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地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月  作者: 北方修羅院
2章
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2-1 私の名前はエレオノーラ

 食堂に響くのは騒がしくも賑やかな話し声と食器がぶつかりあう耳障りな音。身なりの良い者であれば顔をしかめるだろう空間だが、この場にいるのは年季の入った服を纏った者ばかりだ。


 眼の前にあるどろどろに溶けた豆のスープを一心不乱に口へ運ぶか、或いは一杯の水でだらだらと会話を続けるか。どちらにせよ、そんな細かいことを気にするものはこの場にいなかった。


「なんだ、ユキ。騒がしいのは嫌いか? ちなみにナギは嫌いだ。けど、ここのメシは安いし栄養はある。味も悪くない」


 その食堂の隅の席でスープを啜っていたナギは、向かいの席で頭を抱えているユキに言う。お互いに昨日買ったばかりの服を纏った姿は、男性ばかりの食堂の中でも一際目立つ。下心を滲ませた男が数人近づいてくるが、その度にナギがベルトに差した刀を見ては慌てて引き返していく。


 ユキは、呑気にスープを啜る彼女に溜息をついて言う。


「違う。ギルドで聞いただろ。あと2週間で大金を返さないといけないって」


 天井を仰ぐユキは、先程の出来事を思い出す。


 朝、硬い布団から体を起こした彼女は身支度を整えるなりギルド本部へと向かった。とにかく依頼をこなして安定した生活を目指さねばという思い。

 そして、新しい服を見せびらかしたいという子供っぽい高揚感のままに受付を訊ねた彼女を待っていたのは、


「クソ……あの服屋……肝心なことを言ってなかったな……」


 二人が買った服はカード限度額ギリギリの金額であり、その支払い期限は月末――あと2週間ほど――であるという通達だった。一晩で随分使いましたねという皮肉とも呆れとも取れる言葉にショックを受けるユキを、この食堂にナギが連れてきたのは1時間前のことだ。


「大金って、どれくらいだっけ?」

「なんでお前が私に訊くんだよ……はぁ、一般人なら給料の3ヶ月だと」


 思い出すと気が滅入るし、自分の愚かさに顔から火が出そうになる。それでも考えない訳にはいかない。もし支払いが遅れた場合のことを訊ねられた受付の答えは、無言の笑顔だった。ろくでもないことになるのは間違いない。


「3ヶ月か。じゃあ3倍頑張れば良いんじゃないか」


 硬いパンをスープでびちゃびちゃに浸して飲み込んでいくナギの言葉は、あまりにも気楽で危機感というものが感じられない。


「馬鹿は気楽でいいな……私はもっと馬鹿だけど、お前みたいに気楽にはなれないよ……」


 いっそ返品したらどうにかならないかと元凶の服を摘むユキ。店主が言った通りの心地よさと値段が嘘ではないというのが腹立たしい。


 パンとスープを食べ終えたナギは、曇った樹脂製のコップを傾け一気に水を飲み干すと、一息ついて言う。


「あの服屋だって金は欲しいだろう。だったら返せない相手には貸さない。死んだら金は返せないんだから」

「……ある種の期待を掛けられているってことか?」

「さぁな。けど、ナギだって昨日から月級だ。稼ぐ手段はこれまでよりも多いはずだ」

 

 だから、その手段は考えてくれ。

 そう言ってじっと見つめる彼女に、ユキは、


「最後は人頼みか……けど、悪くない。ありがとう、ちょっと気楽になれた」


 責任転嫁するようで気が引けたが、半分はナギの問題でもある。だったら、一人で苦しむのではなく一緒に軽くする方法を考えた方が余程建設的だ。その原因が自分だったとしてもだ。


