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地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月  作者: 北方修羅院
1章
3/27

1-3 ああ、このババァだよお嬢さん

「ここが一番大きい街なのか?」

「たぶん。最初に造られたとか、そんなだったはずだ」

「ここが……」


 大通りを歩くユキは、左右に立ち並ぶ建造物から踏みしめる石畳、果ては空までを不安げに眺めていた。


「全然覚えてないのか?」

「わからない……こんな道を歩いていたような気はする。けど、暮らしていた場所っていう実感がまるで湧かない」


 本当に自分が暮らしていた街なのだろうか。すれ違う人々は、そんな彼女とすれ違っては振り返り二度見していく。それを周囲から浮いた格好をしているからだと考えたユキは、身を潜めるようにしてナギに訊ねる。


「それで、冒険者ギルドっていうのがこの街を治めているのか」

「そうじゃないか? よく知らないが」

「お前が知らなかったら誰に訊くんだよ……」

「新入りに物を教えるのはババァの仕事だからな。ナギだってここに来たのは3年くらい前だ」

「それまではどこに?」


 あっちだ、とナギが指差したのは山があった。それ以外にあるのは強いて言うなら木であり森だ。つまり、何の参考にもならない。

 溜息をつくユキに、ナギは訊ねる。


「けど、ユキはどうしてあんなとこに寝てたんだ? あそこが家ってわけじゃないんだろ」

「……さぁな。とりあえず住む家がないことは確かだ」

「ふぅん、そうか。じゃあ、ナギとユキは物知らず同士ってことだな」

「違う、お前よりはモノを知っている……なんて言っても虚しいだけだな」


 自嘲するようにため息をつくユキを、ナギは気にするでもなく空を指さして続ける。


「じゃあ、月が割れているのはどうしてかも知らないか? 」

「月が?」


 空を指さすナギにつられて、ユキは頭上を見上げる。青空に垂れた一滴の牛乳のように白く歪に広がった円は、割れた月だった。月の満ち欠けでそう見えているのではなく、間違いなく砕けている。


「ナギが生まれるずっと前からそうだったけど、昔は丸かったらしいんだ」

「昔って、どのくらい?」

「ヒトが生まれる前くらい。確かババァがそう言っていた」


 つまり途方もない過去のことだ。そんな過去のことを知るわけがないというユキに、ナギは少し残念そうな顔で言う。


「なんだ、わからないのか。もしかしたら月から来た人なのかとも思ったんだが」

「……お前、色だけで判断し過ぎじゃないか?」


 あんなところには人は住めない。ユキは呆れたように言ってもう一度空を見上げる。


 あの状態が今を生きるものからすれば当然の形だというのに、小さな棘が刺さったような違和感が脳裏を刺激する。それは、自分の現状を見せつけられているような拒否感がそうさせるのだろうか。或いは、欠片が繋がれば丸くなるのに何故そうしないという理不尽な八つ当たりか。


 だとしても、欠片を集めれば元通りの形になるとも限らない。そして、そうして形が戻ったとしてそれは同じものと言えるのか。こうして記憶の欠片を探すようなことに、本当に意味はあるのだろうか。そうして集めた結果出来た自分は、本当に『自分』なのだろうか。


 果てまで広がる青空に、ユキが押しつぶされそうな不安を感じていると、


「ユキ? そんなに上を見ているとひっくり返るぞ」

「……そこまでは馬鹿じゃない」


 そう、馬鹿じゃない。不安の自家中毒を起こすような。言い聞かせるようにつぶやき、ユキは先を行くナギの背中を追いかける。


 そこから歩くこと10分。二人は入れ代わり立ち代わりの人々で賑わう冒険者ギルドの入り口まで到着する。周囲の建物と比べても古く、しかし寂れた印象は一切ない。満ち溢れた活気は中から外へ声となって溢れている。


