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地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月  作者: 北方修羅院
4章
24/27

4-5 お前は馬鹿だ

 怪物の泥から突き出た黒い槍が、背中まで突き抜けている。だが、腹部から全身へ伝播する異物感と痛みさえ今は些事に過ぎなかった。ユキの思考を支配するのは、何故この怪物は自分と同じ顔をしているか。腐った水のような淀んだ緑色の目を、どうして自分へ向けているのか。その二つだった。


「あ……」


 喉から漏れたのは声か、それとも単なる息か。だが、それが契機となりユキの思考を現実へと引き戻す。怪物の理屈などわからないが、このままでは死ぬ。それだけは、間違いなかった。


 右手に握りしめたままだった銃を向け、引き金を引く。躊躇も情けも込めず、殺すつもりで放った。そのはずなのに、ばすん、と気の抜けた音と共に跳ねた銃口は、あらぬ方向へと弾丸を吐き出す。


「クソッ!」


 上手く魔力をコントロール出来ない。循環させた魔力が何処からか漏れ出している――いや、それだけではない。吸い上げられている。その原因を考えるまでもない。腹部を貫く黒い槍。それから逃れようとユキは銃口を向けるが、震える右手では狙いが定められない。そうする間にも、力がどんどん抜けていく。


「ユキ!」


 意識を引き戻す叫び。刹那、蒼白の軌跡が奔ると同時に槍が両断される。次いで重く耳障りな金属音が部屋に響き渡る。ユキは、倒れかけた体をふんばり槍を引き抜いた。


「ナギ……」

「大丈夫か!?」

「なんとか……」


 刺された箇所を抑えながらユキは、自分を守るように刀を構えるナギに答える。魔力の循環が正常になったと同時に、痛みはかなり抑えられていた。それがどういう理屈によるものかはわからないが、ともかく動くことは出来る。今はそれが重要だ。


「なんなんだ……お前は……」


 怪物を睨むナギの手は、震えていた。これまで鉄の蜘蛛を、今しがたは黒い槍を容易く切り裂いた刃だったが、怪物の泥のような巨体には、靴底で擦ったような轍が出来ただけだった。


 その事実が、ユキを戦慄させる。彼女でも傷つけられないのなら、自分では相手にならない。とにかく、この場は逃げるしか――。


「ああああああああああ!」


 だが、ユキの考えとは真逆に、ナギは獣のように吠え、再び怪物へと斬りかかる。それは、考えあっての行動に思えなかった。普段の彼女も考えて行動してるとは言い難いが、それでも経験や直感という根拠あってのものだ。


 しかし、今の彼女は普段とまるで違う。傷を負った獣が、怒りと衝動――或いは恐怖のままに牙を剥いている。濁流のような軌跡を描く剣撃は、泥を拭うことも出来ず不快な音を立てて弾かれていく。


「ナギ! 今は下がれ! せめて開けたところまで下がるんだ!」


 ユキが必死に呼びかけるも、ナギの答えは振るわれる刀だった。悪態をついたユキが、ポーチに手を突っ込んだその時、怪物の体が一瞬縮んだように見えた。


 次の瞬間、大量の黒い槍が怪物の体から突き出す。船を飲み込む大波のような脅威に、ユキは本能的にその場へ伏せる。頭上を掠めていく死に強張る体だが、目をつむることはしない。敵を前に目を閉じるのは、死んだ時だけで十分だ。必死に生きるための道筋を探していく。


 そして、その道はあった。怪物の槍が突き崩した壁の先は、入口と反対側の通路へ繋がっていた。


「ナギ!」


 ユキは、叫ぶと同時に手にした筒を怪物の足元へ投げつける。一瞬の間の後、凄まじい勢いで筒から黒煙が吐き出され、部屋全体を覆い尽くす。完全に視界が途切れる前に、ユキは壁の穴へと飛び込んだ。


 常人なら前後不覚になる煙だが、ナギなら問題ない。彼女の鼻と勘ならここまで来れる。そう信じて待つだけの数秒は、焦燥感で指先が焼けていくような錯覚を覚えた。歯を噛み締めて彼女の名前を叫びたいのを耐える。


