第2話:まさかの再会
アメリ・スカーレットがエグマリヌ国第三王子、エルヴィス・ガルシア・ノーマンに婚約破棄されたというニュースは瞬く間に広まった。父も母も娘のやったことを責めて叱り、家族関係は悪化してアメリにはもう居場所などなくなっている。
これからどうなるのだろうかとそんなことを考えながら中庭のテラスで自身が迎えるであろうエンディングをアメリは待っていた。
回避する未来も見えない中をもがいても意味はないと、悪役令嬢アメリの運命を受け入れることにしたのだ。生まれ変わったとはいえ、やったのは自分なのだからその罰は受けようとそう思って。
「アメリ様、お客様が」
そう言ってメイドの一人が頭を下げる。誰だろうかとアメリは思いながらも立ち上がりエントランスの方へと向かうとそこにいたのは一人の青年だった。茶色の短い髪をオールバックにしている彼の名はグラント・モリアーガン。この乙女ゲームの攻略キャラクターの一人だ。
エルヴィスの親友であり、アメリに恋心を抱きながらもリリアーナにも好意を寄せてしまうキャラクターではなかっただろうか。そんなことを考えながらアメリは「どうかなされましたか」と声をかけえれば、少し間を置いてから彼は「噂は本当でしょうか」と遠慮気味に口にした。
噂というのはリリアーナに酷い仕打ちをしたということだろうか、アメリは「どの噂かは分からないけれど」と前置きをして答える。
「彼女に強く当たり、陰で悪口を言っていたのは確かです」
「……そうですか」
その言葉にグラントは悲しげな表情を見せた。今更、嘘をついても誰も信じてはくれないのだからさらに罪を重くする必要はないのでアメリは正直に話す。
「……では、彼女に酷い嫌がらせをしたのも本当なのですね」
「……え?」
酷い嫌がらせと聞いてアメリは首を傾げる。自身は高圧的な態度をとり、陰で悪口を言っていただけで手を出すようなことはしていない。困惑している様子に気づかないグラントの口から出た言葉に固まってしまった。
通っていた学園でリリアーナの私物を勝手に持ち出して捨てた、彼女に怪我を負わせたな等々やっていないことまでもがアメリのしたことになっていたのである。そんなことはやっていないはずだと記憶を引っ張り出すけれど、やっぱりそんなことをした覚えはない。
「誰からそれを聞いたのですか」
「妹のマリーから」
名前を聞いてアメリは納得してしまった。マリー・モリアーガン、彼女は極度のブラコンである。兄に近づく女性に容赦はなく、影で動いては女たちを蹴落としていたアメリとは違うタイプの悪役令嬢だ。
与えられた乙女ゲームの情報によるとグラントルートで悪役令嬢として立ちはだかるらしく、どうやら彼女は自身がやっていたことをアメリに擦り付けているようだ。
(これはリリアーナさん、グラントルートにも片足を突っ込んでるなぁ……)
噂を聞くに否定しても信じてはもらえそうにはないなとアメリは小さく息を吐く。
「グラント様の思うようにお考えください。わたしは何も言いません。言ったところで、信じてはいただけないでしょうから」
諦めてそう返せば、彼は眉を下げ申し訳なさそうにしていた。この発言を肯定として受け取ったのかもしれない、それでもいいとアメリは思う。これはもう変えることができない運命なのだから。
「貴女はエルヴィスを愛していたのですよね?」
「えぇ」
「今も、貴女は愛していますか?」
「いいえ。今はもう愛する資格はありませんから」
エルヴィスのことを愛していたのは事実だが、もう何も想ってはいない。前世の記憶を取り戻したからというのもあるが、自分はもう彼を愛する資格はないはずだ。だから、愛してはいなかった、いや、愛というのが分からなくなっていた。
グラントはその言葉を聞いて何考えるように眉を寄せていたが、「そうですか」と答えるだけで何も言わなかった。
「えっと、用事はそれだけで?」
「……貴女と話をしたかったので」
「そうですか……。わたしはこんな女です。幻滅したでしょう」
