18,夜中の来訪者
「ニーナ、寝室のシャンデリアを消してちょうだい」
「でも、まだ、アルフレッド様が来られていませんが……」
「いいから消してちょうだい」
苛立ち気味に言う私の言葉に、ニーナは長い火消し用の棒を持って奥の寝室に向かった。暗くなる前にシャンデリアの蝋燭には城の従者が火をつけてくれるけれど、消すのはそれぞれの部屋で行う。長い棒の先に丸い半球上の金属がついていて、それを蝋燭に被せるようにして消していく。
「今夜は来ないわ」
思わず言葉が零れ落ちる。
あれからクローディアが帰った様子はない。まだお城にいるとすれば、今夜アルフレッド様が私のもとを訪れることはないでしょう。
もともと、逃げるつもりだったんだし、私には関係ないこと……それなのに、胸の端っこの方がチクリと痛んでいるのはどうしてだろう。
もう寝よう。
私が疲れた顔をしているから、ニーナがホットミルクを作ってくれた。夏だから少し温めのホットミルク。砂糖を少し入れて甘くしているそれを口にしながら今日あったことを思い出す。
情報過多で頭は混乱しているし、持って行きようのない気持ちが胸の中でぐるぐる渦巻いている。
アルフレッド様は金山の存在を知っていた。そしてそれを私に隠していた。
いえ、私だけじゃない。金山はキーランとガンダリアの国境にあるから、本来なら国同士で話し合い、協定を交わさなくてはいけない。ガンダリアは金山を独り占めしようとしている。
これは、すぐにでもお父様に伝えなくていけない事案だ。そして伝えればおそらくキーランから迎えが来て私を連れて帰るだろう。
「シャルロット様、ご用意ができました」
「ありがとう。ニーナも寝なさい」
「はい、ですがアルフレッド様が来られるかもしれませんのでもう少しこちらにおります。何か御用がございましたらおっしゃってください」
私が飲んだコップを片付けるニーナの背中に、おやすみ、といって寝室に入った。
どさり、と重い身体を寝台に投げ出すように横になる。でも、疲れているはずなのになかなか寝付けない。目を閉じると今日見たいろいろな光景が浮かんでくる。
何度も寝返りを打ったり、寝台の横の卓に置いている燭台の灯が揺れるのをぼーっと見ていた。そうしているうちに、やっと睡魔が訪れて少しずつ瞼が重くなってき始めた時、
「……ット、シャルロット」
囁くように名前を呼ばれ、目を開けるとすぐ間近に紫色の瞳があり、思わず悲鳴をあげかける。
「ま、待ってくれ! ニーナの許可はとっている。治療をして欲しいだけだから……!」
口をその大きな手で押さえられて、あげかけた悲鳴をごくんと飲み込む。焦って早口でまくしたてるアルフレッド様を見返し
(分かりました)
そう伝えるように、2回ぐらい首を縦に振ってみる。
アルフレッド様はおそるおそると言った感じで手を放すと、寝台に額がつくぐらいの勢いで頭をさげながら謝ってきた。
「すまない」
「あっ、あの、……やめてください! 貴方様はこの国の皇子です」
「いや、そういうわけにはいかない。とりあえず、今俺がここにいる無礼をまずは謝らせてくれ」
確かにどんな理由があろうとも、深夜に勝手に女性の寝室に入ってくるのは許されないことではある。
(どうして、部屋に通したのよ)
ここにいないニーナに当たっても仕方ないことで、ひとまずアルフレッド様に頭を上げてもらわないと、なんとも落ち着かない。
「……分かりました。もう頭を上げてください。治療をいたしましょう」
アルフレッド様はまだ謝罪の言葉を言いながらも、なんとか頭だけは上げてくれた。
治療をする。そうは言ってはみたものの、シャンデリアは消してしまったので、灯りは寝台の横の燭台だけで、部屋全体は薄暗い。
「灯りを消してしまいました。城の係の者を呼んできます」
「このままで構わない。呼べばクローディアが気づき騒ぎ出すかもしれないしな」
そう言うと、薄暗い部屋で上着をさっさと脱ぎ、寝台の端に座って背を向けてきた。私は布団をめくり、彼の後ろに座る。
いつものように指先に意識を集中し、熱くなった手を傷口に這わせていく。ゆっくり、ゆっくり。心もとない灯りだけを頼りに、普段よりも慎重に時間をかけ回復魔法を施し包帯に手を伸ばしたその時、大きな手が遮るように私の手を包み込んできた。
「……信じて欲しい」
「何をでしょうか?」
アルフレッド様の指先に力が入る。くるりと振り返り向き合うように座り直すと、今度は真っ直ぐに私の瞳を覗き込んできた。紫色の瞳が蝋燭の灯りでゆらゆらと妖艶にゆらめく。私の瞳は彼の目にどのように映っているのだろうか……。すぅっと小さく息を吸ったのが、彼の上下する肩の動きで分かった。
「話せていない事はいくつかある。でも信じて欲しい」
手が離され、その代わりに両肩を掴まれると、今までに見た事がないくらい真剣な目をした彫刻のような顔が目の前にあった。深い紫色の瞳が私を絡めとり、吸い込んでいく。
「何があっても、貴女と貴女の母国を俺は守る。だから俺を信じて、もう少しだけ時間をくれ」