「人類……一歩、小さな……偉大な一歩……」


 入り口上に掲げられた看板を見たユキは途切れ途切れながらも読み進めていく。その様にナギは、感嘆の声をあげた。


「アレが読めるのか、すごいな」


 言われてユキも驚いた。記憶がないというのに文字が読めている。それは、息を吸って吐くとはまるで違う。身につけ記憶してなければ出来ないことだ。

 何もかも無いわけじゃない。僅かな希望が見えたユキは、余裕ができたことでナギの言葉の違和感に気がついた。


「いや、待て。その言い方だとお前は読めないみたいに聞こえるが」

「読めないが?」

「……そう堂々と言われても困るんだけど」


 そんな会話をしながら、二人はギルド本部の中へと入る。そこに広がっていた光景は、横にずらりと並べられたカウンターで向かい合う受付と冒険者。その後ろに並べられた年季の入ったソファーには、順番を待つ冒険者が暇そうに、或いは苛立ちながら待機していた。


 冒険者ギルドという名前に反したお役所的な光景に、ユキは戸惑っていた。荒くれ共が酒と冒険譚に酔いしれ、店主から紹介された依頼をこなす。危険と栄光に塗れた冒険の出発点。だが、目の前の光景から聞こえてくるのは事務的な手続きとぬかるみから抜け出そうと必死な者たちの声だ。


「本当にここであってるのか? なんか、冒険とは逆な雰囲気だけど」

「あってるぞ。ナギもババァから依頼を受けたし」

「いや、ババァとか言われてもどのババァだよって感じだが……」


 顔を寄せて小声でやり取りする二人。


「ああ、このババァだよお嬢さん」


 その肩が声とともに不意に叩かれる。慌てて振り返ったユキと不満げなナギの前には、快活な笑みを浮かべた老婆が立っていた。背筋をまっすぐに伸ばした彼女は、皴の刻まれた顔をユキへと向ける。


「で、どういう経緯でこの駄犬と一緒にいるんだいお嬢さん? 言っておくと、拾ったなら元の場所に戻すのを勧めるよ」

「ナギが拾われたんじゃない。ナギが拾ったんだ」

「へえ、本当かね? 依頼は……一応こなしたみたいだけどね」


 老婆は、ナギの腰に提げられた刀を見ると再びユキへと目を向ける。強い意志と智恵が籠もった目は、自身が知らぬことまで見透かしてしまう。そんな錯覚を覚えたユキが思わず後ずさると、老婆はふっと息を吐いて笑う。


「まあ、立ち話もなんだ。座ってゆっくりと聞かせてもらうとしよう。中々面白い話が聞けそうだ」


 老婆は、一番端のカウンターを顎で示す。上に置かれた『休憩中』の札を退かし、並んで座る二人と対面に腰を下ろした。


「じゃあ、ナギ。何を見つけてきた?」


 老婆の問に、ナギは腰に提げていた刀を見せる。

 

