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地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月  作者: 北方修羅院
3章
18/27

3-5 お前は命の恩人で、相棒のはずだろ?

 岩場の上でナギは静かに佇んでいた。脱力し、両手を下げた状態で目を閉じる。ずぶ濡れになった髪が頬に張り付き、指先から水が流れ落ちようとも気にすることなく、その時を待ち続ける。


 一層強い波が寄せてくる。それを感じ取ったナギは、半身となり右手を柄に、左手を鞘へと添える。岩へとぶつかった波が砕け、壁のように吹き上がる。


「斬る!」


 降り注ぐ壁に対して振るわれた一閃は、紙のように薄く鋭く水を切り裂き――そのままナギを呑み込んだ。


「……だめか」


 口の中に入った海水と息を吐き、刀を納めるナギ。その脳裏には、グランマと交わした会話が浮かんでいた。


 水を斬ることは出来ると思うか。そう訊ねる彼女に対して、ナギは出来ると答えた。血が出るのなら殺せるように、刃を通せるのなら斬れないものは無いだろうと考えたのだ。グランマはそれに対して、何と言ったのか。呆れた顔をしていたのは覚えているが、それ以外は思い出せない。


 まあ、そのうち思い出すだろう。いつも通りの大雑把な結論を出したナギは、再び押し寄せる波へ挑もうとし、


「ナギ」


 呼びかけられた声に振り返る。そこにいたのは、ユキだった。その表情を見て、ナギは言う。


「少しすっきりしたように見える。特訓が上手くいったのか?」

「まあ、そうかもな。悩みが解決したと言うか……」


 ユキの答えは歯切れが悪かったが、ナギはそうかと短く返す。はっきりと口にしない理由はわからないが、悩みが解決したのならそれでいい。


 そんなおおらかな――悪く言えば無神経な結論を出した彼女は、


「大した悩みではなかっただろう? ナギでも何とか出来たんだから、ユキならどうとでもなる」


 労いと称賛のつもりで足を踏むようなことを口にする。曖昧に微笑んでいたユキは、仮面を引き剥がしたように真顔となった。


「う、うんどうしたユキ。ひょっとして怒っているのか?」

「怒ってない」


 うん、これは怒っている。確信を得るナギだったが、その理由まではわからない。心当たりは幾つかあるが、それで怒るだろうか。自分なら怒るほどではないと考えるが、当てにならない基準という自覚はある。


 では、綺麗な青い目でこちらを睨む彼女に、どう答えるのが正解なのか。


「今からめんどくさい事を言うけど、答えろよ」


 悩むナギに対して、顔を覗き込んで睨めつけるユキは言う。


「が、がんばろう」

「どうして私が怒っているかわかるか?」


 わかるわけないだろう、と反射的に答えかけるが舌を噛んで耐える。これは、経験がある。自分には身に覚えがないところで怒りを買ってしまい、それを叱責される時のそれだ。


 何を言っても怒られるのがわかりきっている状況で、出来ることは、


「わかりません……」

「だろうな! 私が勝手に悩んでいただけだから、わかるはずがない!」

「……それはずるくないか」


 不満を口にするナギだが、わかっていると睨まれ顔を背ける。ユキは、ちゃんと話を聞けと強引に目を合わせさせて続ける。


「お前、ふざけるなよ!」

「な、なにを……? ナギは、どうしてユキが怒っているのかわからない」

「お前の過去のことだよ! あんな紛らわしい言い方しやがって! 捨てられたじゃない、お前が馬鹿だっただけだろうが!」

「ごめんなさい……?」

「何が悪いのかわかってないのに謝るな!」


 怒鳴り続けたユキは、肩で息をしながらもナギから目を逸らすことはない。彼女は、ナギの両肩を掴みながら振り絞るように言う。


「私は……過去がわからないのが怖い。どうしてこんなことになっているのか、それがわからないのは納得できない。だから、お前の話を聞いて……私もその中の一人かもしれないというのが怖かった」

「……ユキは、ナギが不安にさせたから怒っているのか?」

「それはその通りだ……だけど、それだけじゃない」


 震える両手は、さらに強く肩を掴む。ナギは、彼女をじっと見つめていた。


「お前のことがわからないんだ。だって、親に捨てられたなんて一日泣いて済む話じゃないだろ? なのに、お前は平気な顔でいられるのか……わからない」

「ユキ……?」

「そんなのは、嫌だ。お前が自分をわからないことも、私がお前のことをわからないのも……お前は命の恩人で、相棒のはずだろ?」

「か、肩が痛いぞ……」


 雰囲気に圧されて控えめに文句を言うナギだが、青い瞳に見据えられるとそれ以上の言葉が出てこない。その青の裏には、怒りだけではない複雑な色が織り交ぜられていた。


 大きく息を吸ったユキは、目の前に立つものへ問う。


「ナギ! お前は『ナギ』なのか!?」

「何を言って……ナギは、ナギに決まっている」

「本当にそうなのか? その前の名前を忘れるような奴が……今の名前すら、忘れてしまいそうな奴が自分を証明できるのか!?」

「それは……」


 怒りの裏に合った色は、悲しみ。ユキは、怒りながらも悲しんでいる。そうさせているのが自分で、それを向けられているのも自分というのはナギにもわかった。


しかし、その理由もわからないし、何故そんなことを問うのかもわからない。それでも――『よくわからない』で済ませては駄目だということはわかる。


「私は『私』を見つけたい! 知りたい! マイナスをゼロへと戻したいんだ!」

「……過去を知らないというのは、つらいことなのか?」

「私はそうだ……だから、平気な顔をしているお前は強いんだと思っていた。けど、違う。違ったんだ」

「ナギは、弱いのか?」


 ユキは、首を横に振る。


「お前は、怪我を怪我として認識していない。気がついていないから平気なだけで……きっと血は流れている。だって、そうだろ……親に置いていかれて悲しくないわけ、ないだろ……」


