4-4 ナギは、ここから離れるべきだと思う!
階段を下るごとに日没に近づきつつある。暗さを増していく通路を進むユキは、そんな感覚を覚えていた。足元を照らしていた床も、今では黒く沈んだように瞬くこともない。足音は、通路内を反響しては消えていく。左手に掲げた光石のランタンが、月のように行く先を照らしているが心許なかった。
「匂いは、わかるか?」
少し緊張を感じさせる声で、ユキは訊ねる。ランタンを掲げる行為は、自らの居場所を知らせているに等しい。道先を照らす光であり、敵を誘き寄せかねない誘蛾灯でもある。それを掲げ続けるというのは、彼女に安心と不安の矛盾した感覚を同時に覚えさせていた。
「ある……ような気はする。ユキが一緒じゃなかったら、気にしないくらいの匂いだけど」
「私が一緒じゃなかったらって、どういう意味だ?」
「ユキは匂いが薄いからな。例えばあの……猫女が一緒に居たらその匂いだと思った」
「エレオノーラな。それと、悪く言ってないからって人の体臭をわざわざ口にするな」
「……? 薄いけどいい匂いだぞ。花みたいで」
だから一々口に出すなと、頬を紅潮させたユキは怒鳴る。褒めたのに、とボヤくナギの背中を蹴飛ばしてやりたいところだったが、そんな状況ではない。代わりに転がっていた小瓶を蹴っ飛ばす。小さく跳ねた小瓶は、ナギの足元をすり抜けて転がっていき、離れたところでかつんと小さな音を立てて止まった。
「……この部屋からだな」
振り返ったナギは、真剣な顔で眼の前の闇を示す。開け放たれたドアの先は何も見えず、差し込む光では入口までしか照らせない。ユキは、光石を一つ放るがそれでも照らされたのは全体の半分にも満たない。さらに3つ放ったところで、ようやく全貌が見えてきた。
「……博物館?」
ユキの呟きは、部屋中に並んだ透明な円柱を見てのものだった。人が入っても余裕な大きさがあるそれは、大半がひび割れており、すべて空で中身がなんであったのかはわからない。透き通った木々の合間を抜け、二人は壁面へと近づいていく。
「この壁……さっき見つけたガラス板に似てないか?」
巨大な絵画のように壁に埋め込まれた黒いガラス板は、ランタンの光を照り返し、闇の中に佇む二人を映していた。内心の不安を虚像が突きつけてくるような感覚に、ユキは視線をそらす。その視線の先には、真っ黒な箱が床に転がっていた。
「ユキ、これって宝が入ってるやつじゃないか」
「前にあったのと似てるな……ここにも銃が?」
ユキが箱に触れると、光が表面を走り、間をおかずスライドするように蓋が開く。ここまでは、以前見つけたものと同じだが、中身は異なっていた。そこにあったのは、小さな2本のガラス瓶だった。ユキは、それを手に取ろうとし、
「な、重っ」
握りしめられる程度の大きさだというのに、そこから感じる重量感は石を持ち上げているような感覚だった。中身は水のようにしか見えないが、そうわかりやすいものではないらしい。
もう一本を持ち上げたナギは、瓶に貼られたラベルを指して言う。
「何か書いてるな。読めるか?」
「だいぶ掠れてるな……けど、少しは読める」
或いは読めてしまうというべきか。どうして出来るのかは、今は考える必要はない。魔法の才能があるのと同じく、そういうものとして流してしまえ。
ざわつく心を抑え込み、掠れた文字へと意識を集中する。そこから読み取れた文字を呟いていく。
「流体……ナノ……薬……何かの薬、らしい」
「薬。こんなのを飲んだら腹を下しそうだな」
「飲み薬とは限らないだろ。どちらにせよ、使いたくはないな」
そう言って、ユキは腰の革ポーチに小瓶をしまう。ライロ辺りに見せれば何かわかるだろう。少なくとも、今気にすべきことではない。
他にめぼしいものがないか、ユキが周囲を見渡した時だった。
「なんだっ!?」
部屋中に響き渡る轟音に、ユキは反射的に銃を構える。しかし、周囲の光景は何も変わっていない。刀を抜き放ったナギが、鋭い目で敵を探っていく。その最中も、爪で背中を研がれるような不快感を煽る音は鳴り続けている。ここに居てはいけないと、耳元で叫ばれている。
目に突き刺さる赤い光に、思わず目をつむる。暗く沈んでいた壁面が、不規則に瞬きながら赤い光を放っていた。映し出されているのは、読み取れない記号、意味がわからない図形。わかるのは、異常な事が起こっていることだけだ。
「ユキ! これはアレだ! 危険ってやつだ!」
「わかってる! どう考えてもまずい!」
何が原因でこうなったのか考える余裕はない。ともかく、この場から逃げること――可能なら遺跡から脱出する。先行するナギに続くべく、ユキは足に力を込め、
「なぁっ!?」
体が浮き上がるほどの揺れに、ユキは床を転がり壁に叩きつけられる。入口の壁を掴んで耐えたナギが無事を問うている間にも、部屋の揺れは止まらない。地面から鳴り響く轟音は、悪魔の胎動か、或いは世界の終わりか。そんな考えが脳裏を掠め、足を踏みしめることで否定する。
そんな馬鹿な話があるか。実態のない恐怖に縛られるな。己を鼓舞し、立ち上がったユキは手を伸ばすナギの元へ駆け出す。そこに辿り着くまで10秒もあれば十分なはず――だった。
不意に訪れたのは静寂。狂った奏者が鳴らし続けていた轟音も、地面を揺らす巨人も消え去り、赤い太陽だけが空間を照らしている。それまでが世界の終わりを告げる喇叭だったとすれば、今この瞬間は終末そのものだった。
「――――!」
ナギの叫びをかき消すように、爆音と瓦礫を撒き散らしながら床を突き破って何かが姿を現す。部屋を埋め尽くす巨体を点滅する赤が照らし出し、泥山のような歪なシルエットが蠢いている。
「なんだっていうんだ……!」
突然の状況に混乱するユキだが、敵が目の前にいるということだけは理解していた。それに対してすべきことは、引き金を引いて銃弾を撃ち込む。ただそれだけのシンプルな動作をするだけでいい。
点滅が落ち着き、怪物のシルエットが鮮明になる。灰色の土砂に部屋中の残骸が埋め込まれていた。突き出た椅子に机、瓦礫を甲殻のように纏った土砂のような胴体。ねじ曲がった蜘蛛の足が、巨体を支えている。およそ生物とは思えない物体としか形容できないそれに、ユキは唯一理解できるカタチを見つける。
土砂から突き出た胴体と両腕、俯いたように垂れる頭部。紛れもない人の形へと、ユキは銃口を向ける。それが、なぜ人の形をしているのかは考えない。ただ攻撃をするにあたって有効な部位とだけ認識する。そうすれば、引き金を引く指は鈍らない。
「――――えっ?」
だが、指は無くしてしまったかのように動くことはない。頭部の顔と目があった。それが人の顔をしていることは予想していたし、その上で撃つことが出来ると考えていたはずだった。
しかし、淀んだ緑色の瞳を持つ顔が、
「わた、し……」
自分と同じものだとは、考えることすらしなかった。震えが体を縛り尽くし、息をすることも出来ない。同じ顔をしているというのに、何も読み取ることが出来ない。
理解が追いつかず硬直する体。誰かが叫んだような気がする。心が肉体から離れてしまったような逸脱と浮遊感。定まらない視点は、体を貫く黒い槍を見つめていた。