 煙が揺らいだ。それを確認したユキは、通路の先へと走る。不幸中の幸いか、通路の明かりは不完全ながらも灯っていた。そして、自分を追う足音を聞き逃すことはなかった。


 まっすぐに通路を駆け抜け、曲がり角に差し掛かったところで転がるように飛び込む。壁を背にして、息を整えるユキ。その隣に、息を荒げたナギが座り込んだ。


「ナギ……」


 無事か、と言いかけたユキは言葉を失う。ナギの左腕には、コートの袖が拘束具のようにキツく巻き付けてあった。元より赤いコートに赤黒い染みが浮き出ている。視線に気がついた彼女は、心配するなと乱れた呼吸で言う。


「血は垂れていない……それで追われる心配はない……」

「そんな心配はしていない!」


 声を抑えることも忘れ、ユキは縛り付けられた袖を掴む。苦痛に顔を歪めるナギに、その手が一瞬止まるが、決意と共に袖をほどいていく。そして、それを見た。


「お、まえ……こんな……」

「大丈夫だ……腕は繋がっているだろう……?」


 強がりか、或いは本気で言っているのか。どちらにせよ、ユキには届かない。早鐘のような鼓動と天井を床にしているような吐き気を止めることは出来ない。骨が露出するほど肉が削がれた腕を見て、何を安心しろというのか。

 

 今にも叫び出したい喉を押さえながら、ユキは分解してしまいそうな思考を必死に回す。すぐに医者の元へ。間に合うのか。無理だ。ここから脱出できたとしても出血がひどすぎる。でも、他に何がある。ない。無理だ。ここで死――。


「ッ!」


 額を壁に打ち付ける鈍い音が鳴る。考えるのは諦める理由じゃない、生き残るための方法だ。こんなところで死にたくない、死なせたくない。考えろ、僅かでも生き残れる可能性があるなら毒を口にしてでも――。


「ナギ、狼に首を噛まれて死にかけた時……『水』を使ったと妖精は言っていたんだな」

「ああ……確か、そんなことを言っていた……よく覚えてないけど……」


 根拠は霧のように曖昧で、真夏の雪のように頼りない。だが、それでも。生き残れる可能性があるとすれば。


「……これから何が起きるかはわからない。はっきり言ってそのまま死んだほうがマシな結果になる可能性のほうが高い。それでも」

「ユキを疑ったりしない……何か考えがあるならやってくれ。このままじゃ…あいつを斬れない……」


 脂汗を浮かべながらも笑って見せるナギ。ユキは、無言で頷くとポーチの中から小瓶を取り出す。中身は、異常に重い水らしきもの。それしかわかっていない液体を、僅かな逡巡のちナギの傷口へと掛けていく。


「ッ!」


 傷口に触れた水は、鉄板に水を垂らしたような音と共に白煙を立てていく。思わずユキは傾けていた瓶を水平に戻そうとするが、ナギは首を振って止める。


「大丈夫……痛みはない……むしろ、気持ちいい」

「……それが嘘じゃないって信じるからな」


 ユキは、瓶をさらに傾け水を垂らしていく。先程よりも派手な音と煙が立ち上り、視界が白に染まる。その白が徐々に晴れていき、元に戻っていく。その先にあったのは、


「……治ってる、な」


 それが当然の形だというように傷が無くなったナギの左腕だった。手を開いたり閉じたりする彼女の左腕を、ユキは震える手で取る。傷口だった箇所は、見せかけではなく暖かく引き締まった肉の感触があった。かさぶたのような僅かな赤色が残っていなければ、最初からそうだったと思うだろう。


「ナギ、本当に大丈夫なんだな? 我慢してないよな?」

「ああ、調子がいいくらいだ。古い部品を入れ替えたような気分だ」


 いやすごいなコレ。呑気そうに言う彼女に、ユキは深く息を吐いて蹲るように手をつく。本当に良かった。その言葉を何度も胸の内で反復し、そのまま動かなくなってしまいそうな身体をなんとか起こしていく。まだ何も終わっていない。ここからが始まりなのだから。


「そうだ……ナギよりもユキだ! 腹の傷は大丈夫か!」


 ナギは、呑気な顔から一転して不安に染まった表情でユキの服を掴むと、彼女が答えるよりも早く残った水を血に染まったシャツへとぶちまける。


「馬鹿っ。勿体ない使い方をするんじゃない」


 ユキは、シャツから滴り落ちかけた水を絞るように患部へと押し込む。ナギが言った通り、痛みを感じることはなかった。ほんの少しむず痒い気がするが、その程度のものだ。


「……治ったか?」

「たぶん、な」


 不安げなナギの声に、ユキはシャツをめくりあげる。背中まで達していた傷は、どこがそうだったのかと言うように完全に消失していた。同時に、乱れていた魔力の流れが正常に戻った感覚があった。


