2-7 ちゃんと謝るとな、3発殴られるところが1発で済むんだ
「じゃあ、これが支払証券ね。これをギルドの受付に持っていけば代金を受け取れるから。簡単でしょ?」
ユキは、テーブルに差し出された封書を見やると、ゆっくりとエレオノーラへと顔を向ける。なんでそんな顔をしているのかわからない、と言いたげな笑みを浮かべる彼女に、ユキは溜息をつく。
「今更どうだこうだというのはしませんが、本当に嫌な奴ですねあなたは」
「ふぅん? それってナギちゃんがしかめっ面してるのと関係ある?」
ユキの隣に座るナギは、いつも以上に気怠げな空気を漂わせながら眉をしかめていた。食事に手を付けず、ちびちびと水だけを啜っている。そして、ボソリとつぶやく。
「あたまいたい……」
「こっちはただの飲み過ぎです。関係なくもないですが」
昨晩は勢いと煽るグランマに引きずられたことに加えて、とにかくウサを晴らしてしまいたかった二人は勧められるままにアルコールを放り込み続けた。そうなれば迎える朝がどうなるかは、有史以来決まっている。地を這うようにつらい二日酔いだった。
「ユキだって同じくらいのんだろ……ズルいぞ」
恨めしそうな顔で見られても知らん、としかユキは言えない。自分だってそのつもりで飲んでいたのに、寝て起きてしまえばいつも通りだったのだから。そんな記憶もないが、酒には強かったようだ。
だが、今すべきはそれじゃない。そもそも何故そうなったのかといえば、半分は目の前の彼女に原因があるのだ。
「確認しますが、もう隠していることは無いですよね」
「隠したつもりもないけど、無いよ?」
「本当にですか?」
「ない……ああ、伝えることはあったな。それ、ギルドに持っていけばって言ったけど、お金が貰えるのは1週間位かかるから」
去り際に言い忘れたことがあったくらいの気軽さで告げられたそれは、ユキには聞き逃がせない重要事項だった。ギルドから告げられた期限までの猶予はあと6日。わずかに時間が足りない。
まさか、とユキはエレオノーラを睨みつける。彼女は、落ち着けと手をかざす。
「これは私がどうこうとかじゃないよ。ケレスの素材は一旦アカデミーまで送って、改めて査定した額を店に、さらに君たちへ金が渡るわけだ。渡した査定表があるだろう? あれより下がることは殆ど無いけど、上がることは結構ある。つまり、面倒だけど損しないためのシステムだ」
「たった今聞きましたが」
「そりゃ言ってもしょうがないじゃん? 私達には常識だし、他に出来ることもないでしょ?」
「はぁ……じゃあ、支払いは間に合わないってことか? それはまずいな」
ナギの端的な一言は、今の状況を簡潔に表していた。借金がトラブルの中でも面倒だというのは、これまででよくわかっている。この店にいるだけで何度そういう罵声を聞き、時には殴り合いにまで発展しているのを目撃したか。そして、自分たちの相手はギルドだ。間違っても殴り倒して踏み倒しなんて事はできない。
どうしたらいい? 焦燥感に駆られるユキ。そこに、
「なんなら私が力になってもいいけど」
トーストへ蜂蜜をかけるエレオノーラから、甘い言葉が掛けられる。じわり、とパン生地に広がっていく蜂蜜を見つめるユキは、口いっぱいに広がる苦さを飲み込み、
「エレオノーラ」
鋭い声に開きかけた口が閉じる。なんだい? と余裕のある素振りをしているが、不機嫌な顔で自分を睨むナギの視線に、エレオノーラは頬を拭う。
ナギは、真剣な顔をして言う。
「この店には蜂蜜があるのか?」
「……え、うん。書いてるけど」
エレオノーラが指さしたメニューには、しっかりと『蜂蜜』と書かれている。わかりづらくもないし、隠してあるわけでもない。だが、ナギにとってはそうではなかったらしい。大袈裟なくらいに大きな溜息をつくと、店員を呼び止め、
「蜂蜜を頼む。他に? じゃあスプーンも」
そういう意味で聞いたのではないだろう店員は、厨房から戻ってテーブルに蜂蜜を置くと、すぐに次の注文へと駆け出していく。ユキとエレオノーラが呆気にとられる中、ナギは掬い上げた蜜を舐めると満足げに頷いていた。
「甘いうまい……ん、そういえば何の話をしていたんだ?」
ナギの問いに、ユキは先程まで何を考えていたのか思い出す。この状況をなんとかするには、エレオノーラの提案を飲むしか無い。そう考えていたはず、だった。しかし、何故だろうか。今はそんな気が微塵も起きない。
「ナギ、甘いのは好きか?」
「好きだな。とくに蜂蜜は好きだ。ブドウや木苺と違ってナギを裏切らない。いつでも甘い」
「そうか、私も甘いほうが好きだ」
ユキは、指先で掬い取った蜂蜜を舐める。少し前に広がっていた苦渋とは比べ物にならない甘い味。それを味わい続けられるのは、幸運に恵まれたものか或いは大悪党くらいだろう。そのくらいは自分にだってわかっている。
