6.シャンデリア 1
呆気ないほど早くテストは終わった。
満足そうにペンを置く私を見て、ニーナがポカンとしていたから、あとでうまく言い訳をしなくてはいけないな、と思う。
残った時間でザイルに頼み、短剣を見せて貰えるようになった。
鋭く尖った刃は鈍く光り、戸惑う私の顔を写し取った。柄を持ちゆっくりと持ち上げると、想像していたよりずしりとした重さを感じた。騎士達が練習をしているのを遠目に見たことはあるし、護衛も剣は必ず持っていた。短剣でこれ程の重さがあるのを、彼らは剣を自分の手のように扱っていたのだから、やはり凄いと思う。
柄に使われている金属の無骨な手触りと、鋭利な刃物の冷たい光に背中がぞっとしてきた。
刺された時痛かっただろうな。
目覚めた時に感じた痛みを思い出して、それが刺さった場所を左手でぎゅっと押さえる。
「……シャルロット様、危ないのでしまいましょう」
青い顔をして刃を見つめる私を心配したのだろう。ニーナがいつの間か隣にいて、そっと私の手から剣をとるとザイルに手渡した。
「ザイル、私に護身術を教えてくれる?」
「申し訳ありませんが、私は、正直貴女に剣を握らせたくありません」
「では、触らなければいいでしょ? 剣の使い方ではなく、避け方とか、身の守り方を教えて欲しいの。アルフレッド様の許可も得てるわ」
ザイルはじっと私を見ると、小さくため息をついた。
「……分かりました。アルフレッド様が許可されたのでしたらお教えします。しかし、最低限に致しましょう。城には護衛もおりますので、それで充分かと思います」
「ありがとう! 決してこの国の護衛を信頼していない訳ではないの。ただ、最低限のことを覚えておきたいだけで。無理を言ってごめんなさい。やっぱりザイルは頼りになるわ」
「……やっぱり?」
首を傾げるザイルに、しまったと思いながら視線をそらす。ついつい、言葉が過ぎてしまうので気をつけなくては。
そのあと、ザイルとニーナは机や椅子を隅に寄せ部屋の中央に動けるだけの空間を作ってくれた。
「では、まず短剣を避ける練習をしましょう。最初の一撃さえ躱わせればあとは護衛が助けてくれます。もっとも、その一撃さえ短剣の場合、シャルロット様に届く可能性は極めて低いですが。短剣の場合、間合いを取れば刺される事はありません。剣をよく見て、後ろや左右に大きくニ歩動いてください」
「分かったわ。大きくニ歩ね」
ザイルがゆっくりとした動きで、鞘に入った短刀を振りかざす。それを後ろにニ歩下がり避ける。スピードをあげながらこれらの動作を繰り返す。
意外と簡単じゃない。
そう思った時、背中が壁に当たった。ザイルがにこりと笑うと短剣を左胸めがけて真っ直ぐに突き刺してきた。もちろん当たる随分手前で、それは止められたのだけれども。
「逃げる時は周りをよく見てください。同じ方向にばかり逃げていては……シャルロット様?」
私は思わずへなへなとその場に座り込んでしまった。足が震え立ち上がることができない。
私は一度刺されている。
分かっていたはずのその真実に、今更ながら愕然としてしまう。剣が刺さった時の恐怖が記憶の奥底から蘇ったのだ。
――あの時、胸に大きな衝撃を感じその部分が焼けるように熱くなった。次の瞬間、激しい痛みが全身を貫き、立っている事ができず倒れ込む。口を開こうとするけれど、血が噴き出し言葉にはならず、その場にゆっくり――
「……ット様、シャルロット様?大丈夫ですか?」
はっと顔を上げると、ザイルとニーナが青い顔でこちらを見ていた。ザイルの少し癖のある柔らかな茶色の髪の間から、グレーの瞳が心配そうに覗く。ニーナの茶色い瞳は潤んでいるようにさえ見える。
「大丈夫よ。少しびっくりしただけ」
あまりにも不安そうにしている二人に向かって、無理に笑顔を作ってみる。でも、二人とも顔を見合わせて眉を下げ困った顔をして見せた。
自分で言い出しておきながら情けない。
思った以上に、あの時の記憶が鮮明で。
思い出すと今にも手が震えそうになる。
「……そうですか、でもシャルロット様、今日はこれぐらいにしておきましょう」