 砕けた波が、雨のように二人を濡らす。頬を伝う雫をユキは拭い、ナギは流れるままに立ち尽くしていた。やがて、彼女はポツリと呟く。


「ナギは……悲しむべきだったのか?」

「泣けって言ってるんじゃない……ただ、何が起きたのか理解して、そこからどう向かい合うのか決めるべきだ。悲しいことだとわからないから悲しくないなんて……そんな悲しいことがあるかよ……」


 再度、ユキは頬に残る軌跡を拭う。その滴は、どこから生まれたものなのかナギにはわからなかった。傷に気がついていないのが自分だと言うなら、何故怪我をしていないユキが俯いているのか。


「何が悪いとわからないなら謝るな、とは言われたが……ナギが悪いのはわかる。ナギは、色々なものが足りなすぎるんだ。どうしたらいいのか、何もわからない」

「私だってわからない。けど、やりたいことだけはわかっている。幸せを感じながら生きていたい」


 顔を上げたユキは、はっきりと告げる。その目は、ナギに問いかけるようだった。それに対する答えを探しても、わからないことだらけで満足するような答えは出すことができない。だが、そうだとしても考えなくてはいけないことなのだろう。だから、彼女は胸の内を正直に言葉にする。


「ナギは……ユキがどうして欲しいか教えてくれないか? ナギには難しくてすぐには答えられないけど、ユキが言うことはきっと正しいから」

「他人を頼るな……なんて偉そうなことは言えないな。じゃあ、一先ずは私の願いを叶えてくれ」

「ああ、ユキはどうしてほしい?」

「……『自分』を見つけて欲しい。何度も口にしないと忘れてしまうような誰かじゃなくて、はっきりと『私』だと言えるような……そんな『自分』を」

「そうか」


 そうか、と繰り返し口にしたナギは、目を閉じてユキの言葉を何度も反復する。『自分』を見つける。それも簡単に忘れてしまうようなものではなく、これが『私』だと断じることが出来るもの。


 それは、つまり――。


「……ナギには、言っている意味が難しいな。自分は自分だけど、それだけではないんだろう?」


 あっけらかんと言ってのけるナギに、ユキは力なく肩を落とす。じとっとした目を向けられたナギは、慌てて弁明を口にする。


「いや、ちゃんと考えているぞ? 考えてもわからなかっただけだ」

「……まぁ、今はそれがわかってるならいい。すぐにわかれっていうのも無理な話だ」

「だろう?」

「偉そうにするところじゃない……まったく」


 駄犬め、と言いながらもユキの表情は、陰が取れた明るいものになっていた。感情のままに吐き出したのが却って良かったのかもしれない。こんなことを何度もするのは御免被るが。


 そんなことを考えながら、ユキは考える素振りをしているナギへ言う。


「今日はもう帰ろう。風邪引くぞ、そんなずぶ濡れじゃ」

「じゃあ帰りに風呂屋によっていこう。ナギは、個室のやつが良い」

「あれ大浴場の3倍くらいしただろ。勿体なくないか?」

「けど、炭酸を飲みながら入っても文句言われないんだぞ?」

「いや、私はそれに大したアドバンテージを感じてないからな?」

「それは人生の……何て言うんだったか。まあ、とりあえず損してるな」

「せめてどのくらいの損失なのか教えろよ」


 行くぞ、と口にしてからの方が雑談が盛り上がってしまう。深刻な会話の後では尚更発生する事象であろう。だから、ユキは忘れていたし、ナギは気にしていなかった。ここが波を大きく被ることもある岩場だということを。


「んっ?」


 そのことにユキが思い至ったのは、せり上がった波の壁が視界を覆い尽くしたその瞬間だった。小さく悲鳴をあげた彼女は目を閉じ、腕で顔を覆う。体を濡らす冷たさと衝撃に身構える――しかし、その時は来なかった。ゆっくりと腕を下げ、目を開く。


「……あれ?」


 疑問の声をあげるナギは、鞘に収められたままの刀を左手に握っていた。ナギが盾になってくれたんだろうか。ユキは、そう訊ねるが、


「そうなんだが……おかしいな、斬れてないのに斬れたのか?」

「どういう意味だ?」

「ナギは……鞘に入れたままこいつを振った。そうしたら、水が斬れた。ん、斬れたのか? 本当に?」


 自分でも理解できていないのか、説明と否定を同時にするナギ。意味がわからない、とユキはボヤくがわかるような説明は期待できそうもない。とにかく、濡れなかったのだから良しとしよう。


 そう結論づけるユキだったが、ナギは彼女から踵を返して海へと向き直っていた。背中越しでも彼女がどんな顔をしているのかはわかる。


「おい! 風呂行くって言い出したのはお前だろ!」

「いや、1回だけ頼む。何か閃きそうな感じがしたんだ」

「絶対一回で満足しないだろ! メモでもして明日にしろ!」

「なんだユキ。ナギが字を書けるとでも思ったのか?」

「偉そうにするところじゃないって言ってんだろ!」


 波音をかき消すように大声でやり合う二人の騒ぎは、3回目の波を被る時まで続いたのであった。

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