俺の金言 2023年11月10日
2023年11月10日
“人間は何をしているかで評価されるのではなく、
その姿がどう見られるかで評価される”
これはあるあるですよねぇ。
誤解と言う奴。
仕事中に熱中症になりそうな同僚がいるからコンビニに行ったのに、「あいつ、仕事中にオフィス出てジュースなんか買いに行きやがって」なんて見られたり。
前の車が急に止まって動かないから、クラクションをならそうとしたら動きだしたので鳴らすのを止めた。が、実はその車は猫がいたのでどくまで待っていただけとか。
これなんか後ろの車にその道路を横切る猫の姿が見えてれば「なんだ、優しい奴じゃん」と思われるけど、車の死角になって見えなかったりしたら「危ねぇ運転する奴だな」って一生思われ続けるわけですよ。
こんな小さな誤解が赤の他人の場合なら問題ないんですけど、仕事の同僚だったり、家族、近所の人たち、自分の生活コミュニティー圏内の人との間に生じたら、誤解が誤解を生んで、しまいには喧嘩別れなんてことになりかねません。
っていうかよくありますね、そういう誤解の積み重ねで疎遠になっていく人たちって。
あるいは、今までは会えば立ち話していた人が急に足を止めなくなったり、とか。
自分の知らない所で誤解という生き物が好き勝手に動きまわってるんですよね、世の中って。
誤解の理由が後から解れば疎遠になっても納得して終われるんですが、死ぬまでわからない場合も多々あるわけで…
そう考えると人間社会って裏も含めての人間社会ですな。
そのうちデジタルサイネージなんかが発達して、背中とかに何をどういう思いでやっているかが文字で出るようになったりしたら誤解も減っていくのかな?
車では少しずつサイネージ技術が採用され始めているらしいし、近いうちにそういう誤解が減る社会になっていくかもしれませんね。
でも、今度は思っていることがそのままサイネージに表示されてしまって喧嘩になる、なんてこと問題になったりして(笑)