しかし、そのために苦い思いをし続けるのか。それは違う。苦いものを口に入れたのなら、することは決まっている。
「別に利子を取ったりはしないよ? 必要な額を支払額から引くだけ。お互いに損はしないじゃん?」
エレオノーラの言うことは嘘ではない。だが、またしても黙っていることがある。
「それで得をするのは? もちろん私達じゃない。3つ目の借りを作れるあなたの方だ」
だから、自分がするのはわかっていながら飲み込む事じゃない。
「これ以上の借りは必要ない。取引はしても頼ることはない。私達は依頼を終えて、そちらは支払った。それで終わりです」
はっきりと立場を示すこと。そうすれば戻ることは出来ないとわかっていても、そうすべきなのだ。そうしたくないのなら、冒険者などやめろと言ったのは彼女の方なのだから。
まっすぐに睨みつけるユキの視線を受け止め、エレオノーラは小さく息を吐く。どこか満たされた顔をした彼女は、立ち上がると、
「どうぞお好きに。まあ君たちなら次は上手くやれるでしょ」
そう言って立ち去ろうとしたところで、
「ところで、借りが3つになるって何の話? そんなにあったっけ?」
振り返って訊ねる彼女に、ユキは唇を噛む思いだった。そのまま行けばいいものをと思いながらも、誤魔化すのはもっとみっともないと正直に答える。
「遺跡で……助けてくれたでしょう。一応、ありがとうございます」
顔をしかめながらお礼を言うユキに、エレオノーラは一瞬あっけにとられるが、すぐに表情を崩して大声で笑う。
「べつに気にしなくていいって! 半分くらい判断が遅いことに苛ついて蹴っただけだから!」
その言葉は照れ隠しか、それとも本心なのか。確かめようとも思わないうちに、エレオノーラはその場から立ち去った。ユキは、そのまま彼女が消えていったドアを眺めていたが、ややあって口を開く。
「……悪い」
「何を謝っているんだ?」
「正直意地を張った。これからどうしようっていう考えもない」
「別に謝ることじゃないだろ。それに、先に謝っておけば許されるわけじゃないんだし、失敗してから謝ればいい」
ナギはそうしていたぞ、と蜂蜜を舐め終えた彼女はスプーンを置いて続ける。
「ちゃんと謝るとな、3発殴られるところが1発で済むんだ。かなりお得だ」
「……殴られるようなことは最初からするな、とも言われたんじゃないか?」
「よく知ってるな」
驚いたナギの顔に、気が抜けたユキは小さく笑う。空元気ではあるが、それでも前を向くことは出来た。だったら、あとは向かっていくだけだろう。
「じゃあ、謝りにいくか」
「ああ、1発くらいならナギが受けてやる」
「それは頼もしいな」
本当に頼もしいよ。聞かせる気のない独り言に、ナギの耳がぴくりと揺れた。
「支払を明日まで待って欲しい? それ本気で言ってます?」
受付の反応は、予想はしていたがそれ以上に冷たいものだった。部屋の中央を這い回る虫に向けるような殺意の籠もった目にユキは怯みかけるが、
「大丈夫だ。明日になったら必ず払う」
それを受け流すナギに後押しされ、証券をカウンターへ置きながら続ける。
「証券があります。根拠もなく言ってるわけではありません。遅れてしまうのは心苦しいですが、踏み倒そうというつもりは一切ありません」
「証券がある? 言っておきますが、その辺の店が出したような証券は通じませんよ」
下手な言い訳で余計な手間を取らせやがって、と言いたげな受付は証券を一瞥すると、
「なんだアカデミーのものじゃないですか。じゃあ、いいですよ」
最初からそう言いなさいよと愚痴ると、それ以上追求もせず記帳していく。思わずユキはナギと顔を見合わせ、
「あの、本当にいいんですか……?」
「そのために来たんでしょうが。何か問題でも?」
「そうですけど……アカデミーってそんなに信頼されているんですか?」
「アカデミーはギルドに並ぶ公的機関ですよ。そんな事も知らずに依頼を受けたんですか?」
呆れたように言う受付。知らなかったとは言えなかった。それ以上にユキはある種のショックを受けていたからだ。
あんな人を振り回すちゃらんぽらんなエレオノーラが、そんな機関に協力しているような人物であり、今の自分達の現状と比べて圧倒的に高位に位置している。失礼な話かもしれないが、それが信じられなかった。
「はい、後がつかえているので用が済んだら下がって。支払はこっちで引き落としておくので来なくてもいいですよ」
半ば追い出されるようにカウンターに背を向けるユキとナギ。当初の目論見通りに物事が進んだのだから喜んでいいはずなのだが、家に戻るまで二人は釈然としない顔のままだった。




