少年とトイレと運命
「右か? 左か? それとも――上か!?」
少年は落ち着かない様子でつぶやいた。その視点は一定のところには無く、常に慌ただしく動きまわっている。そして、なによりも不自然なのは少年は、つま先を内側に向け右手をズボンの後ろに当てていた。
今から数十分ほど前――
「トイレ、トイレ、トイレに行っトイレ」
などと鼻歌交じりで少年は人気の少ない駅でも、最も人がいないトイレに向かっていた。
少年はドアを無造作にノックする。すると、すぐにコンコン、と無言の挨拶が返ってきた。少年は少し顔を歪めたが、気を取り直し隣のトイレを叩いた。また、紳士の挨拶が返ってきた。
駅のトイレで用を済ますことを諦めるしかなかった少年。冷や汗を垂らしつつも、え? 私はトイレを我慢してませんよ、といつも通りを装って、駅に隣接するコンビニに向かう。
少年は商品には目をくれずにせっせとトイレのドアを叩いた。
トイレからの返事はない。少年は全てを解放するように全身の緊張を緩めると、同時に便意が目の前までこみ上げてきた。一度深呼吸をし、ドアノブを回そうとする――開かない。少し強めにガチャガチャやっても開かない。数秒トイレのドアと格闘し、店員さんに開けてもらいに行こうとしたところで、トイレから声がした。
「すいませんー。入ってまーす」
その間延びした声に異常な憤りを感じる。自分は安全地帯に居るからいいだろうけどな、俺は切羽詰まってんだよ! と心のなかで叫びつつ、少年はコンビニから飛びだした。
そこから先は、流れるようにことは進んでいく。公園、個人経営の店、ファミレス以下略。
そして、今に至る。
周りの視線を気にしている余裕はない。何よりも勝ち取らなくては行けないものが少年にはある。
自宅。それが少年のだした最善の決断だ。
少年は無様な格好で走る。周りから怪異の目で見られようとも足を止める気も、手の位置を変える気もない。
しかし、トイレの神は少年にさらなる試練を与えるらしい。
家の目の前の交差点。ここを越えられたら――、と少年は勝利を確信していた。少し遠いが道の奥からトラックが来ていた。少年は一旦、足を止めズボンのベルトを緩くしておく。
トラックが通るの待つ少年の足元にサッカーボールが転がってきた。そして、そのボールしか目に入っていない少女がボールを追いかけている。
ポスターなどでよく見かける光景。テンプレート、そんな言葉が頭をよぎる。
少年の前でソレが起ころうとしている。少年が声で制する間もなく、少女は道に飛び出した。
トラックが少女に気付いたらしく、けたたましいクラクションを鳴らし、無理やり方向を変えようとしているのがわかる。しかし、当たることは避けられないだろう。
少年は少女に向かって飛び出した。お尻を抑える右手を前に掲げ、少女を抱きかかえるように転がる。世界が一転二転もするが、体が吹き飛ばされることはなかった。トラックの運転手の甲斐あってか、轢かれることはなかったのだろう。
「大丈夫かい!?」
トラックの運転手が慌てて飛び降りてくる。
少女も目をぱちくりさせて体を震わせていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、少年の手の中から離れ、ボールを取りに行った。
「急いでいるので失礼します!」
引きとめようとする、運転手を振り切り少年は家の裏口に向かって走りだす。そして、誰にも聞こえない程度の声でつぶやいた。その声は震えている。
「もう、急いでないんだけどな……」