いた。お母さんの体のまわりには血がゆるりと広がっている。目をそらした。お風呂からでて、服を着て、ドアを閉めた。
バスに乗って、電車に乗って、歩いて。彼方の家に行くのに、一時間はかかる。
「……どきどき。」
ひとりごと。
呼び鈴を鳴らすと、随分と間があった後に、
「……はい。」
と眠そうな声。
「有機です。」
「あー、えーっとね、鍵かかってないから……、入ってきちゃって。」
「……はーい。」
ドアを開けて、中に入る。
こたつに潜り込んだ彼方が居た。
「良いなー、こたつ。」
「有機も入りなよ。」
「うん。」
遠慮せず、彼方の横に座る。
彼方は手をのばして、ぼくの頬を触った。
「冷たい。」
「外を歩いてきたからね。」
ぼくは鞄から封筒をとりだした。
「さて。この中には、百万円入ってます。」
「盗まれないように気を付けなくちゃ。」
「本当に入ってるんだよ。」
封筒を渡す。彼方は中をのぞいて、目をまるくした。
「それで、突然で悪いんだけど、今日から一週間、ここに泊まらせてほしいの。そのお金あげるから、お願いします。」
頭を下げる。
「一週間だけじゃなくて、もっとでも良いよ。」
「ありがとう。」
顔を上げて彼方をみた。彼方はぼくをみていなかった、いろんな意味で……とか心の中でひとりごと。彼方は誰のこともみていないから別に寂しくないと言ったら、友達に笑われたことを思い出してみたり。
寝ころんだ。
「彼方。」
「何?」
「好きー。」
ぎゅー。
彼方はばたばたして、ぐねぐねして、ぼくの指をはがそうとする。
ぼくは満足して首から手を離した。
「いつか、有機に殺されそうで怖い。」
彼方は困ったように笑って、ぼくを見た。前言撤回、しないので安心安心。矛盾も一切ありませんので、安心安心。
「彼方が死んだら困るのでー、」
今のところ、生きている知り合いは彼方一人なのでー。
……あ、もう一人いたけど、あれは死んでいると同じ。おそろい。
「殺される心配はないから、安心してちょうだいな。」
ぼくは無理心中とか計るような人でもないし。
「なんか、機嫌良い?」
「あと一週間は、彼方と朝も夜も一緒だと思うと、嬉しくてたまらんのです。」
にまにまと笑おうとしたけど、上手くできなかった。
ぼくは嘘をつくのが苦手なので、と言い訳をする。それで許してくれるかな。
「ワタシも嬉しい。」
彼方は上手く笑った。
彼方の一人称がワタシになって、もう二年……と三ヶ月……ぐらい……たつから、もうさすがに慣れた。でも久しぶりに会ったからかなあ、違和感を感じてしまう。
「嘘はいらないよー。」
ぼくは正直者だけど、彼方は嘘つきだ。
「嘘じゃないよ。」
僕は嘘は苦手だけど、冗談は言えるし、ふぉっふぉっふぉ。あ、笑えた。
「じわじわと嬉しい。」
「何それ。」
「しみじみと嬉しい。」
「……。」
「ぐらぐ」
「おやすみなさい。」
面倒になったので、強制終了させる。彼方の命を強制終了、ではない、と誰かさんに解説。ああ、そんなこと思ってませんでしたか。
「ぼくも寝る。」
目を閉じた。
目が覚めると、のどがカラカラで、もうどうしようもないほどカラカラで、不快感満載、おめでとう。首をひねると、お姉ちゃんの姿が視界に入った。
お姉ちゃんはきちんとスーツを着ていて、長い髪は後ろで一つにくくっていて、薄くメイクをしていて。
「おはよう。」
乾いた声で挨拶をする。
お姉ちゃんはわたしに顔を向け、
「おはよう。」
と小さく言った。
それから薄く笑った。
「昨晩はずいぶんとお楽しみだったようですね。」
「うふふ。」
とりあえず、笑ってみる。ありきたりなスタートを切ったみたいで。
「いやーしかし、歳には勝てませんな。」
何を言っているのだ、まだ若い。
「はは、若い頃と同じようにとはいきませんでした。」
「ほっほー。」
お姉ちゃんは目を細めた。
わたしは起き上がって、冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注いで飲み込んだ。一杯では足りなくて、もう一杯、さらにもう一杯。でも、のどのカラカラ、イガイガ、おさまらない。
「よく飲むねえ。」
「飲み盛りなのですよ。」
「ワタシにも一杯ちょーだい。あ、お茶じゃなくて水。」
「なんだそのこだわりは。」
わたしはそういいつつも、お姉ちゃんのために、水を冷蔵庫から出して、コップを棚から出して、注いで、お姉ちゃんに渡した。
「ありがと。」
お姉ちゃんはちびちびと水を飲む。
「そういえば、いつ帰ってきたの。」
「ついさっき。朝帰り。徹夜でお仕事だったの。」
「それはそれは、お疲れ様です。」
労いの言葉。
「お疲れ様で帰ってきたら、彼方と有機が、仲良くこたつで添い寝で、疲れもふっとんじゃった。」
「それはそれは、お疲れ様です。」
「……。」
ふざけているようなまじめなような。
「この泥棒猫め!」
「今は朝です。すがすがしい朝です。どろどろの昼ドラを放送する時間じゃありません。」
「そんなのは生まれる前から承知の事実。」
ふざけていると決定しまして。
「三角関係を築こうとしているわけではなくて、」
じゃあ、わたしはまじめにいきますか。
「お姉ちゃんから彼方を奪おうとしているわけでもなく、」
奪えるわけもないし。
「ただ単に、添い寝していただけなのだ!」
「ふぉっふぉっふぉ。」
お姉ちゃんは笑った、目が笑ってないけど。笑い方が同じなのは姉妹だからってことで、私が真似している訳じゃない。本当に。
それから、十秒ぐらいふぉっふぉっふぉっと笑い、急に黙り込み、
「まあ良いや。」
とつぶやいた。
「添い寝ぐらいは許してあげる。」
「じゃあ、今晩もしようかな。」
「それは駄目です。」
お姉ちゃんはびしっと言った後、ものすごく優しくほほえんだ。
「え、何……気持ち悪い……って、やば、本音が……。」
「譲ろうか。」
「……は?」
「彼方、譲ろうか?」
お姉ちゃんの表情は変わらない。
「いえ、いらないですけど……。」
何も面白くない答えに、お姉ちゃんは不満そうだった。嘘だがな!