「そんなことはありません。貴女は反省しているではないですか」
グラントは反省していると感じたらしい。だが、彼がそうだとしても他所の人間はそうとは思わず、悪女として噂は広まっていることだ。誰も反省しているだなんて想像つかないだろう。
グラントは「貴女と話してみてオレにはそう見えますから」と言ってくれるが愛想笑いをするしかなくて、そんな姿を見て彼は俯いてしまった。
「ご心配かけてごめんなさい、グラント様。わたしは大丈夫ですから。わたしは何を言われてもそれを受け入れますから」
「大丈夫なら、いいのですが……。その……」
「他に何か?」
「……いえ、なんでもありません。どうか、ご無事で」
そう告げてグラントは一礼するとエントランスを出ていってしまった。アメリは彼の残した言葉が気になった、どうかご無事でとはどういうことだろうかと。彼は何か知っているのかもしれない、もしかしたら自身のエンディングが決まったのか。
自分は奴隷となるのか、竜人の国へ貢物に出されるのか。どちらかと言えば生きられる可能性のある奴隷エンドの方がいい気がする、竜人の国はほぼ死亡エンドだ。けれど、彼の話を聞くにリリアーナは他の攻略キャラクターのルートも進んでいるようなので竜人の国エンドである可能性は高い。
「せっかく、生まれ変わったのにもう死んでしまうのは嫌だな……」
ぽつりと呟く言葉は誰に聞こえるでもなく空気に溶けてしまった。
***
婚約破棄イベントから数日、アメリのエンディングが決まった。言い渡された内容は二つ目のエンド、竜人の国へ貢物に出されて酷い仕打ちに逃げ出し、森で魔物に襲われ食い殺されるものだった。
竜人の国エムロードとエグマリヌ国は長きにわたり同盟を結んでいるけれど、この国は竜人に対して恐怖を抱いていた。彼らは人間ではない、竜の姿にもなれる竜人で力も人間よりある存在なのだから恐れないほうが無理だろう。
そんなエグマリヌ国は数十年に一度、人間を含む貢物をエムロード国に差し出していた、かの国からの友好の印として。貢物に出される人間は若い女性で名目的には花嫁候補なのだがほとんどが早死にする。あるものは自殺を、またあるものは魔物に殺されて。
貢物とはいえ、名目的には花嫁候補に選ばれた存在だ。なので、しっかりと純白のドレスに身を包み、長く綺麗な白髪は花々の髪留めで一つに結われて着飾られていた。見た目だけならば、何処を見ても花嫁と思われるだろう。
自身の運命を静かに受け入れながら馬車に揺られて数日が経った昼前にエムロード国へとたどり着いた。城下町の奥、町を見下ろすようにそびえる真っ白な王城にエムロード国の兵に付き添われてアメリは城へと入っていく。
広いエントランスを抜けて大きなシャンデリアが目に飛び込んでくる。眩しい白壁に掃除の行き届いた室内は埃一つ見当たらず、真っ赤な絨毯が鮮やかに彩っていた。
周囲を見渡せば人間と変わらぬ姿をしてはいるものの、竜人の証である二つの角を額から生やしている者たちがこちらを見つめている。竜人は人間に冷たいと聞いたことがあったのでアメリは恐怖で胸がいっぱいだった。
広間で待たされている間、ぼんやりと城内を眺めていた。凝った装飾品が置かれ、壁を彩る絵画はどれも繊細で見ていて飽きない。豪奢な造りだなとぼんやり眺めていれば、肩にかかるぐらいの赤髪を揺らし、宝石が散りばめられたドレスに身を包んだ少女が血相変えて走ってきた。
額にある二本の角は彼女が竜人な証で服装からして王族であろう。記憶にある乙女ゲームの情報によると彼女は脇役のエムロード国の姫、マリア・レヴァンテ・エムロードだ。ルートによってはエムロード国の王子が攻略キャラクターに入り、その時に登場するちょい役だ。
その脇役な姫はアメリの前に立つとあわあわと慌てて「どうしよう、どうしよう」とぶつぶつ呟いている。
「ど、どうしよう。このままだとアメリは死亡エンドに……」
「え!」
