第2話「火の神と喪失」
こんにちは。
今回は「火」をめぐるお話です。
便利で温かいけど、使い方を間違えると大惨事。
令和仕様の神話でも、火の取扱説明書は必須です。
雲のデッキに、新しい朝がやってきた。
イザナギとイザナミは、つくった島々に生活の要素を少しずつ足していった。川の流れ、山の稜線、風の通り道。名前をつけるたびに、世界はほんの少しずつ輪郭を持ちはじめる。
「次は……火だね」
イザナミが言った。手のひらに光の粒を浮かべて、神妙な顔で見つめる。
「火は、人をつなぐ。ご飯を温め、夜を照らし、寒さをやわらげる」
イザナギは珍しく低音ボイスで呟いた。
「そして、うっかりすると全部燃える」
現実的すぎる追記に、イザナミは目を瞬かせる。
「なんか取扱説明書だね。『便利ですが火災の原因となります』って書いてありそう」
「スマホのバッテリー注意書きにありそうだろ」
「あと、屋外フェスのキャンプ規約」
「『火気厳禁・発火のおそれあり』ってやつ」
二人は顔を見合わせて吹き出した。
世界創造という壮大なミッションは、どう見ても休日のDIYチャレンジくらいの気安さしかなかった。
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イザナミは光を胸に抱いた。
炎が身体の奥でゆっくりと形を取り、やがて燃え盛る火の神となる。
「おー、点いた点いた!」
イザナミは両手を広げる。
だがすぐに、顔をしかめた。
「ちょ、熱っ!ホットカフェラテの比じゃない!」
思わず手をぶんぶん振り、火の粉を振り払おうとする。
イザナギは慌てて駆け寄った。
「イザナミ!」
だが彼女は、炎の光に包まれながら笑っていた。
「……これで人は生きていける。カップ麺も三分でできるし、冬はこたつでぬくぬくできるし、キャンプファイヤーもインスタ映えする」
イザナギは絶句する。ツッコミどころが多すぎた。
次の瞬間、光はふっと掻き消えた。デッキの上には、彼ひとりが残されていた。
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世界は続いていた。風も、波も、鳥の声も、相変わらずのんきに流れている。
だが彼にとっては、すべてが違って見えた。
火の神カグツチが生まれ、人に温もりを与えた。けれど同時に、もっとも近しい存在を奪った。
イザナギは空を仰ぐ。ビルの壁にポスターが貼られていた。
《火の用心 カチカチ》
赤文字が場違いに光って、胸に突き刺さった。
「タイミング最悪すぎだろ……」
彼は声を上げることもなく、静かに涙を落とした。
世界の始まりにあるはずの喜びは、深い喪失へと反転していた。
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やがて彼は立ち上がった。
「迎えに行く」
——黄泉の国へ。
雲のデッキから階段を下りると、地下鉄そっくりの通路が現れた。壁には広告枠だけが白々しく並び、電光掲示板には何も表示されていない。
改札機にICカードをタッチすると、容赦なくエラー音が鳴った。
《残高不足》
「黄泉までの運賃、高すぎだろ……」
誰もいない改札に向かってぼやきながら、イザナギはバーを跨いで通り抜けた。
階段の下には、冷たい空気が淀んでいた。
そこは、生者が踏み込むべきでない場所だった。
それでも、イザナギは迷わなかった。
イザナミに会うためだけに。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
カップ麺からこたつまで、神々の発想は相変わらず自由。
でも笑いの裏で、大きな喪失が訪れました。
次回は、黄泉の国への突入編です。お楽しみに!