第零章 開幕×名前のない少年×幻想入り
貴方は幻想を信じますか?
貴方はIFの世界を信じますか?
貴方は諦めない心を持っていますか?
2003年06月25日某所
「くそっ・・・・」
霧の濃い森の中。そこを駆ける一つの影。
服装は漆黒のフード付きのロングコートに動きやすさを重視したコンバットウェア。
肩に担ぐように右手で持つのは、使い込まれていると一目で分かるロシア製のアサルトライフルを元に改良されたアサルトライフル「AK-47Ⅲ型」
それを手にしているのはまだ幼さすら見え隠れする少年。年齢は二十歳にも満たないと思われる。
「・・・・っ」
暫く駆けていた少年だったが、やがて見つけた一本の巨木の根の隙間に身をねじ込むように入ってゆく。
「・・・・・」
荒い息を無理やり押し殺しつつ、少年は手に持つAK-47Ⅲ型のバナナ型の弾倉を一度外し、残りの弾数を確認する。
「(この弾倉に残り13発。予備の弾倉が一本で計43発。サイドアームのキングコブラが一丁に弾丸が18発・・・・。一人一発叩き込んだとしても圧倒的に足りないか)」
内心で現在の所持する弾丸数をカウントし、状況を再確認した少年は、周囲に気を巡らせながら弾倉を再びAK-47Ⅲ型に叩き込む。
「(敵本隊の第一目標は叩けたけど本来の目的は達成ならず。定時連絡を入れることができない現状ではMIAと判断されている可能性が非常に高いか・・・・)」
現状を確認している内に周囲は暗くなってゆく。霧は濃くなる一方で、周囲は視界が非常に悪い。
「(とりあえず今は休息が必要・・・・だが油断はできない。だが・・・・2日間まともに…睡眠をとれなかったから・・・・眠気が・・・・)」
襲い来る睡魔に負けないようにしていた少年だったが、ついに睡魔に負けてしまい、AK-47Ⅲ型を抱えるようにして眠ってしまう。
‡‡‡‡
同日 幻想郷某所
「・・・・あら?」
どこか神秘的な場所に建つ一軒の家。その中の一室で優雅にお茶を飲んでいた女性が、何かに気付いたように手を止めて虚空を見つめる。
「どうなされましたか?紫様」
そんな女性に声を掛けるもう一人の女性。ゆったりとした服装に見る者を惹きつける様な九つの尾を持ち、湯気が立ち上る急須を持っている。
「藍・・・・どこかで誰かの存在が忘れられ去られそうなの。久々に私自ら動いて神隠しを行おうかしら」
「はあ・・・・」
どことなく楽しそうにお茶をすする女性、「八雲 紫」に対し、どこか呆れたように返事を返す九尾の女性「八雲 藍」。そんな藍を横目に、紫はお茶を飲みつつ、空いている片手を虚空に差し出す。
すると彼女の手のすぐ側に不気味な割れ目が出現し、紫はその割れ目に躊躇なく片手を突っ込む。
「紫様、何をしておいでなのですか?」
主の突然の行動に疑問に思った藍が問いかける。紫は割れ目に突っ込んだ手を動かしながら少し首を傾げる。
「おかしいわねぇ・・・・確かこの辺りにしまった筈なのに・・・・・。ねぇ藍。私の傘を見てないかしら。」
「傘でしたら10分程前に紫様自らお庭に天日干しにされていたではありませんか」
紫の質問にやや呆れたように答える藍。それを受けた紫はハッとした表情になったが、慌てて割れ目から手を引っこ抜く。
「そ・・・・そうだったわね。この陽気で少しぼんやりしてたみたいだわ」
視線をせわしなく動かしながら紫はお茶を飲む。そんな主の行動に突っ込まないように気を付けながら藍は再び問いかける。
「しかし紫様の仰る事は今の幻想郷の"外"の世界では珍しいのではないですか?」
「今回忘れられそうなのは藍の言う"外"とはちょっと違うのよ。藍のいう"外"の世界のIFの世界。パラレルワールド・・・・平行世界。そんな感じの世界ね」
藍の問いかけに少し慎重に言葉を選んで紫は答える。その答えに藍も思案する。
「なるほど・・・・なればその可能性はなきもあらず・・・・という事ですか。しかし珍しいですね。紫様が自ら動くというのは・・・・」