死亡エンド。マリアから告げられた言葉にアメリは思わず声を上げてしまった。それに彼女が慌てて、「な、何でもないのよ!」と誤魔化す。
今、死亡エンドって言ったよねとアメリは恐る恐る、「あの、もしかして……乙女ゲーム」とひそひそと声を潜める。乙女ゲームという発言にマリアは目を丸くさせてから、「も、もしや知ってて……」と身を乗り出す。うんと頷き返せば彼女は「なら、話が早い!」と、周囲を見渡してひそひそと話す。
「どうやら、ワタクシたちは乙女ゲームの世界に転生して来てしまったみたいなんですのよ。で、アナタがここに来たってことは死亡エンドがほぼ決まってて……」
「ですよね……」
ここにやってきた花嫁候補の人間というのは早死にする。それは竜人が候補に対して何かすることもなく、扱いか雑だからだ。ただそこにいるだけという扱いをずっとされ続ければ人間というのはだんだんと精神に異常が出てくる。そうやって、耐えきれずに自ら命を絶つか、城から逃げ出すのだ。
マリアに教えられてアメリは自分もそうなる運命なのかと項垂れた。
「どうにかしてあげたいけど、今はこっちも大変で……。あぁ、でも助けたいし……。ちなみに前世ではどんなお人だったの?」
「あ、わたしは猫です」
「え、猫っ?!」
隠すことでもないとアメリは元家猫であり、飼い主がやっていた乙女ゲームの世界に転生してしまったことを話した。すると、マリアは「猫……」と少し考えるように顎に手をやってから言う。
「あの、勘違いだったら否定してね? アナタの猫時代の名前って〝あんこ〟じゃなかった?」
「え! なんで知ってるんですか!」
アメリの前世の猫の名前は「あんこ」だった。毛足の長い白と茶色のまだらの柄でと話すと、マリアは涙目になりながら「あんちゃんがいるぅ」と抱き着いてきた。
「あんちゃん、あんちゃんなんだぁ」
「そ、その呼び方は、ご主人!」
アメリの前世、猫時代の飼い主はよく「あんちゃん」と呼んでいた。あんこと呼ぶこともあれど、あんちゃんと呼ぶことが多かったのを覚えている。もしかして、マリアはとアメリが驚いていれば、頷いて「そうだよ」と答えた。
まさか、飼い主まで同じ世界に転生しているとは思わなかった。しかも相手と同い年、こんなことってあるのかとアメリは信じられずにいれば、マリアは「夢じゃない」と喜んでいる。
「えっと、ご主人は今……」
「ワタクシは今、エムロード国の姫、マリアに……」
「で、ですよね!」
間違いではなく元主人は姫君に転生していた。ちょっと声を上げてしまったことで、ひそひそと話しをしていることに気づいた兵士に「何をしているのですか」と訝しげに見られてしまう。どうしようと慌てていると、マリアが「あら、ワタクシが誰とお話しするのも勝手でしょう?」と強気に返した。
姫の言葉に兵士は言い返すことができなかったようで、「あまり関わらずに……」とだけ言って少し距離ととられる。マリアはふっと息を吐いてまたひそひそと声を潜める。
「あんちゃんを死なすわけにはいかないからどうにかしないと……」
「でも、難しくないですかね?」
「そこは姫だからなんとか……」
『ご主人ーお腹すいたー』
ふと、声がしてアメリは下を見るとそこには黒猫が一匹、座ってマリアを見上げている。今、声がしたよなとアメリが目を瞬かせると『ご主人ごはん』と猫が鳴いた。ふぁっと思わず声を上げる。
「どうしたの、あんちゃん」
「ね、猫が喋って……」
「え? メルゥは喋らないわよ?」
「え、え?」
でもとアメリはメルゥと呼ばれた猫を見るも、『ごはんー』と鳴いている。困惑するアメリにマリアは「もしかして、言葉が分かるの!」と驚いたように問う。そう、アメリにはわかるのだ、この猫の言葉が。
うんと頷くとマリアは考えるように少し黙ったあと、「これならいけるかも……」と呟いた。
「あんちゃん、本当にメルゥの言葉がわかるか確認させて!」
「え、あ、はい!」
マリアの真剣な眼差しにアメリはぴしりと姿勢を正した。