「これとユキだ」

「なるほど。では、ユキ」

「は、はい」


 二人のやり取りに内心『それだけ?』とあっけにとられていたユキは、いきなり話を向けられたことに姿勢を正す。


「改めて自己紹介だ。あたしはグランマ。本名じゃないがこっちのが通りがいい、覚えておいてくれ」

「え、ええ……よろしくお願いします、グランマ」

「そう固くならなくてもいいさ。別に尋問するつもりはないよ」

「じゃあ、拷問をする気なのか」


 余計な茶々を入れんじゃあない。言葉とともに振り落とされた拳骨にうずくまるナギを無視し、グランマは続ける。


「やりたいのは事務的な確認だ。この駄犬が何処からか攫ってきたお嬢さんとも限らないからね」

「そんなことは……私を発見し救助したのは事実です」

「救助ね。何があった?」

「……理由はわかりませんが、遺跡で眠っていた私を彼女が発見し、襲いかかってきた鉄の蜘蛛を彼女が撃退した。事実として言えるのは、それくらいです」

「ユキは、よく覚えてないらしい。たぶんここで暮らしていたはずなんだけど」


 頭をさすりながら言うナギに、グランマはユキへと目を向ける。頷く彼女の顔を、グランマは索引を引くようにじっくりと睨めつけていく。


「ここに来るまでに見知った顔は?」

「いえ、一人もいませんでした」

「覚えのある場所は?」

「ありません……住んでいた家があるのかさえ、わからないんです」


 矢継ぎ早に繰り出される老婆の問に、ユキは沈んだ表情で答えていく。傍から見れば老婆に詰められているとも思える状況だが、隣のナギは口を開けてそれを眺めていた。

 気が削がれたのか、顔をしかめた老婆はナギに向かって言う。


「なんだい馬鹿みたいに口開けて。涎が垂れる前に閉じときな」

「馬鹿にするな。その前に飲むくらい出来る」

「口開けんなって言ってんだよ。ユキまで馬鹿だと思われるだろう」

「なんだと、ユキだって馬鹿だ。自分の名前を覚えてないんだからな。ナギと一緒だ」


 ナギは意味のない自信を発揮し、それに巻き込まれたユキは肘で脇腹を小突く。物を知らないのと記憶喪失を一緒にするなと言いたげな顔は、実際に言いかけた故だった。


 しかし、言葉にしなかったのは神妙な顔をしたグランマに気がついたからだ。呆れているのではなく、ある種の値踏みをするような眼をユキへ。そしてナギへと向けていた。


 その意味を測りかねる前に、グランマは表情を崩すと皮肉げに言う。


「なるほど、随分と安直な名前だと思ったよ。それでいいのかい、お嬢さん?」

「はい、何も問題ありません」


 即答する彼女の語気は、自身でも驚くほどに荒っぽいものであり、思いがけない反応にグランマは眉を上げる。


「えっと、その……」


 安直な名前と言われたのが腹立たしかったのか? 自分だってそう口にしたのに。何故そうしたのか自分でもわからないユキは、


「い、一応命の恩人には違いないので……安直というのもわかってますけど、あまり馬鹿にしたものでもない、かな、なんて……」


 余計な怒りは買いたくないが、それでも思い浮かんだ気持ちをなんとか口にする。


 グランマは、何も言わずその目を見つめ返す。本音を言えば、その時点でユキは後悔し出していた。媚びを売るつもりはないが、だとしても反抗的な態度をとるべきではない。どう考えても怪しいのは自分の方なのだから。


 それでも言ってしまった言葉は飲み込めない。これで怒るような奴は器が小さいだろと半ば逆ギレのような心持ちで、グランマの言葉を待つ。


「そうかい。じゃあ、話はこれで終わりだ。一先ずはナギの世話になるといい。そいつの家なら一人くらいの余裕はある」


 が、グランマはあっさりと視線を彼女から逸らすと、1枚の紙をユキへと示す。


「これは……なんでしょうか」

「新規冒険者向けの講習会についてだ。どんな仕事をするにしろ、一旦はギルドに登録しておいた方がいい。何も覚えていないなら尚更だ」

「そう、ですか……あの、これでいいんですか?」

「何がだい?」

「記憶もない怪しい者を街に引き込んで……これで終わりなんて」


 不安げなユキの言葉に、老婆は虚を突かれた顔をするが、すぐに声を上げて笑う。


「本当に怪しいやつはそんなこと言わないものさ! 大体、身寄りのないガキなんてそこまで珍しいもんじゃない」

「そ、そうなんですか……」


それはそれで不安が一つ増えたような気がするユキに、グランマは続ける。


「それに、上品な育ちっていうのは見ればわかる。なのに、あんたみたいなのを疑っていたらキリがない。隣のやつを見てみな」


 言われたとおりにユキは隣へと目を向ける。


「ん、どうした」


 退屈になったのか、頬杖をついて欠伸をするナギ。くたびれた上下にボロボロの外套で、髪と目だけが艷やかな光を返している。それが無く、路地裏にでもいれば浮浪者と呼んでも半数は許すだろう。


「……納得しました。後ろめたく思うことはやめにします」

「そうしておきな。ほら、家まで案内してやりなナギ」


 はいはい、と気怠げに返すナギ。その頭に、一回で良いと拳骨が落とされた。

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