低く力強いその声は、それでいて切実で、心の奥底から溢れ出てきたように響いた。その言葉は、私の胸の奥にしまった思いを静かに、でも確実に揺り起こしていく。
思わず目線をそらせば、私のせいで出来た傷跡が蝋燭の光の下で影を作っている。こんな傷跡を残しながら、そんな真剣な眼差しを向けられたら、私はもう何も言えない。
「分かりました。ですがいつお話いただけますか? アルフレッド様が何をなさろうとしているのか知りたいです」
「そう時間はかからないはずだ。近いうちに必ずシャルロットに話す。一番に話すと約束する。だからそれまで俺の傍から離れないでくれ」
お父様に金山について知らせなければいけない。それは分かっている。でも、アルフレッド様の言葉を無視することもできない。
「少しだけ、……少しだけなら待ちます」
離れないでくれ、その約束を守れるか少し不安だったけれど、私はゆっくりと頷いた。
どれだけ沈黙の時が流れていただろうか、アルフレッド様の手がおずおずと私の髪に触れてきた。そしてその手をゆっくりと動かし髪をなでる。その優しいしぐさと恥ずかしさで思わず俯くと、私の頬にアルフレッド様の指が触れた。そしてそっと顔を持ち上げられ……
その時、部屋を覆っていた静寂を隣の部屋の喧騒が打ち消した。
「おやめください。いくらクローディア様でも、この時間の訪問は失礼でございます!」
「うるさいわね! どいて、アルフレッド様がこちらに来られているんでしょ!!」
クローディアの声が聞こえ、思わず寝台の上で顔を見合わせる。
何とも言えない微妙な空気が二人の間を流れる。
アルフレッド様の舌打ちが聞こえたのはきっと気のせいでしょう。
そして今はそれどころではない。
「アルフレッド様、とりあえず、服を着てください」
「……いっそ、この状態を見せてみる……というのはどうだろうか?」
「御冗談を」
「うっ……」
とはいえ、ここは三階。窓から飛び降りてもらう訳にはいかないし……
「服をお召しになったらこちらに。……それから私の話をよく聞いてください」
服を羽織りボタンを留めているアルフレッド様にあれこれ説明をし、準備が出来たのを確認してから扉を開けた。扉の少し前でニーナに喰ってかかっていたクローディアが鬼の形相でじろりとこちらを睨んでくる。
「アルフレッド様はどちらに?」
「こちらにはいらしていません。眠りたいので、お帰り頂けませんか?」
「この部屋に向かう姿を見た従者がいますけれど? まだ、婚姻の儀もしていないのに、寝所に連れ込むなんてはしたない」
いやいや、その言葉そっくりお返しするわ。
あなたにだけは言われたくはない。
「……では、ゆっくりご覧になってください」
鼻息粗く捲し立てるその顔に向かって、私はあえてにっこり微笑んで部屋の中に招き入れる。
部屋は薄暗いけれど、人がいれば分かる明るさではある。
「どこに隠したの?」
「隠しておりません。気になるようでしたら、ご自由にお探しください」
部屋の奥にあるクローゼットを指差しながら言うと、真っ直ぐ歩いて行って遠慮なく扉を開け中をじっくりと覗き込む。
「……いない」
寝台の下、長椅子の後ろと本当に遠慮なく見て行き、最後には三階だというのに窓から身を乗り出し下を見下ろして、いない事を確認すると私に詰め寄ってきた。
「どこに行ったの?」
「ですから、始めからいないと申し上げております」
「……勘違いしないで。アルフレッド様があなたに構うのは同情してるからよ。貴女は婚約者として相応しくないわ」
「どうしてでしょうか。私は両国の繋がりを強めるため、と言われやってきました。相応しくないとはどういう意味でしょうか?」
ふーん、と言って上から蛇のような目で睨んできた。真っ赤な唇の端は意地悪気に上がっている。
「何も知らないものね。でも私から話すことはできないの。ただこれ以上アルフレッド様に付き纏うのはやめてあげて」
別に付き纏っているつもりはないですけど。
それに理由や本心はどうあれ、私は婚約者なのだから面と向かってそんな言われ方をされる覚えはない。
「お忘れかも知れませんが、私はキーラン国の王女です。これ以上の無礼にはきちんと対処させて頂きます。もうよろしいでしょうか? 気が済みましたら、お帰りください」
「〰︎〰︎〰︎!! 分かりました」
あまり権力を振るうのは好きではないけれど、彼女の態度は十分侮辱罪に値する。もちろん本当に罰したりはしないけれど、さすがにこの言葉は効いたようだ。頬を引きつらせながら踵をかえすと大人しく部屋から出て行ってくれた。
「塩、撒いときます!!」
鼻息荒く言うニーナはどこからか持ち出した塩を本当に撒き始めた。何やら結界じみた物まで扉の隅に描こうとしている。
うん、好きにさせておこう
遠い目でその姿をみながら私は「今度こそおやすみ」と言って寝室に戻った。
燭台の灯りだけの薄暗い寝室にはもう私しかいない。
私の記憶が正しければ、明日も忙しくなるはず。早く寝よう、そう思うのだけれど何かが引っかかってその夜はなかなか眠れなかった。
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