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地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月  作者: 北方修羅院
4章
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4-8 ユキがいるならきっと忘れない

「いやぁ、驚いたね。光の柱みたいなのが森から出てきたと思ったら、窓がガタガタ煩いし地面は揺れるしで終わりの始まりかと思ったよ。その場にいなかったことが幸運でもあり、ほんのちょっとだけ見てみたかった気持ちもあるけど、それこそ好奇心は猫も殺すってやつだ」

「ナギは、狼だから死ななかったのか?」

「それは違うね、君たちが強いからさ。数ヶ月で太陽級になれるくらいね」


 冒険者になるために数ヶ月前に訪れた講義室には、興奮した口調で捲し立てるライロといつも通りのナギ、ぼんやりと窓の外を眺めるユキの3人がいた。普段であれば姿勢を正して受け答えをするはずの彼女が、今日に限っては気が抜けているようだった。


 そんなユキを一瞥したライロは、両手を合わせて軽い音を鳴らす。存在に今気がついたというようにのっそりと顔を向けるユキに、彼は敢えて軽い口調で言う。


「太陽級の説明っていうけど説明できることは大してないんだ。だから、考えるのはそれからでも遅くないよ」

「そう、ですか」


 そうそう、と続けるライロは薄い冊子を二人へと渡す。冊子とはいうが、数枚の紙を糊付けしただけの子どもが作ったような代物だ。1枚毎に大きな赤字とその下に注釈のような小さな文字が書かれている。

 そのうちの1枚を手にしたユキは、怪訝な顔で言う。


「……一人で死ね?」


 そう書かれた赤字の傍には、逃げ回る人のイラストの上に大きなバツが描かれている。そのまま読み取れば『逃げずに戦って死ね』というふうに読めるが、意図が読めない。

 怪訝な目を向けられたライロは、冷や汗を拭いながら言う。


「それは僕が考えたわけじゃないということは、まず前提として知っておいてほしい。まあ、その。『これくらい馬鹿でもわかるくらいじゃないと読まないだろ』という考えがあってだね、最低限の義務が描かれた冊子を渡すことになっているんだよ」

「……太陽級って、そういうアレなんですか」

「いや、その……剣はペンより強いとか、右の頬を打たれたら左の頬を打ち返せとか、そんな考えでやってる人が多いのは事実だよ? でも、そうじゃない人もたまにいる……らしいから」

「なんだ、馬鹿でもなれるのか太陽級って」


 そりゃあお前でもなれるくらいだからな。おかしそうに笑うナギにジト目を送るユキだったが、当の本人はまったく気にしていないようだった。


「まあ、とにかくだ。昨日の今日で君たちも疲れているだろう。詳しいことが聞きたいなら、グランマのほうが適任だし後は冊子を読んでおいてくれ。説明は以上……の前に、これを渡しておかないと」


 ライロは、小さな木箱を二人の前へと差し出す。中にあったのは、細い鎖が繋がれた夕焼けのような色をした小さな石だった。


「これは?」

「太陽級になった証みたいなものだよ。それ自体に特別な力はないけど……まあ、絡まれたときに見せれば話が早いかもね」

「こんなもの簡単に作れるんじゃないか。意味があるのか?」

「ああ、大丈夫。実力もないのに太陽級を騙っても死地に引っ張り込まれるだけだから、余程のマヌケじゃなきゃ偽装なんてしないさ」

「ふぅん、確かにそんな奴は見たこと無いな」


 頷くナギの横で、ユキはじっとペンダントを見つめていた。証、と言われても実感がまるでない。数ヶ月で駆け出し冒険者から頂点まで上り詰めたといえば聞こえはいいが、実質流されていただけともいえる。目の前の問題と不安に対処していると、いつの間にかそうなっていた。自分には、そういうことでしかない。


「では、改めて。太陽級に昇格おめでとう。とはいえ、冒険者を続けるかどうかは君たちの自由だ。そういう悩みなら僕でも役に立てるだろうから、困ったときはまた来てほしい」


 では、また。そう言って講義室を去るライロに、慌てて立ち上がったユキは頭を下げて見送る。足音が遠ざかっていくのを聞きながら、頭を上げた彼女はその反動のように椅子を揺らしながら座り込んだ。


 ぼんやりとした表情で、ユキは掲げた右手を見やる。どれだけ見つめたところで、その向こうにある天井を透かすことはなく、ましてや内側が見えるわけでもない。


 ナギ曰く、踏み潰した枝みたいに折れ曲がっていた腕だが、薬草湿布と薬汁につけられた腕はいつもと変わりない。余程いい薬だったのだろうが、その借りは返す必要がある。


 ただ、そうした後にどうすればいいのだろう?