「ええ、私もそう思います。どこか痛い所はありませんか?お茶をお入れしますので、少しお休みください」
差し伸べられたザイルの手を掴み立ち上がると、そのまま壁際に寄せたソファまでエスコートしてくれた。ソファに腰をおろし、一息ついていると目の前に温かいお茶が出された。ニーナは時々びっくりするほど手際が良い。そう思いながら口にしたお茶は、そんなはずないのに、少し血の味がした。
遠慮するザイルを無理矢理椅子に座らせる、ニーナにもう一つお茶を用意させる。それに砂糖を一つ入れ、ザイルの前に置いた。
「ねぇ、ザイル、このお城はシャンデリアが多いのね。広間にあった物はとても立派だったし、廊下にあったのも素敵だったわ。全ての部屋にあるの?」
「王族の方が使われる部屋には全てありますね。従者達の部屋には代わりに燭台を用意しています」
「シャンデリアの灯りはいつ灯されるの?」
「冬は五時ぐらいに、春から夏は六時ぐらいでしょうか。でも、必要ならいつでもおっしゃってください。従者を寄越します」
紅茶を飲みながら考えをまとめよう。
今は春だから、シャンデリアの灯りがつく六時までは比較的安全だと考えられる。
そして、この部屋のシャンデリアは六角形だから、ここで殺される事はない。
そうなると調べなくてはいけないのは……
「ねぇ、ザイルお願いがあるんだけれど……」
「……なんだか楽しそうだな」
私の声を遮るように冷たい声がした。声のする方を見ると、いつの間にか扉の前にアルフレッド様が立っている。その姿を見たザイルが慌てて椅子から立ち上がり、先程やり終えたテストをアルフレッド様の元へと持って行った。
「全問、間違いありませんでした」
でも、アルフレッド様はちらりとそれを見るだけで、手に取ろうともしない。
「俺はする必要はないと言ったはずだ。渡すなら国王に渡して来い。そうだな、出来るだけ早い方が良いだろう。今から行ってきてはどうか」
「分かりました」
そう言って、ザイルは一礼をして出て行った。
アルフレッド様を見上げると、そこには以前よく見た不機嫌な顔がある。眉間の皺に懐かしさを覚えるのも我ながらどうかと思うけれど。
でも、テストはできたはずなのにどうしてだろう。
「アルフレッド様がテストを受けるよう命じたのではないのですか?」
「言い出したのは国王だ。俺は必要ないと言った」
それだけ言うと、どさりと先程までザイルが座っていた席に腰を下した。ニーナがお茶を用意します、と言って出て行き部屋には二人だけになってしまった。
「ザイルとどんな話をしていたんだ」
肘を突き少し行儀の悪い態度で、拗ねたように聞いてくる。唇を少し尖らせて不貞腐れている姿は、年齢よりもずっと幼く見えた。
「お城の事を聞いていました。あの……出来れば、いつでも良いですから、お城にある部屋をザイルに案内してもらってもよいでしょうか」
「城をか? ……どうしてだ?」
聞き返されると言葉に詰まってしまう。
まさか五角形のシャンデリアを探しているとは言えないし。
自分が死んだ場所を探しているなんてもっと言えない。
アルフレッド様が、不審な目で自分を見ているのではないかと思うと、目を合わす事もできず、思わず下を向いてしまった。
「……あの、アルフレッド様、よろしいでしょうか」
いつの間にか戻ってきたニーナが新しいお茶を出しながら、おずおずとアルフレッド様を見る。
「お前は、確か侍女の……」
「ニーナと申します。シャルロット様はこれからずっと、末永く住むこの城を、婚約者であるアルフレッド様に案内して貰いたいのです」
(!!!!)
ニーナ、何てこと言うの?
私はザイルに案内をして貰うつもりなのに。
「そうか、分かった! では、今から行こう!!」
「えっ!? 今から……ですか?」
その言葉に思わず顔を上げると、目の前には満面の笑みを浮かべるアルフレッド様の顔があった。さっきまでの不機嫌はいったいどこに行ったのだろう。
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