黄昏の喫茶店
たくさんの人に読んでもらえたら嬉しいですね。
晴れた空に白い雲。朝日に照らされて、町が動き出す頃。
それに合わせてこの店も動き出す。
おいしいコーヒーと紅茶、軽食がメイン。
だけど、材料があればリクエストにも答える優しいマスター。
営業時間は朝七時から夜の七時まで。
夕暮れの時間、窓から見える景色がやけに綺麗で感傷的なこの店を常連客はこう呼ぶ。
黄昏の喫茶店、と。
町が朝の喧騒に包まれている中、この店は静かだった。
といっても全く音がないわけではない。
ガラス越しに聞こえる生活音と、うっすらと聞こえるクラシックのBGM。
数人の客が注文したものを腹に収めようと動かす、カトラリーやカップの鳴る音。
そうしたものがうまく調和し、穏やかで、妙に落ち着く空間となっていた。
「まだ、今日は落ち着いてんな」
カウンターの一番入口側、喫煙ブースに最も近い席に座っている年かさの男がぽつりと呟く。
「ええ、最近は何故かお客さんが多かったですからね。何か工事とか大きなことでもあったんでしょうか?」
カウンターの奥で洗い物をしていた、三十代後半から四十代前半くらいの男が手を拭きながらそう答える。
男が棚に手を伸ばし、カップを取り出そうとすると声が重なった。
「「コーヒーお代わり」」
「……で、いいですよね? くまさん」
顔を見合わせて、どちらともなくふっと笑いあう男二人。
「ああ。タバコ吸ってくるからその間に頼むよ、マスター」
そう言って席を離れ喫煙ブースへと向かう、くまさんと呼ばれた男。本名は熊谷康弘。この店が営業を始めたばかりの頃から、週三回から四回は来てくれる常連客の一人だ。
それを見送るとマスターはコーヒーを淹れる準備をする。今週はくまさんの誕生日だ。足繁く通ってくれる常連客に、普段とは違ったコーヒーを提供しよう。
他の客がまだ店にいる手前、表情には出さないがマスターは少し気合を入れて、道具の前に向かう。
「まずは……、忘れないうちに」
棚から取り出したカップに熱湯を注ぐマスター。紅茶と同じで温めておくのがいい。開店前にネットの記事で見かけたことを守って毎回必ず行っている。
次にいつも使っているものとは違うコーヒー粉を裏から持ってくると、ドリッパーにペーパーフィルターを置く。粉をコーヒー用のメジャースプーンで一杯。ドリッパーの側面を軽く叩き、フィルターの中の粉を平らにならす。カップに入ったお湯を捨て、ドリッパーをカップに乗せたら準備完了だ。
「さあ、ここからが本番だ……」
小さな声で呟くと、ドリップポットを手に取り、少しだけお湯を注ぐ。所謂、蒸らしだ。お湯の温度は九十五度。この温度が一番適しているとのことで、沸騰させたお湯のぼこぼこいった泡が収まるのを待って使う。
二十秒ほどだろうか、少しだけ注いだお湯がコーヒー粉に馴染むのを待って、本格的にお湯を注ぐ。
フィルターの中心から、外側に向かって、渦を巻くようにゆっくりと。フィルターの半分ほどまで注いだら、一度止めてお湯が落ちるのを待つ。ただし、落ち切る前に次のお湯を注いで、なるべくお湯の高さをキープすること。ちょうど一杯分しか入れていなかったポットの中にあるお湯を注ぎきったら、あとは待つだけ。
「おう、できたかい」
タバコを吸い終わったくまさんが席に戻るや否や、コーヒーを催促する。この店の日常の一コマ。
カップを見るとどうやらお湯は落ち切ったみたいだ。ドリッパーを外し、カップを皿に乗せ、ティースプーンを共にカウンターの席に置く。
「お待たせしました。ホットコーヒーです」
「ありがとな」
礼を言って、カップを手に持つ。一口飲もうとすると、いつもと違う匂いがした。
「あれ、これって……」
「くまさん、今週誕生日でしょ? だからお祝いに、いつもと違うコーヒーをと思いまして。ああ、安心してください。お代はいつもと同じですよ」
実はコーヒーが好き、と以前連れてきてくれた娘さんから聞いて今年のお祝いはこれにしよう、と決めていたマスター。手で飲んでくれ、と促すと少し笑ったくまさんがカップに口を付ける。
「……これ、いいな。豆は?」
「喜んでくださったなら何よりです。マンデリンとコロンビアの浅煎りに、ブラジルの深煎り。三種類ブレンドしてみました。といってもお店の人がやってくれたんですけどね」
苦笑交じりにそう答えるマスターを見て、くまさんもぷっと吹き出す。
「おいおい、色々試行錯誤して自分で作ったんじゃねぇのかよ」
「いやいや、その道のプロに任せた方が安心でしょう?」
その後も他の客が会計のために声をかけるまでの少しの間二人は話し続け、最後の会計が済んだところでくまさんも店を出ようと会計を済ませる。