「その子は自分の置かれている状況を理解していながらも心は諦めていない。そんな姿を見ちゃったからかしらねぇ・・・・私からその子へのささやかなプレゼント・・・・・そして私の暇つぶし、といったところかしら」
藍の二度目の呟きに律儀にも反応する紫。藍も紫が普段以上に饒舌な事に少しだけ驚くも、直後に紫がしてやったり、といった表情を見せたため、盛大にため息をつく。
「・・・・・はぁ・・・・。紫様のお気まぐれは今に始まった事ではないので気にしない事にいたします。その方はどこに導くのですか?」
「どこかは私にも分からないわ。本人が元の世界帰るというのならば霊夢の元に向かうのだろうし、この幻想郷で生きていくのであれば、その子の”縁”次第でしょうね」
藍の質問に肩を竦めながら答える紫。残り僅かなお茶を飲み干した彼女は再び出現させた割れ目に手を突っ込むとすぐさま引き抜く。引き抜かれた手には白い日傘が握られており、それを片手に紫は立ち上がる。
「じゃあ行ってくるわ。藍、留守を頼むわよ」
軽く笑みを浮かべながら目の前に特大の割れ目を出現させる紫。
「分かりました。気をつけて行ってらっしゃいませ」
そんな主を丁寧に送り出す藍。それを受けた紫は割れ目に入り、次の瞬間には姿を消す。
「さて・・・・少しばかり橙に指示を出しておくかな。紫様の事だ・・・・・お戯れをなされるに違いない」
深々とため息をつきながらその場を後にする藍。心なしか、その背には諦めと疲れが見え隠れする。かなりの苦労人のようだ。
‡‡‡‡
「っ・・・・」
木々から滴る朝露が頬に当たった事で、夢の世界から少年は引き戻される。手にするAK-47Ⅲ型のセーフティを手早く解除し、周囲を素早く確認する。
「(敵の姿や気配はなし。諦めて退いたのか・・・・?今は現状把握だな)」
思考を巡らせると、周囲を警戒しつつ懐から、一つの端末を取り出ると、手早く操作する。ディスプレイには、あれから半日が経過し、日付が変わった事が示されている。
「(やはり俺はMIA判定か。上の連中は俺は既に死亡したと判断したのか・・・・。なら俺は死人か?これから俺はどうすれば良いのだろうか・・・・)
取り出した端末から情報を読み取り、その事実を知ると、少年は端末を懐に入れながらゆっくりと外に出る。本人は気が付いていないが、頬には一筋の涙が流れている。
「(・・・・今は考えるのはよそう。こちらの事情は兎に角・・・・敵にとっては未だに俺は排除すべき存在)」
そう考えつつ袖で目元を拭うと、暫く霧の深い森の中を慎重に進む少年。すると視界に一つの影が映る。
「(・・・・迂闊だな)」
手にしていたAK-47Ⅲ型を背負うと、静かに腰の鞘から右手でナイフを引き抜き、慎重に影に接近。一気に心臓の部分を突き刺す。
「(なんだこの感触・・・・。まさか罠か!?)」
突き刺した影から伝わる奇妙な感触に一瞬思考が停止する少年。その影の正体を確認する前に対象からナイフを引き抜きつつ距離をとり、周囲を警戒する。
「あら・・・・警告もなしに攻撃だなんて・・・・酷い子ね」
「!?」
影が倒れた直後、少年の背後から突如として女性の声が聞こえる。
周囲を警戒していた少年にとってはまさに青天の霹靂。驚きの表情のままナイフを右手に保持しつつ左手を背面に回し、腰の位置に固定していたホルスターからサイドアームとして保持していたコルト・キングコブラを引き抜き、背後の声の主に向ける。
「あらあら、怖い子ね。こんなか弱い少女にそんな禍々しい物を向けるなんて・・・・」
この霧の中、日傘を片手に持つ不審な人物・・・・もとい女性は底の見えない笑みを浮かべながらも自分に敵対する意志がないことを示すように手を少しだけ上げる。
「あんた・・・・何者だ?どうやって俺の背後を取った・・・・?」