 息を吐いたユキは、独りごちるように呟く。


「昨日のことが本当にあったのかわからなくなってくる。起きたときに全部終わっていたし」

「間違いなくナギ達が倒しただろう。ババァだってそう言っていた」

「だからって『今日から太陽級ですから』なんて言われても、すぐには受けいれられないだろ」


 ユキは、気を失ってからのことを思い起こす。


 目を覚ましたのは自室の布団で、傍らにはグランマがいた。その彼女から太陽級に昇格したことを伝えられ、明日に説明と授与を行うから本部まで来い。それだけ言うと彼女は去ってしまい、残されたのは呆気にとられた自分と壁にもたれて寝息を立てるナギだけだった。


 なにが何やら。机に突っ伏すユキは溜息をつくが、ナギは上機嫌な様子で言う。


「けど、これでもっともっと遠くまで行けるようになるんだろう? 偉くなったってことだし、ババァに自慢だってできる」

「そんな簡単な話なのか? 位が高いってことは、義務も多いものじゃないのか?」

「そうか? 冒険者なんてろくでなしで、その上位なんてもっとろくでなしだろう。そんな奴に義務なんているのか?」

「……言い方はともかく、ちょっと納得できるのが嫌だな」


 あまりにも薄っぺらい冊子が目に入り、押し付けるようにナギへ渡すユキ。何故、と言いたげに首をひねるナギにユキは訊ねる。

 

「……なあ、ナギはこれからも冒険者を続けるつもりか?」

「うん? ユキは違うのか?」

「私は……どうしたらいいんだろうな。望んでいたものは最初から無かったし、生活のために必死になる必要はなくなった。冒険をする理由が、はっきりと見えてこないんだ」


 一言で言うなら燃え尽き症候群だろうか。目が覚めてから今に至るまで、これからのことを考えようとしてもぼんやりとした想像しかできない。なにをしたところで結局見つかるものはないんじゃないか。そんな無力感に苛まれている。


「ははは。なんだ、ユキは馬鹿だな」


 だというのに、この駄犬は肩をすくめながら笑っていた。しかも、ただ笑っているだけじゃない。明らかに『そんな事も知らないのか?』というニュアンスが多大に含まれている。馬鹿にそう言われることほど腹が立つことはあるだろうか。


 開いた窓枠に腰掛け、見下ろすように見つめるナギ。呆れたような目に、さらに苛立ちが募る。


「何がおかしい!」


 ユキは、ムカつきと無力感を机に叩きつけながら怒鳴る。しかし、ナギは怯んだ様子もなく平然と言う。


「そりゃあおかしくもなる。自分で言っておいて、そのことを忘れるなんて馬鹿じゃないか?」

「何を言って……」

「『自分』と言える何かを探してほしいといったのは、ユキだろう?」


 ――『自分』を見つけて欲しい。何度も口にしないと忘れてしまうような誰かじゃなくて、はっきりと『私』だと言えるような……そんな『自分』を。


「それは……だけど、そんな過去は……」

「無いのはナギも一緒だ。両親と一緒にあの村で育った女の子は名前ごと消えてしまった」


 窓から大通りを見やるナギの横顔は、どこか寂しげだった。けれど、その目が向いているのは人で溢れる雑踏ではなく、果てまで広がる空と浮かぶ月を向いていた。


「ナギも少し考えてみた。なぜ、親に置いていかれた……いや、ナギが捨ててしまったのか。結局のところ、ナギは弱かったんだ。一つのことだけを考えるのが精一杯で、それ以外のことなんて何も考えてなかった。それさえあれば生きられると、思い込んでいた」

「……会いたいとは思わないのか。今から探すことだって」

「ユキは怒るかもしれないけど……会いたいとは思わない。名前を失くした奴が顔も忘れた相手を――捨てたものを今更拾いに行くものじゃない。名前を失くした女の子はもういないし、ナギはナギだ。だから、『自分』を探しに行くのは『これまで』じゃなくて『これから』だ」


 ユキはどうだ? そう言うナギの目は、何を見ているのかわからないぼんやりとしたものではなく、ユキとその内面、そこから広がる世界を見据えるような眩い光を灯していた。


「……ああ」


 その輝きに、ユキは頭を振って立ち上がる。確かに、馬鹿と言われても仕方なかった。何も無いわけがない。彼女と過ごした時間は本物だと、そう口にしたはずなのに。


「私も行くに決まっている。お前を一人にしたら、何処に行くかわかったもんじゃない」


 一歩歩み寄り、手を伸ばす。そうだな、と笑って握り返すナギにユキも自然と浮かんだ表情で応える。それが少し気恥ずかしくて、ユキは誤魔化すように口にする。


「けど、だったら一人称が自分の名前じゃなくてもいいだろ。それくらいは覚えただろ?」

「そうだな、ユキがいるならきっと忘れない。でも、『ナギ』は大切な名前だ。だから、何度でも口にする」

「おまっ……恥ずかしいことを……」


 言うな、とは続けられなかった。飾らない真っ直ぐな物言いに耐えきれず俯いてしまったし、それが嬉しくないといえば嘘だったからだ。そして、それを察しようとしないナギは無遠慮に俯いた顔を覗き込もうとし、額を小突かれた。


「なんだユキ。下を見てもいいことはないぞ?」

「誰のせいと……ああもう、いい! 今日はめでたい日だ! 昼間から酒を飲んでも許されるくらいにはな!」

「おいおいユキ、昼から酒なんてババァが文句言いそうなこと……やるか」

「そうだそうだ! どうせいつか勝つ相手なら今日勝てばいいだろう!」」


 既に酔っ払っているようなテンションのままに、ユキとナギは声を張り上げて笑う。それは、残った不安を誤魔化すためであるだろう。けれど、それだけではない。今が楽しいから笑うという、原始的でありふれた感情に満ちているからこそのものだ。


 過去に何もなかったとしても、明日は良い日だと確信している。そんなふうに生きていけるのなら、それでいい。冒険はまだまだ続くのだから。


 窓から勢いのままに飛び出した二人を、月が見下ろしていた。

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