「随分効く薬だな。それとも、ユキは薬の効きがいいのか?」


 無遠慮なナギの指が傷――があった場所なのかもわからない――に触れるが、僅かな痛みが走ることもない。その程度で済むような怪我ではなかったはずだが、現実に治っているのだ。


「この『水』は……液状の魔力なのか?」


 指先に触れた『水』が染み込んでいく感覚に、そう推察するユキ。


 ナギの腕が治ったのは大量の魔力によるもので、魔法使いの素質がある自分は魔力のコントロールに長けている。だから無意識に魔力をコントロールしてダメージを最小限に抑えていた。


 それで一応の説明はつく。しかし、それは鍵穴に枝を突っ込んで『入ったからこれが鍵だ』と言っているような強引さが否めない。魔力の扱いならナギだって長けているはずなのに、なぜ彼女の傷は自分のように綺麗に治りきっていない?


  答えのでない自問自答に嵌りかけるユキの肩が叩かれる。ナギは、そのままユキの目を見つめながら言う。


「ユキ、地上までの道はわかるな?」

「あ、ああ。覚えている。でも、ここからは反対側だ。あいつに遭遇する可能性は高い」

「心配ない。ナギが相手をしている間に行けばいい」

「お前……囮になるつもりか!?」

「結果的にそうなるだけだ。ナギは、あいつを絶対に斬る。あいつだけは、必ず」


 話はそれで終わったというように、ナギは返事を待たずに立ち上がる。そのまま歩き出そうとする彼女の右手を、ユキは握りしめた。


「ユキ……ナギは死ぬつもりなんてないぞ? 何を心配してるんだ?」


 彼女は、わからないと本気でいっている。それがユキを苛立たせ、胸を締め付ける。


「だったら……どうしてお前の手はそんなに震えているんだ」

「えっ?」


 ナギは、左手を持ち上げて見る。調子が良いと言っていたその手は、抑えきれない何かによってはっきりと震えていた。それを呆けた顔で眺めていたナギは、ポツリと呟く。


「……わからないな。どうして、ナギの手はこんなふうになっているんだ?」

「怖いからに決まっているだろ! あんな化け物相手に一人で立ち向かうなんて……逃げたくもなる! 死にたくないだろ誰だって!」

「じゃあ、ユキは逃げればいい。ナギは、あいつを斬りたいんだ」


 まるで他人事のようにあっさりと言い放つナギの胸ぐらを、ユキは無意識に掴んでいた。驚くナギを、彼女はまっすぐに青い瞳で睨みつけながら言う。


「違う人間だから同じ考えになるわけがない。前にそう言ったな」

「言われた……それが、どうした」

「じゃあ、お前はお前の考えがわかっているのか? どうしてそこまでしてあいつを斬りたいのか、わかっているのか? それがわかっていないのなら、お前は馬鹿だ。そんな馬鹿が勝てるわけがない。だから、私はお前を行かせない」

「そんなの……」


 答えようとしたナギは、それ以上は言葉が続かず拗ねたように目をそらす。いつもならば『そうしたいから』と答えることが出来るはずだった。その理由の根源には『強くなりたい』という思いがあって、それは言うまでもないことだから、敢えて口にすることはない。


 けど、今そうしたい理由は違う。なのに、その理由はわからない。渦巻いている抑えきれない感情は、何なんだ。


 俯くナギと泣きそうな顔で睨みつけるユキ。その構図は、体を震わせる轟音によって崩れ去る。


「あいつ……!」


 怪物は、その巨体を強引に擦り付けながら廊下を進んでいた。脇を抜ける隙間はなく、何よりも異様な物がその体から突き出ていた。土管やパイプのような筒状でありながら、そこから感じる殺意は銃口に等しい。それが、二人へと向けられていた。


「おい、まさかアレって……」


 ユキの震えた声に答えるように、その巨大な銃口に光が収束していく。淀んだ緑色の目は、肩越しに照らされた光を反射することなく吸い込んでいく。その目が睨めつける先もそうであれというように。

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