警戒心を解かないまま少年は目の前の女性に問いかける。すると女性は今までの底の見えない笑みから一転、満面の笑みを浮かべると突然少年の前から姿を消す。
「!!」
「どうやって?と問われれば、こうやって、ですわね」
驚く少年と楽しそうな女性。女性は少年の目の前から上半身だけを不気味な割れ目から出して微笑む。
「あんた・・・・本当に人間か・・・・?」
「私は妖怪ですわ。そして貴方を誘う者・・・・」
掠れる声で少年が呟き、女性は微笑みながら指を鳴らす。次の瞬間、少年の姿は霧の立ち込める森から一瞬で消え、女性の上半身も後を追うように消えるのだった
‡‡‡‡
「・・・・なんだこれぇえぇえぇえ!?!?!?」
青空に響き渡る少年の叫び声。女性が指を鳴らし、少年の視界が一瞬漆黒になったかと思えばいきなり背中から落下するという愉快な体験をする事になる。
号泣するくらいの恐怖を覚えても不思議ではないと思われる状況でも少年は泣くこともなく、叫びながらもある決意を固め、口にする。
「ぜってぇその余裕面を泣き顔にして謝らせてやる!!覚えてやがれ!!」
頭上で不気味な割れ目から上半身を見せ、優雅に微笑みながら片手に日傘、もう片方の手をひらひらと振っている女性に叫びつつ少年は落下してゆく。
左手のコルト・キングコブラをその女性に撃たなかったのは彼なりの矜持があったからなのか、それとも単に忘れていたのか・・・・。それは彼にしか分からない。
‡‡‡‡
幻想郷 霧の湖
「大ちゃん!はやく来ないとおいてくよ~!」
「チルノちゃん待ってよ~!」
湖上の岸部を疾走する二つの影。片方は薄目の水色の髪の毛に青いリボンが目立つ、青いワンピースを身に纏っている少女、その少女を追いかけるのは黄緑色の髪の毛を片方だけ黄色のリボンで結んでいる少女である。
「チルノちゃんってば何見つけたの~?」
「空からおちてくる黒いなんかよ!きょーみあるし、あたいのてきだったらたおしてあたいがさいきょーだってコトをしょーめーできるじゃん!」
地面すれすれを文字通り飛びながら大ちゃん(本当の名前は不明だが、大妖精と呼ばれることが多い)と呼ばれた少女は自分の前を飛ぶ少女「チルノ」に問い掛ける。返ってきた答えは大妖精の予想通りの答えだった。
‡‡‡
霧の湖付近の森
「・・・・っ・・・・く・・・・」
巨木の近くで先程まで落下していた少年は、起き上がる事に成功する。即座に手離さずにいたAK-47Ⅲ型とコルト・キングコブラを見るが、どちらも傷らしい傷はできていなかった。
「(生い茂った広葉樹の枝などがクッションになったのか・・・・?後一瞬だけ不可視の何かに勢いを弱められた気がするが・・・・何だったんだ?)」
「チルノちゃん。どこ?見あたらないよ?」
「おっかしーなー。ここらへんに落ちたよーに見えたんだけど…。」
「……女の子…?」
思案していた時、不意に聞こえてきた声に警戒しつつ、ナイフを腰の鞘に納めた少年は付近の木陰に身を隠す。少年の視界には辺りを見回す二人の少女、チルノと大妖精の姿が映る。
「(本格的にこの地が何処か分からなくなったな・・・・あの女性・・・・・確か俺を誘う者、とか言っていたが。知らない地に誘う者という意味か?)」
周囲を見回す大妖精とチルノを傍目に、少年は今ある情報から分かる事を纏める。更に懐から端末を取り出すが、画面には時間すら映らず、映っているのはバッテリーの残量だけである。
「(時間すら映らないってのは明らかに不自然だ・・・・。まさか本当に別世界とやらに来たのか?あれはおとぎ話や伝説の類だった筈だが・・・・)」
そこまで考えていると視界の隅に不可解な生物が映る。体長は4m前後で、見た目は熊に近い。
大妖精とチルノはその生物に未だに気付いていないらしく、木の側で無邪気にキノコを見つけたりしている。
「(柄じゃないが・・・・・)」
手早くAK-47Ⅲ型のセーフティを解除すると少年は木陰から飛び出しつつ熊の様な生物に13発残っていた7.62×39mm弾を全弾叩き込む。
