1-4 今日はいいだろ、明日にしないか
「まあ、ともかくだ。疲れただろうし、まずは家に帰ろう」
そういうナギに連れられて歩くこと約10分。小綺麗な白い石を積んで作られた家の前で、二人は足を止めた。1階建てで四方の壁には窓、正面にはドアがある。一言で表現するなら『四角』という簡素な住居だ。周囲の建造物は、1階が店で2階は住居、或いは3階建ての集合住宅と思わしき物が多く、周りから浮いていた。
「結構近くなんだな。 それに、そう使われていないように見えるけど、高いんじゃないのか? 色々と」
「んー、ババァもそんなこと言ってた気がするな」
適当にナギは答えると、無造作にドアを開く。鍵くらい掛けておけ、とユキが苦言を呈するが、ナギは何故という顔をする。
「別に盗られるようなものは無い。必要なものは持っている」
「そういう問題じゃなくて、私が安心できないんだよ。居候の身でもそのくらいは気にしてもいいだろ」
本当に大丈夫なのかこいつの家で? 内心に不安を抱えつつもユキは、ナギに続いて玄関へ入る。
「これは……」
「どうした? ああ、これを見るのは初めてか。靴は脱いでくれ」
靴を脱ぎ捨てたナギは、自らが腰を下ろしているそれを叩きながら言う。微かに香る草の香りは、床に敷き詰められたものから滲み出ているようだ。草を編み込みマット上に加工したそれは、
「タタミ……」
頭に浮かび、次の瞬間には消えてしまうような曖昧な単語をそのまま口にする。なぜそう思ったのかユキ自身もわからなかったが、ナギは感心した顔で言う。
「知ってるのか? すごいな、ババァも実際に作るまでは見たことなかったって」
「ああいや……それより、作った?珍しいのか、タタミって」
ユキは、訊ねながら畳へと一歩踏み込む。フローリングよりも柔らかく、しかしカーペットほどではない足裏の感覚を、何度も確かめるように彼女は足踏みをした。
「ああ、ババァがそういう物があると聞いて作ったんだ。寝っ転がれるのは楽だろって」
「この家は?」
「倉庫の予定だったんだが、ちょうど床を貼ってなかったから実験に使われた、らしい」
しかし、これが馬鹿な話なんだとナギは笑いを隠すこと無く続ける。
「作ったはいいが、誰も住みたがらなかった。草の床もそこに座って生活するのも嫌だって」
「それでお前に譲られたのか?」
「ああ、ババァとしても誰かが使わないと無駄になるから丁度良かったんだろう。ナギも、住む場所があるのはありがたいからこうして使ってる」
「その割には物が無いが、金が無いのか?」
ユキは、6畳半の一室をぐるりと見渡して言う。机も椅子もクッションもなく、タンスなどの収納も見当たらない。部屋の隅には薄い布団と本が積まれているが、生活感というものがあまりに薄い部屋だ。
最小主義なのかとさらに部屋を見渡したユキは、目に入ったものに顔をしかめる。乱雑に脱ぎ捨てられた衣服が小さな木箱に押し込まれていた。泥か土かのシミがついているそれは、ゴミ捨て場にあっても違和感がないだろう。
「顔を合わせたばかりだけどな、流石に言わせてもらうぞ。なんだその服は」
「見ればわかるだろう。汚れて着ていない服だ」
「だったら洗うなり捨てるなりしろ。いや、待てよ。お前ひょっとして汚れるたびに買い直してるのか?」
「それはそうだろう。汚れた服を着るのは駄目だというのはナギでも知っている」
まさか、と思いつつも訊ねたユキだったが、あっさりと肯定され二の句を継ぐことができない。確かに服は汚れているが、洗えば使える範疇ではあるのだ。今彼女が着ている服だって汚れていないだけで、擦り切れているし大差ない。嫌な予感を覚えながらユキは、さらに続ける。
「家具が無いのは必要無いからか?」
「ん、机って必要か? 座って飯を食うならそんなに差はないだろう」
必要がないから不要なのではなく、必要性がわかっていないから不所持。その意識の差はあまりに大きい。だからこそ、汚れたから洗うという発想をせず、節約できる金を溶かしているのだ。驚くべきはそれを良しとする稼ぎだろうか。
溜息をつくユキに、ナギは口を尖らせて言う。
「ちゃんと風呂は毎日入ってる。だから清潔だぞ」
「そうじゃなかったらとっくにここから出てたよ……どうやって生活してたんだ今まで」
「狩りをした時の皮や角を売った金があるんだ、たぶん」
「たぶんってなんだよたぶんって……」
はぁ、とユキは再び溜息をついて壁にもたれる。とにかくナギという人物は生活力も金銭感覚も怪しいというのは理解した。そんな彼女でも一応生活が出来ている辺り、概ね狩猟をするのが効率よく稼げるということだろう。
そんな経験は自分にはないが、適切な武器と精度の高い情報があればやってできないことはない、はずだ。
どこで狩りをしていたのかを訊ねるとナギは、不満げな顔で答える。
「ここに来てからはあまり出来てない。ババァがここから離れるなってうるさくて」
「それは何故?」
「『一人だとどこに行くのかわからないから』なんて言うんだぞ。ナギを馬鹿だと思っている」
それは正解だな、と言いかけたのをユキは飲み込む。正論は人を傷つけるものであり、これから住まわせてもらう相手を傷つけても仕方がないという慈悲であった。
しかし、そこで思い至る。この街に来てからあまり狩りが出来ていないのなら、本当に狩りで生活を成り立たせる事ができるのかは不明ではないか。蓄えを溶かし続けて実は底が見えているという可能性もあるのでは? 彼女が言うことを真に受けても大丈夫なのか?
「冒険者の講習会っていうのは今日もやるんだな? すぐ行くぞ」
答えは否。彼女に任せたら最低限文化的な生活からは間違いなく遠のく。彼女の生活力がはっきり言って最低というのは、この部屋と言動を見れば嫌でも理解した。柔らかいベッドも温かい3食の食事も生きるために必須ではないが、我慢できるかは別の話だ。
「えー……今日はいいだろ、明日にしないか」
講習会と聞くやいなや面倒くさそうに横たわるナギ。耳も倒して何も聞きたくない、動きたくないと言外にも示す彼女の腕を引っ張りながらユキは声を張り上げる。
「こんな生活する努力を放棄した部屋で暮らせるか! お前も講習受けて知識を入れ直せ!」
「講習はつまらない話ばかりで嫌だ……」
「必要な話なんだよ! このまま引きずられたくなかったらさっさと立て!」
行かない言い訳をするナギと行く必要性を説き続けるユキ。『私と一緒なら街の外へ狩りにも行けるかもしれない』というユキの説得が通じたのは10分後のことだった。