木曜のベンチ
ふたりの沈黙は、友だちのかたちをしていた。
群青に橙が滲む空の下、
住宅街ではぽつりぽつりと明かりが灯りはじめ、
街灯が小さな公園にも静かに光を落としていた。
遠くから、十七時を告げる鐘の音が微かに響く。
小さな公園には、小さな滑り台と砂場。
人工木の白いベンチがふたつ並び、
秋の空気にさらされて、表面はひんやりとしている。
そのベンチには、ふたつの人影が座っていた。
「友だちなんていない」
空の缶をベンチの隅に置いて、少年がぽつりと呟く。
隣に座る男性は、空きかけの缶コーヒーを指先でゆっくり揺らした。
***
閑静な住宅街の片隅。
大きなマンションの前にある小さな公園には、
毎週木曜、夕暮れ時になると必ず姿を見せる影がふたつあった。
ひとりの男子中学生と、ひとりの社会人男性。
どちらかが公園に着き、
少ししてからもう片方がやってくる。
順番は日によって違うが、その流れはいつも同じだった。
今日も男が仕事帰りに公園へ足を向けると、
ベンチにはすでに少年の影があった。
少年は俯いていた。
落ち着かない様子で、両足をぶらぶらと揺らしている。
男の革靴が砂を踏み締める。
ザッ、ザッ。
少年はハッと顔を上げた。
小さく息をつき、男は右手を上げて言った。
「よっ」
控えめに微笑む男の顔に、
少年の口からぽつりと声が落ちる。
「……お兄さん」
男は少年の横にゆっくりと腰を下ろすと、左手を差し出した。
その手の中には、二つの缶。
「コーヒーとお茶。どっちがいい?」
覗き込まれ、少年は眉を下げた。
だけどどこかうれしそうに笑って、男の手から「お茶」を受け取った。
「どっちがどっちなんて、もう決まってるじゃん」
「ばれたか」
男がくすりと笑うと、少年も肩を揺らして笑った。
「いただきます」
カシュッ。
スチールが弾き合う音が響いた。
少年は首を逸らしてゴクゴクと喉を鳴らす。
缶から口が離れると、白い吐息が滲んだ。
横でもうひとつ、カシュッと音が鳴る。
ひとくち、ゴクリとコーヒーを飲んだ男。
その苦さを味わうように、そっと缶を離した。
「今週はどうだった?」
空いた膝の間にコーヒー缶をぶら下げたまま、
男が柔らかな声で尋ねた。
さっきまで頬を緩ませていた少年は、その言葉に顔を曇らせる。
口先は少しだけつんとしていた。
「最悪だった」
吐き捨てるように、少年は言った。
男はコーヒー缶を、空気を撫でるようにそっと揺らした。
「イタズラに付き合わされて、先生に怒られた」
少年は地面を睨みつけて紡いでいく。
男はその言葉を、ただ静かに聞いていた。
「やるなんて言ってないのに、やるのが当然って感じで来られて。しかも数人で」
「やだって言いにくいし。それで仕方なくついて行ったら、
何もしてないのに一緒に怒られて——」
一瞬、男がちらりと目を逸らした。
地面を見据える少年は、さらに深く眉をひそめ、息を全て吐き出すようにこぼす。
「本当にサイアク」
男の視線がゆっくりと少年へ戻っていった。
そして、静かにコーヒーをひとくち飲む。
「そりゃ、大変だったな」
それだけを言って、男はまたコーヒーを口に運んだ。
「うん……。反省文も書かされた」
「ははっ、今でもあるんだな。反省文」
「笑いごとじゃないってば……」
目を細め、いつもより少し大きな声で笑った男を、
少年はじろりと見た。
「わるいわるい」
そう言う割に、目尻にはシワが刻まれていて、
大して悪いと思っていなさそうだった。
少年はお茶をグイッと飲み干し、小さく息をつく。
空になった缶をベンチに置いて、遠くを見つめる少年。
男はそんな少年を横目に、缶を口へ運んだ。
少年の沈黙の先にある言葉を、
男はただ静かに待っていた。
「……友だちって、なんなんだろう」
数秒の沈黙のあと、
ぽつりと少年がつぶやく。
男は息を吸い込み、ゆっくりと空を仰いだ。
少年の目は、男を映していない。
「本音も言えなくてさ。
周りに合わせてるだけなのに、それでもあいつらは『友だちだろ?』って言うんだ」
「オレの気持ちも知ろうとしないくせに」
小さな影が沈んでいく。
大きな影がわずかに揺らめいた。
「友だちのフリをしてるだけ。
誰ひとりだって、本当のオレを知らない」
胸の内をこぼしながら、
少年は自分を抱きしめるように膝を引き寄せた。
再び少年へ視線を戻した男の指先は、缶の表面をなぞっている。
「そんなの、友だちって言えないだろ」
少年の息が小さく跳ねた。
震える声を隠すように膝を抱えたまま、顔を埋める。
遠くから、鐘の音が聞こえてきた。
「オレに——友だちなんていない」
か細く、くぐもった声。
枯葉混じりの秋風が、ふたりの髪を揺らす。
男は少年を見つめながら、
空きかけの缶コーヒーを指先でそっと回した。
そして、覗き込むように体を傾け、静かに言う。
「俺は友だちじゃねーの?」
少年はぴくりと肩を揺らして、
ゆっくりと顔を上げた。
「……え?」
丸い瞳で男を見つめ、
わずかに開かれた口から息が漏れたまま、言葉が出てこない。
その顔を見て、男はふっと笑みをこぼす。
少年の戸惑いを和らげるように、
男はふっと空を仰いだ。
その口元を緩ませたまま、言葉を続ける。
「毎週こうやってさ、気兼ねなく話してんだ」
「俺はお前の気持ちを知ってるし、お前も俺に本音を話せてる」
少年は男を見つめ続けた。
一瞬、視線を追うように空を仰ぐと、
橙を溶かした空に、白い月が姿を現している。
視線を戻すと、
男の視線が少年をやわらかく見つめていた。
カランッ。
金属の音が響き、少年は振り返る。
お茶の缶が地面に落ち、男の足元まで転がっていった。
男は身を屈め、缶に手を伸ばす。
「さっきお前が否定したこと、当てはまってんだ」
そして体を起こしながら、穏やかな声で言った。
「なら——友だちだろ?」
拾い上げた缶を持ったまま、
男は自分のコーヒーをぐっと飲み干す。
そのまま少年の缶も手にまとめた。
カツン。
金属の弾く音が、男の手の中に溶けていった。
少年は静かに微笑む男を、ただ瞳に映す。
しばらくして——
「そっか……友だち、なんだ」
胸の奥に染み込ませるように、少年はそっとつぶやき、前を向いた。
その口元は、わずかに弧を描いている。
男も少年の顔に目を細め、公園を見つめる。
薄暗くなった公園を、あたたかな光が包み込んでいた——。