「ガァッ!?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」
突如響いた音と、その後聞こえた声に、チルノと大妖精は恐る恐る背後を見る。
背後に居たのは7.62×39mm弾13発すべてを顔面付近に受けた結果、血を噴き出している怪生物だった。
チルノはその怪生物の気持ち悪さから、大妖精は純粋に恐怖から絶叫し、逃げ出す。
「ガァァァァァァ!!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!こっちくんなー!!!」
「うわぁぁぁぁん!!!チルノちゃん待ってよー!!!」
飛べる事など頭から抜け落ちた二人は半泣きになりながら逃げる。怪生物は顔面から血を噴き出させながらも二人を追跡する。
「全く・・・・本当に柄じゃない・・・・・!(今ので死なないのか・・・・?なんという生命力だ・・・・)」
「な・・・・!?誰よ、あんた!」
「ふぇっ・・・・」
逃げる二人を横から飛び出した少年が両脇に抱え、先程の二人よりも速く駆ける。
抱えられたチルノは目を丸くして問いかけ、大妖精は本格的に泣き出した顔を少年に向ける
「話しは後だ・・・・・(この二人、やけに軽いな。水色の髪の女の子に関しては妙にひんやりするが・・・・)」
「ガァァァァァァ・・・・!」
己の背負う武器の重さと、妙に軽く感じる二人を苦にする事なく少年は走りつづける。徐々に怪生物の叫び声は離れてゆく。
‡‡‡‡
「やれやれ・・・・やっと撒いたか・・・・・」
「・・・・・」
「ふぇっ・・・・ひっく・・・・・」
森を抜けた辺りでやっと怪生物の気配がなくなり、少年は立ち止まり抱えていた少女二人を地面に降ろす
降ろしてもらったチルノは腕を組みながら少年を見上げ、大妖精は少年の足にしがみついたまま泣いている。
「あんた誰?この辺じゃみたことないけど」
「・・・・・名前はない。俺としてもここがどこか分からない。そういうのに詳しい奴を知らないか?」
チルノの質問に答える少年。そして自分のこれからを決めるために少年は情報を集める事にする。
「詳しい奴っていってもなー・・・・うーん」
唸るように考え込むチルノ。泣いていた大妖精も今は泣き止み、視線を宙にさまよわせている
「あ、チルノちゃん。あの館なら何かあるかもよ?」
泣き止んだ大妖精が思い出したように隣のチルノに話しかける。するとチルノも思い出したのか、頷く。
「助けてくれたあんたにさいきょーのあたいがおしえてあげるわ!こっから暫く行くと赤い・・・・・えーとなんだっけ・・・・・」
「ここから暫く歩くと赤い館があるんです。私は噂くらいしか知らないですけど、そこには大図書館があるって聞いたことあります。もしかしたら何か分かるかもしれません」
「ありがとう・・・・・そういえば名前を聞いてなかったな。教えてくれないか?」
自信満々にチルノが言い出すが、途中で言葉が途切れ、そこを大妖精がフォローする。少年は頷くと二人にお礼をいうと、名前を尋ねる。
「あたいチルノ!!げんそーきょーさいきょーとはあたいの事よ!!」
「私は大妖精って言います。ここは"幻想郷"と呼ばれています。」
「チルノと大妖精か・・・・。また縁があり、再び会ったとき、俺に名前があれば名乗ろう。(ここは幻想郷と呼ばれているのか・・・・)」
腕を組みながらチルノが名乗り、大妖精も名乗った後、補足するように少年にこの場所が何と呼ばれているかを教える。少年も親切に情報を教えてくれた二人に微笑むと、教えられた方角に歩き出す。
「じゃーねー!!」
「また会えたら名前教えてくださいねー!」
そんな少年に二人の少女は手を振り見送ると、今度は空を飛んで湖の方へ向かう。
少女達が名前を得た少年に会うのはもう暫く後の事であるとはこの時誰も知る由はなかった。