「ありがとよ、マスター。今年もいいプレゼントもらったぜ」
「こちらこそいつもありがとうございます。お気をつけて」
「ああ、またな。……あ、そうそう。そろそろバイトの一人でも雇いな。この前みたいなのが続くと身体壊しちまうぞ。マスターも若くねぇんだから」
そう言って店を出るくまさん。若くない、の一言に傷付いたわけでもないが確かにそろそろ誰か人が欲しい。
求人をどうしようか、迷いながらカウンターへと戻るマスターだった。
くまさんの誕生日から約2ヶ月。そろそろ冬も終わろうか、そんな季節になったとはいえ、朝はまだ冷える。
いつもの時間に目を覚まし、カウンター奥の調理スペースに立つマスター。
冷蔵庫の中を見て、閉店間際のスーパーで買いこんだ野菜ミックスを手に取るとモーニングの仕込みを始める。
「……今日はパンにスープだな」
目覚ましを止めたと同時に鳴った携帯電話。
起き抜けの寝ぼけた頭で出ると声の主はいつも注文しているパン屋だった。
急なキャンセルで焼きたてのバターロールが100個余ったから引き取ってもらえないだろうか。
いつも世話になってる礼だと快く引き受けたマスターはそれを捌くべく、メニューを変更する。
「半額だからって思わず全部買って、どう使うか迷ったけど結果うまいこといったなぁ」
ざく切りのキャベツが入った袋が3袋、もやしやにんじんなどの入ったものも同じく3袋。
全部消費期限が今日まで。それを全部大きな鍋に入れて水を入れ、火にかける。
「あとは……。あ、ベーコンのブロックとウィンナーの大袋があったな。それ入れるか」
冷蔵庫を開け、ベーコンブロックとウィンナーを取り出すとまな板の上に並べて慣れた様子で切っていく。
そうして切り終わった頃、鍋の水がぐつぐつと鳴り、お湯に変わったことを知らせる。
「お、ちょうどいいタイミング」
切ったベーコンたちを鍋に入れて、調味料の棚へ。
コンソメ、塩、コショウを取り出すと鍋にそれらを入れ出す。
「コンソメ2個は3じゃあ……、なんてね」
料理に慣れたマスターだから、今更レシピなんてものには頼らない。
もっとも、作り慣れていないものや初めて作るものはその限りではないが。
目分量でざあざあと入れて、かき混ぜる。少し煮込んで味見。
「……まあ、こんなもんでしょ」
さて、昨日作ったゆでたまごが2個残ってたはず。
それとそろそろ届くパンにスープでも食べて、開店か。
ぼんやりと時計を見ながらそう思っていると奥から声が聞こえてきた。
「おはようございます、マスター」
「ああ、姫奈ちゃんおはよう。もう朝ごはんできるから座って待ってなさい」
「はーい!」
そう、あれからすぐにバイトが見つかった。
事情があって、店の2階、マスターが住んでいる部屋の隣にある空き部屋。
そこに住み込む形で働くことになった、若い女性。
佐竹姫奈。
あれよあれよと常連のおっさん連中にかわいがられ、もう店の看板娘となりつつあるのだ。
「あ、マスター今日の朝ごはんはなんですか?」
「今日はおにぎりと味噌汁にするつもりだったんだけどね。パン屋さんがパン引き取ってっていうからパンとスープにしたよ」
「それって私が初めて来たときに作ってくれた野菜たっぷりのやつです?」
「ん~、まあそんな感じかな? あれはもう余りものだったから具も少なかったけど今回はちゃんと入れたよ」
苦笑交じりにそう言うと裏口にパン屋がいることに気付いたマスターはいつもの調子で受け取ると袋を開ける。
焼きたてのパンの匂いを鼻いっぱいに感じると皿を取り出し、2つほど置く。
姫奈にこれを食べさせてあげよう。
自分はどちらかというとトーストの気分。食パンを1枚トースターに入れてセット。焼き上がるまでに準備だ。
「姫奈ちゃん、パンに何塗りたい?」
「あ、マーガリンといちごジャムお願いします!」
「はいは~い」
マーガリンとジャムを冷蔵庫から出して姫奈が座るカウンター席へ。
鍋から器にスープをよそい、パンと共に姫奈に持っていくと、同じタイミングでトーストができあがる。
自分の分も手早く用意するとカウンター内のいつもの席に。
「それじゃ」
「「いただきます」」
2人の声が重なって、食事が始まる。
こうしてこの店の1日は始まるのであった。
あ、そうそう。
前作「親戚の再婚で増えた身内が推してるアイドルだった件」のリメイクですが。
割とガラッと変わったところもありますが、ぼちぼち進んでいます。
ヒロイン、藍那役の紫月メリーさんも参加する公式イベントが今月末に名古屋で開催。
1部変更点についてのアナウンスも来月末には行えそうです。
詳しくは一之瀬葵翔、またはサークル一之瀬工房のX(旧Twitter)をご覧ください。