「ちょっと、人を物扱いしないでくださいよ。」
彼方の声がした。
「起きてたの?」
お姉ちゃんは眉をひそめた。
「今起きたの。」
彼方は体を起こすと、
「のどが……。」
と顔をしかめた。
「水飲む? 口つけちゃったけど。」
「ありがとー。ちょうだい。」
彼方は手をのばす。歩こうとしない彼方のために、優しい優しいお姉ちゃんは立ち上がって、歩いて、渡した。
お姉ちゃんは、彼方には何も言おうとしなかった。
かける言葉もないという。泥棒猫、とかって女の人限定の言葉だろうし。……男にもつかえるのかしら? 今度検索してみよーう。
「奇異、目の下にクマがあるよ。昨日、何時に帰ってきたの?」
「んー、ついさっき。」
「うわ、お疲れ。今日土曜日だよね? 今日はゆっくり休みなよ。というか、今すぐ寝たほうが良いんじゃない?」
「寝たいんだけど、お腹も減ってるし。」
「じゃあ、何か作る!」
「きゃー、ありがとー(棒読み)」
わたしはは全然居づらくないですよ、はい。ええ、全く。こんならっぶらぶーな雰囲気であってもね、わたしは全然……。だって、此処はわたしの家なのだから。わたしというか、わたし達の。わたしとお姉ちゃんとお母さんとお父さんと。彼方が他人なのに。お姉ちゃんの彼氏というだけで、ここに居る方が間違っているわけで。
拗ねているわたし、かーわいー(超ウルトラスーパー棒読み)。
「逃げ道は、一つです。」
寝ること。
最近取得したけど、寝るのは最大の一人きりの逃避行……っと。最近寝てばかりいる。夢の中で寝て、現実へ。現実で寝て、夢へ。……とかね。
わたしはまたこたつにもぐりこむ。目を閉じる。
「また寝るの?」
お姉ちゃんはあきれたように笑った。あ、矛盾発見……。
「……のど痛い……。」
二度目なので表現を少し変えてみて、自分のボキャブラリーの多さを確認。なにせぼくは、人間辞書と呼ばれる人間だしね。なんと100単語ぐらいが頭の中に入っていて、その価格は五千円! さらに三十パーセントオフしちゃって三千円! さあ、どなたか買いませんかー? しーん。
「まあ、買われても困るし?」
強がり。
あ、……彼方がいない。
今何時だろう。
ぼくは起き上がって、歩いて、冷蔵庫からお茶を出して、コップに注いで、ごくりと一気飲みした。
のどが痛い。痛い。くそー。
「あー、有機。やっと起きたんだ。」
彼方が地面から湧いてきた。嘘です、普通にドアをあけて入ってきた。
「うん、帰ってきた。」
「お帰り。」
「どれくらい寝ていた?」
「24とすこし。」
それを聞いてぼくはがっかりする。
ん? 待って。単位を聞いてない。ふむ。……24秒、24分、24時間、24年間、24世紀。それとすこし。眠り姫もびっくり。
「お腹空いてる?」
「うん。ぺこぺこのぺこぺこだよ。」
「コンビニでおでんとか買ってきたんだ。一緒に食べよう。」
「きゃー、彼方大好きー。」
ぼくは嘘つきなのだ。本当はお腹なんて空いてないのだ。それも嘘なのだ!
二年と……三ヶ月ぐらい? お腹が空かない。食べてるけど。食欲が湧かない。食べてるけど。感情が湧かない。彼方のことは好きだけど。
悲劇ぶるのが大好きだったり。
ふむ。彼方が着ているのはぼくのお姉ちゃんの服。いや、何も「ふむ」なんて言う必要はないんだけど、日常なんだけど、でも、あれ、なんだっけ、ああ、寝過ぎたのか、変なことおもちゃう。気持ち悪いとかおもちゃう。あれれー、感情は湧かないんじゃなかったっけ。ぼくはぼくはぼく? なんでぼく?
「有機。」
やめてよ。
「……有機?」
呼ばないでよ。
「……。」
そんな顔しないでよ。
「有機!」
「はい!」
彼方はぼくにコンビニの袋を押しつけると、
「うがいするのを忘れていたので、これ、机の上に広げといてくれる?」
「……いえっさー。」
ぼくはうなずいた。
彼方は部屋を出て行った。
うん、嫌いじゃない。おでんは嫌いじゃない。大丈夫、食べれる。
「ほほほ。」
ばぐった。