 ユキは、手つかずだったパンに齧り付く。硬く口内の水分を根こそぎ奪うそれを咀嚼し、水で強引に流し込む。


「よし、じゃあ仕事の話をしよう。ギルドから紹介されたのは3つ。薬草の採取、市街での配達、鹿の狩猟だ。ナギ、鹿くらいは余裕だな?」

「ああ、よく食べてた。一頭と言わず20は余裕だ」

「残念だが多く狩ってもボーナスはない。で、配達は私にやらせて欲しい。街を見て回りたいからな。薬草の採取はナギ一人でも……」

「ああ、出来るぞ」

「よし、配達は分担して手早く終わらせる。狩猟と採集は私もついていく」

「ユキ? ナギ一人でも薬草くらい採ってこれると言ったんだが? 聞き間違えていないか?」

「絶対植物の区別なんてつかないだろ、お前は。そういう細かいことに向いているとは思えん」


 反論しようとし、結局上手い言い訳が思いつかなかったのか拗ねたようにそっぽを向くナギに、ユキは言う。


「とにかくだ。こういうのは真面目にコツコツやるのが一番なんだ」

「何も覚えていないのに?」

「それでもそう思うってことは、それくらい常識ってことだろ」


 自信ありげに言ってユキは、ぬるくなった水を口へと運んだ。




「全然稼げねえじゃねえか! ふざけんな!」


 怒りのままにコップをテーブルに叩きつけて、ユキは叫ぶ。傍から見ればかなり行儀が悪い行為であるが、気に留めるものは一人もいない。相変わらず騒がしい食堂では、悲喜こもごもの雑踏に飲み込まれた声の一つに過ぎなかった。


 数日前の朝と変わらず硬いパンをかじるナギは、苛つくユキへ言う。


「そうか? お陰で今食べられてるじゃないか」

「暮らせるだけの金額でしかないのが問題なんだよ。これじゃ返済なんて夢の話だ」

「鹿は結構金になったじゃないか。あと30頭くらい狩ればいいだろ」

「そういう問題でもない。『一頭狩れ』ってことは求められる量がその程度ってことだ。いくら狩っても買い手がいないなら意味がない」


 つまり、自分が確かな正解として言い放った『真面目にコツコツ』というのは幻想も良いところだった。このままでは積み立てるのは借金だけになりかねない。


 どうすべきなのか。必死に考えを巡らせるユキだが、いい考えなど一つとして浮かばない。当然だ、昨日今日街に来たばかりの自分が、大金を一気に稼ぐ方法など考えつくわけもない。頼れる相手といえばグランマだが、


「ババァを頼るのは嫌だ。馬鹿にされるし」


 難色を示すナギとは違う理由でユキも同意見だった。

『記憶を無くして遺跡にいた少女』なんて怪しい存在を保護し、住む家まで用意してくれた。こうなったのが自分のミスである以上、安易に頼るというのは気が引ける。


「けど、他に方法は……」


 それでも恥を忍んで頼るべきか。ユキの考えが揺らぎだしたところに、


「おっと、お悩みの新人さん発見伝。金がなくてつらい……その辛さはよぉくわかるよ」


 軽薄な女性の声にユキは振り返る。立っていたのは『にやにや』というのがそっくり当てはまる笑みを浮かべた女だった。


「知り合いか?」

「知らん。だとしても覚えていない」


 小声でやり取りをする二人をよそに、頭に生えている猫のような耳を揺らす女は、知り合いのような気安さで席につくと、ほおづえをつきながら言う。


「いやぁ、新人がお困りのようだしね? 先輩として一つアドバイスでもくれてやろうと思ってね。お代はいらないよ?」


 明らかに不信な目を向けられているにも関わらず、堂々と先輩風を吹かす女に、ユキはある種の尊敬を覚える。しかし、それはそれとして女の態度は不遜というのが相応しいものであり、ユキはむっとした顔で言う。


「それはどうも。ですが、必要ありません」

「本当に? 金を稼ぐ手段どころか物も知らなさそうに見えるけど?」

「……その手のことならナギへどうぞ。幾らでも買ってくれますよ」


 興味なさそうな顔をしながらもじっと女を見つめるナギへ示すと、女はやれやれだというように手を挙げる。


「おっと、怒らないで欲しいな。本当のことで怒るのはみっともないんだぜ?」

「なんだコイツ。ムカつくな」


 ナギが眉をひそめたところで、女は大げさに手を広げる。これまでの言動はただのジョークから落ち着いてくれと言うようだった。


「私はべつに君たちを煽りに来たわけじゃなくてだ。期待の新人に稼げるやり方を教えてやろうという話をしたいのだよ。キミ達は月級になったばかりなんだろ?」

「だったらなんですか」


 何故わかったと言いかけたのを飲み込み、そっけない態度で誤魔化すユキ。しかし、女はそんな小さな抵抗を一笑に付す。


「誤魔化すの下手だねぇ。そんないい子だから困ってるんじゃない?」

「……皮肉を言いたいだけなら他所でどうぞ」

「そういうわけじゃないって。まあ、とにかくだ。お互い興味あるわけだし、お話でもどうだい? ああ、私の名前はエレオノーラ。よろしくね」


 エレオノーラと名乗った女は、そう言って鋭い犬歯を見せて笑う。

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